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TOYOTA (TOYOPET) CROWN (MS50) 1967 JAPAN |
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![]() DIAPET 170 1/40 114mm
実車諸元 画像参照
トヨタ トヨペット クラウン (MS50) 日本 1967
1967年にトヨタ クラウン 3代目(MS50)が登場しました。ボディは全体的に角がとれて丸みを帯び、フロントグリルは当時のアメリカ車 サンダーバードを思わせるデザインでした。エンジンは6気筒2L(125HP)のM型が主流で、3段AT/4段MT変速で、最高速150km/hの性能でした。従来の法人需要に加えて個人需要を喚起する為に、白をイメージカラーとした「白いクラウン」というキャンペーンが行われました。このキャンペーン戦略が当たり、クラウンはこのクラスで圧倒的なシェアを確保しました。
1968年にはよりパーソナルな性格の2ドアハードトップ(このクラスでは初めて)が追加されました。大きな2灯式角形ヘッドライトを持つスタイリッシュなハードトップは斬新でした。1969年のマイナーチェンジで、フロントグリルが平面的なデザインになりました。この3代目から商用車(バン、ピックアップ)もマスターラインからクラウンに統一され、サードシートが付いた8人乗りのカスタム(ワゴン)もありました。1971年にクラウン 4代目にモデルチェンジしました。
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ミニカーは1968年に発売されたダイヤペット製の当時物です。プロポーションが良くフロントグリルの造形は当時としてはリアルに仕上がっていました。これはボディカラーがイメージカラーの白ですので、実車の雰囲気が良く再現されています。ボンエット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。ダイヤペットは2ドアハードトップもモデル化していて、そちらも良い出来ばえでした。さらにパトカー仕様とMS50後期型をベースにした救急車もモデル化していました。当時物ミニカーにはモデルペットとトミカの初期物がありました。最近の物としては、ファインモデルのアンチモニー製のセダン、コナミの絶版名車(1/64)のハードトップ、トミカ リミッテドのワゴン、ENIFのハードトップなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下は1970年に発売されたダイヤペット製の当時物 トヨタ クラウン (MS50) ハードトップ (1/40 型番188)の画像です。スタイリッシュなハードトップがうまく再現され、角型2灯式ヘッドライトのフロント周りもそこそこリアルで、これも当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンエット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。M型6気筒エンジンは結構リアルに再現してあります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は1969年に発売されたダイヤペット製の当時物 トヨタ クラウン (MS50) パトカー (1/40 型番187)の画像です。上記のセダンに赤色灯と警視庁のシールが追加されています。ダイヤペットはハードトップのパトカーも型番241でモデル化していますが、実在しなかったと思います。パトカーのミニカーは子供に人気があったので、当時は実車に関係なくパトカー仕様が設定されました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は2022年に発売された国産名車プレミアムコレクション製のトヨタ クラウン ハードトップ 1968 (1/43 No.26)の画像です。メーカーは中国のSUMS MODELで同社のオールモーストリアル(ALLMOSTREAL)ブランドでモデル化しています。スタイリッシュなクラウンとして好きな車だったので出来ばえを期待していたのですが、梱包箱を開いて見た瞬間にがっかりしました。全体的に寸詰まりの感じで実車とはかけ離れたプロポーションです。このシリーズの常でフロントグリルやテールエンドの造形などは細部までリアルですが、肝心のプロポーションがこれでは話になりません。これを設計した型職人と製品化を認めた担当者はかなりセンスが悪いです。このプレミアムコレクション シリーズの出来ばえはばらつきが大きいですが、それはお手本にしているミニカーの影響が大きいようです。つまり良い出来ばえの既存ミニカーをお手本にすると、同じような良い出来ばえになりますが、このクラウン ハードトップには良いお手本がなかったわけです。(ただこれは私の推定ですので、実際はそうではないのかもしれません) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下はフロント/リアの拡大画像です。フロント周り/テールライトの造形は細部までリアルです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() 以下は上記2台のクラウン ハードトップのミニカーと実車のサイドビューを並べてみた画像です。上段がダイヤペット製、中段が実車、下段がプレミアムコレクション製です。プレミアムコレクション製の前輪の位置、ドアの後端位置をみると、実車よりも全体的に前に寄り過ぎていることが分かります。(それで寸詰まりに見えるのです) またキャビン部分も大きめで不格好です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像に比較用ラインが表示されます) ![]() 以下のリンクをクリックするとデータベースでパトカー(ポリス)のミニカーの検索ができます。 データーベースでトヨタ車のパトカーのミニカー検索 データーベースで日産車のパトカーのミニカー検索 データーベースでマツダ車のパトカーのミニカー検索 データーベースで三菱車のパトカーのミニカー検索 |
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TOYOTA COROLLA SPRINTER (KE15) 1968 JAPAN |
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![]() DIAPET 183 1/40 96㎜
実車諸元 画像参照
トヨタ カローラ スプリンター KE15型 日本 1968
トヨタ カローラ 初代の人気は高く、スポーツ仕様を求めるユーザー層に応じて1968年に追加されたのがスプリンターでした。ボディ後半部分をクーペスタイルに変更していますが、これは当初から準備されていたようです。同じエンジンながら馬力が多少アップして最高速も5km/h高く、内装もスポーティでちょっとだけ値段が高いというバリエーション追加は、商売上手なトヨタらしいやり方でした。カローラはカローラ店で販売され、さらにスプリンターを売るトヨタオート店が新設されました。カローラと同じくスプリンターも1969年に1.2L(68HP)エンジンに切り替わりました。1970年にスプリンター 2代目にモデルチェンジしました。
今見るとカローラ セダンとスプリンター クーペのスタイルの違いはほんの少しでほとんど同じように見えます。また動力性能の違いも現代なら誤差の範囲内ですが、当時の車好きはそのようなわずかなスペックの違いにも敏感でした。またそのようなわずかなスペックの違いが、実際の車の売れ行きを左右した時代でもありました。
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ミニカーは唯一の当時物であるダイヤペット製で、1969年に発売されました。前述したカローラのリアを修正しフロントグリルとバンパーをプラスチック製パーツに変えて、スプリンターに仕立てています。この紫のカラーは実車にはなかったと思いますが、当時のミニカーとしても珍しい色でした。なおトランクの開閉ギミックを外した改良版(型番227)が1971年に発売されました。これ以外のスプリンター 初代のミニカーはホンコン製の小スケール品があるようですが、2022年現在でもそれ以外はないようです。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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TOYOTA CORONA MARK II HARDTOP (RT70) 1968 JAPAN |
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![]() DIAPET 184 1/40 107㎜
実車諸元 画像参照
トヨタ コロナ マーク II ハードトップ RT70型 日本 1968
コロナとクラウンの間を埋めるモデルとして、コロナの上級車コロナ マーク IIが1968年に登場しました。日産のローレルに対抗した車で、元々はコロナの次期型として開発されていました。コロナよりボディは一回り大きく、コロナのアローラインをさらに発展させたフロントのデザインとなっています。4気筒1.6L(85HP)/1.9L(100HP)のR型エンジンを搭載し、3段AT/4段MT変速で、最高速165km/h(1.9L)の性能でした。セダン、2ドアハードトップ、バン、ワゴン、ピックアップが設定され、このクラスの車として市場をリードしました
1969年に高性能版の2ドアハードトップ GSSが追加され、この車にはDOHC化された2L(140HP)エンジンが搭載され、最高速は200km/hと高性能でした。1971年のマイナーチェンジでは、フロントグリルの中央部分に突起の有るデザインに変更され、イーグルマスクと呼ばれました。1972年に2代目コロナ マーク II(X20)にモデルチェンジしました。
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ミニカーはダイヤペットの当時物で1969年に発売されました。細部のつくりにやや大雑把な部分もありますが、当時のミニカーとしてはそこそこ良くできていました。ダイヤペットはこれをイーグルマスクに変更した後期型ハードトップ(型番253)、初期型セダン(型番200)、ABS樹脂製の後期型ハードトップ(型番A01など)の4種類もモデル化していました。こんな具合にミニカーが多いと言うことは実車に人気があった証しです。(なお型番200のセダンはダイヤペットで最悪の出来ばえ?と言われている物で、後にレザートップ風にルーフを塗装した改良版が出ています) ダイヤペット以外の当時物としてはトミカのハードトップがありました。 最近の物としては国産名車コレクションからセダン、トミカ リミテッドからもセダンが出ています。2017年に国産名車コレクション 1/24でもセダンがモデル化されました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームと室内/トランクの開閉画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下は2007年に発売された国産名車コレクションのコロナ マーク II セダン 1968 (1/43 No.32)の画像です。メーカーはノレブで、4ドアセダンをモデル化しています。特徴的なフロント部分の造形がリアルで、雑誌付きミニカーとしてはかなり良い出来ばえです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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TOYOTA PUBLICA 1000 (KP30) 1969 JAPAN |
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![]() DIAPET 189 1/40 91mm
実車諸元 画像参照
トヨタ パブリカ 1000 KP30型 日本 1969
パブリカの2代目が登場したのは、初代登場から8年経過した1969年でした。この頃になるとカローラが大衆車となり、パブリカは若者向けの入門車という位置づけになりました。そこで若々しさを感じさせるデザインを目指したようですが、このKP30型は今ひとつの感じがありました。先代と同じ空冷800ccエンジンも残されていましたが、主たるエンジンはカローラのK型を流用した4気筒1L(58HP)/1.1L(68HP)で、4段変速で最高速150km/h(1.1L)の性能でした。
カローラと同じ1.2Lエンジンを搭載したスポーツ仕様のSLが追加され、1972年のマイナーチェンジではリアがファーストバックのカローラ風の外観に変更され、空冷エンジンの設定がなくなりました。なおこの車には提携していたダイハツ工業から同じボディの姉妹車として、コンソルテという名前の車がでていました。 1973年にパブリカの上級車として、パブリカ スターレットが登場しました。1976年の最後のマイナーチェンジでKP50型となり、1978年の2代目 スターレットの登場でパブリカの名前は消えました。
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画像は1970年に発売されたダイヤペットの当時物です。フロントグリルの出来が良くないですが、プロポーションは悪くなく、実車の全体的な雰囲気はうまく再現されています。タイヤが大き目で車高が異様に高いのでアンバランスな感じがしますが、ボディを押しさげてやると本来のプロポーションが悪くないことが分かります。なお2代目パブリカのミニカーは現在(2019年)でもこれしかありません。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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TOYOTA 7 CAN-AM 1969 JAPAN |
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![]() EBBRO 43711 1/43 89㎜
実車諸元 画像参照
トヨタ 7 カンナム仕様 日本 1969
1960年代のトヨタは量産車ベースの車で行うレースを重視していたので、本格的なプロトタイプスポーツカーの開発には消極的でした。日本GPには2000GTのレース仕様で参戦していましたが、日産 R380などのプロトタイプスポーツカーには勝ち目がありませんでした。そこで1967年にプロトタイプスポーツカーの開発を行うことになり、2000GTの開発と同じようにヤマハ発動機に開発を依頼しました。ヤマハはフォード GT40を購入して開発を進め、1968年にトヨタ 7の初代が完成しました。
トヨタ 7の初代はアルミ製モノコックのシャーシに、新開発したアルミ合金製V型8気筒3L(328HP)エンジンを搭載するグループ7(カンナム仕様)のオープンカーでした。エンジンを3Lとしたのは、グループ6としてヨーロッパの耐久レース参戦も予定していたからだそうです。その為5Lクラスの大排気量エンジンが一般的なカンナムマシンとしてはパワー不足で、国内の耐久レースでは健闘したものの、1968年の日本GPでは優勝した日産 R381などについていけず、大敗しています。
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1968年日本GPの結果を踏まえて、1969年には新開発したV型8気筒5L(530HP)エンジンを搭載したトヨタ 7の2代目が登場します。シャーシは一般的な鋼管スペースフレームに変更され、ボディは直線的なデザインに変更されました。なおこのマシンのテスト走行中に福沢幸雄が事故死しています。1969年の日本GPでは日産 R382が1-2フィニッシュで優勝し、トヨタ 7は3-4-5位でした。同年のワールドチャレンジカップ 富士200マイル(通称 日本カンナム 第2回)ではトヨタ 7 カンナム仕様が優勝しています。 |
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