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アルファ ロメオ 159 イタリア 1951年
戦前のグランプリレースで大活躍したアルファ ロメオ P3の後継車として1936年にティーポ C(12C)、1938年に3Lフォーミュラの308/312/316が登場しましたが、ナチス政権がバックアップする強いドイツ勢(メルセデス ベンツなど)には対抗できませんでした。(実車画像→ アルファ ロメオ ティーポ C) 1937年に1.5Lフォーミュラ用としてDOHC 8気筒1.5L スーパーチャージャー(195HP)エンジンを搭載する158(アルフェッタ)が開発されました。 この車は1.5Lフォーミュラで行われた1939年のトリポリ GPでドイツ勢に勝つことを期待されていたのですが、結局3位で終わりました。ただこの車はこのクラスのレースでは活躍し、1940年のトリポリGPでは1-3位を独占しました。
第2次大戦後の1947年に新しいフォーミュラ(過給1.5L 無過給4.5L)が施行されました。アルファ ロメオは戦時中密かに動態保存されていた158を改良して参戦し好成績をあげました。1949年はレースに参加しませんでしたが、1950年から始まったF1世界選手権に350HPにパワーアップした158で参戦しました。158は戦前のドイツ勢をも上回る圧倒的な強さを誇り、1950年には出場した11レース全てで勝利し、初代ドライバーチャンピオンをG.ファリーナが獲得しました。またレースの平均速度も戦前のドイツ勢より早くなっていました。
1951年にはリアサスペンションをド ディオンアクスルに変更し、スーパーチャージャーの過給圧を上げて425HPにパワーアップした159が登場しました。1951年にはフェラーリ 375がライバルとして登場しましたが、159が6勝をあげて世界選手権を獲得しました。残念なことにアルファ ロメオは資金難のため1951年を最後にF1から撤退しました。燃費が悪く大量の燃料を消費するスーパーチャージャー式エンジンの時代は159とともに終わり、その後は1970年代まで自然吸気式エンジンの時代が続きました。
ミニカーは2007年に発売されたミニチャンプス製です。1951年のスイス GP 優勝車(ドライバー J.M.ファンジオ)をモデル化しています。ミニチャンプス最盛期に作られたミニカーでしたので、とても良く出来ていました。細かなグリッドのフロントグリル、ボンネットのルーバー(墨入れ処理)、ワイヤースポークホイール、サスペンションのアーム、コクピット内部などが非常にリアルに再現されていました。(実車画像→ アルファ ロメオ 159 コクピット) ミニチャンプスはこれ以外にもイギリス GP仕様など数種類をモデル化しています。ミニチャンプス以外のミニカーでは、メーベトイやマーキュリーの158、ブルムの158と159などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア アウレリア B20 GT イタリア 1951年
第2次大戦後ランチアは戦前のアプリリアの小型版アルデア(ARDEA)を生産していました。(実車画像→ ランチア アルデア) 1950年にアプリリアの後継車アウレリア B10 (4ドアセダン)が登場しました。アウレリアの設計はアルファ ロメオでレースカーを設計していたヴィットリオ ヤーノによるもので、世界初のV型6気筒エンジン(1.8L 56HP)が搭載されました。さらにデフとギアボックスを一体化したトランスアクスル、四輪独立懸架サスペンションとインボード式ドラムブレーキなど先進的で高度な技術が採用されていました。(実車画像→ ランチア アウレリア B10)
1951年には排気量2L(70HP)のB21が追加され、ホイールベースを短縮したピニンファリーナ製ボディの2ドアクーペでエンジンを2L(75HP)にパワーアップしたB20 GTも追加されました。GTとはグランツーリスモの略ですが、この名前を初めて使ったのはこの車で、その優れた操縦性から最初のGTカーとされています。1953年にエンジンが2.45L(118HP)に拡大され、1954年にオープン仕様でホイールベースがGTより短縮されたB24スパイダーが追加されました。1956年にセダンが生産中止となり、クーペ/スパイダーは1958年まで生産され後継車のフラミニアに変わりました。総生産台数は約1.8万台でした。優れた操縦性で1952年のルマン 6位、1954年のモンテ カルロ ラリー優勝などGTがレースで活躍しました。(実車画像→ ランチア アウレリア B24 スパイダー アメリカ 1955)
ミニカーは2000年に発売されたソリド製です。ソリドの4500シリーズ(型番45**)は1950-1970年代の往年の名車をモデル化したシリーズで、細かなパーツを省いてシンプルに作ってありましたので当時の値段は約2000円と安価でした。ただ安価ながらも基本的なプロポーションは正確で、フロントグリルの造形など肝心な部分はしっかり押さえた作りでした。このアウレリア B20 GTもフロント周りの造形など実車の雰囲気がうまく再現された良い出来ばえで、室内などの細部もそこそこ良く再現されていました。これ以外のアウレリアのミニカーはマーキュリーの当時物でB10 セダン、ノレブのプラスチック製当時物でB20 GTがありました。当時物以外ではブルム、イクソ、エリゴール、スパーク(レジン製)などでB20 GT、ブルム、Bブラーゴの1/18、スパーク(レジン製)などでB24 スパイダーがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 375 F1 イタリア 1951年
前述したようにフェラーリ初のF1マシンは1.5L スーパーチャージャー付エンジン搭載の125 F1でした。125 F1の過給エンジンはハイパワーながら燃費が悪かったので、燃料補給のピットインが多いというデメリットがありました。そこでエンジン設計者 アウレリオ ランプレディが新しい自然吸気エンジンの開発を行い、まず1気筒の排気量が275ccであることから275エンジンと呼ばれるV型12気筒3.3L(300HP)エンジンが完成しました。このエンジンを125 F1のシャーシに搭載した275 F1が1950年に登場しました。(名前は全てエンジン1気筒当たりの排気量を示しています)
エンジン排気量はすぐに拡大され、シャーシを新しくした4.1Lの340 F1、4.5Lの375 F1が1950年に登場しました。1950年のF1 レースではアルファ ロメオ 159が圧倒的に強く、340/375 F1はほとんど活躍していません。1951年に375は380HPにパワーアップし、アルファ ロメオ 159の性能に迫りました。イギリス GPで375 F1(ドライバー F.ゴンザレス)はアルファ ロメオを制してフェラーリに初勝利をもたらしました。その後はフェラーリが勢いを増し、続くドイツGP、イタリアGPでも勝利しました。1952年にはチャンピオンシップをフォーミュラ2(F2)マシンで行うことになった為、375 F1はインディ 500などのF2以外のレースで使われました。375エンジンは市販スポーツカーにも使われました。
ミニカーは1993年に発売されたブルム製です。1951年のイタリア GP 優勝車(ドライバー A.アスカリ)をモデル化しています。1950年代のレースカー(F1)の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとして良い出来ばえでした。なお1980年代のブルム初期のレースカーのミニカーと比べると、タイヤのホワイトレター印刷やデカール処理など仕上げがレベルアップしていました。(ただ当時一級品であったミニチャンプスほどリアルな仕上げではなく、ブルム流ではありましたが) ブルムはイギリスのプライベーターが使ったシンウォール スペシャル仕様やインディ 500仕様もモデル化しています。これ以外の375 F1のミニカーではカルツォ、イクソ、マテルなどがあります。 以下はフロントの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ジャガー C タイプ イギリス 1951年
前述したようにジャガー XK120はその優れた性能と魅力的なデザインで、アメリカ市場など世界中で大ヒットし、ジャガーの名声を確立しました。ジャガーは自社のスポーティなイメージをさらに高める為、XK120をベースにしたレーシングカーでルマンに参戦することにしました。その目的で開発されたのがC タイプ(XK120C)で、1951年に完成しました。 XK120がベースとはいうものの、シャーシはラダーフレーム構造から鋼管スペースフレーム構造にかわり、リアサスペンションも変更されていました。総アルミ製ボディも別物ですが、フロントグリルとヘッドライトあたりにXK120のイメージをもたせたデザインになっていました。
この時代のルマン出場車は公道走行できたので、C タイプはルマンのサルト サーキットまで自走していったそうです。ジャガーの思惑通りに1951年ルマンでC タイプは初優勝しました。1952年ルマンでは空力を改善するために小型化したフロントグリルが冷却性を低下させ、オーバーヒートで全車リタイアしました。1953年ルマンでは、フロントグリルをもとに戻しエアスクープを追加してオーバーヒートを回避し、レーシングカー初のディスクブレーキを前輪に装着するなどしたC タイプ改良型が優勝しました。(実車画像→ ジャガー C タイプ 1953)
ミニカーは2003年に発売されたブルム製です。C タイプのストリート仕様車をモデル化しています。この頃のブルムは初期の物(前述したXK120など)に比べるとホイールやコクピットなど細部の仕上げレベルが上がり、かなり良い出来ばえになっていました。ブルムは1951年と1953年のルマン出場車など20種類ほどのバリエーションを作っていました。ブルム以外のC タイプのミニカーはトップモデル、オートアートの1/43と1/18、イクソ、CMCの1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード コンサル イギリス 1951年
イギリス フォードの戦後の新型車であるコンサルは1951年に登場しました。アメリカで発表された1949年型フォードはフラッシュサーフェス(前後フェンダーがボディと一体化している)デザインを採用したことで大きな話題となりました。コンサルはこの1949年型フォードをベースとしていて、フラッシュサーフェスを採用したモノコック ボディ、前輪独立懸架サスペンション、OHVエンジンなど戦後のフォードの基本となった革新的な車でした。戦前型フォードのデザインと比べて見ると、画期的なデザインであったことがよく分かります。4気筒1.5L(41HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速116km/hの性能でした。
コンサルと同時期にボディを10cmほど長くして、6気筒2.3L(59HP)エンジンを搭載したゼファー(ZEPHYR)も登場しました。こちらは前述したV8 パイロットの後継車で、3段変速で最高速129km/hの性能でした。コンサル、ゼファーとも2ドアコンバーチブルが追加されました。コンサルは1956年にデザインを一新してMK IIに発展し1962年まで生産されました。なお1952年にはドイツ フォードからコンサルと同じような外観デザインとシャーシを持つタウナス 12Mが登場しました。(ただしエンジンは異なりますが) (実車画像→ フォード コンサル MK II 1960)
コンサル 初代のミニカーは1956年に発売されたコーギー製の当時物ぐらいしかなく、それは滅多にお目にかかれないレア物です。このミニカーの画像は海外のWEBオークションサイトに出品されていた当時物の画像を流用させてもらいました。1950年代のビンテージミニカーでしたので、素朴な作りで、室内はがらんどうになっています。それでもプロポーションが良く、実車の雰囲気がうまく再現されていました。
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