ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

AUTO AVIO COSTRUZIONI (FERRARI) 815 1940 ITALY

AUTO AVIO COSTRUZIONI (FERRARI) 815
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO AVIO COSTRUZIONI (FERRARI) 815


BRUMM R066 1/43 全長 95mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4m エンジン 変速機: 8気筒 1.5L 72HP 4段変速
性能: 最高速170km/h  データーベースでフェラーリ 815のミニカー検索

アウト アビオ コストルツィオーネ (フェラーリ) 815 イタリア 1940年

 

 アルファ ロメオ社のレーシングドライバーであったエンツォ フェラーリが、レース活動を行うためにスクーデリア フェラーリ社を1929年に設立しました。エンツォはアルファ ロメオのワークスチームのマネージャーを務めていましたが、1939年にその職を退きました。エンツォはスクーデリア フェラーリ社をアウト アビオ コストルツィオーネ社(自動車と航空機の製造会社という意味)に改名し工作機械などの製造を始めました。

 

 退社時のアルファ ロメオとの約束で、数年間は自身の名前を冠したレーシングカーを製造できないことになっていましたが、エンツォは密かにレーシングカー 815を開発しました。この車が事実上の最初のフェラーリでしたが、正式の車名は上記の約束からアウト アビオ コストルツィオーネということになっていました。この車はフィアット 508C バリッラをベースにした車で、8気筒1.5L(72HP)エンジンを搭載していたので815という名前でした。最高速は170km/hと高性能で、2台製造されて1940年のミッレ ミリアに出場しましたが、リタイヤしています。エンツォは第2次大戦後の1947年にフェラーリ社を創立し、再びスクーデリア フェラーリの名前でレースに参戦しました。なおこの車は戦前の車ですが、フェラーリ社の歴史を説明する都合上この戦後期に記載しています。

 

 

 ミニカーは1982年に発売された初期のブルム製です。1980年代の初期のブルムのミニカーは当時としては良い出来ばえでした。このアウト アビオはフロント周りの造形に今ひとつの感じもありますが、実車の雰囲気がそれなりに再現されていました。特徴的なヘッドライトのカバーの形状は、本来はもう少し六角形に近い形状をしています。アウト アビオの量産ミニカーは最近までこのブルム製しかなかったので、その点では貴重なミニカーでした。1996年にトップモデル(レジン製)でモデル化され、2008年にイクソが出来の良いアウト アビオをモデル化し、それをベースにしてミニカー付雑誌の「フェラーリ コレクション」でもモデル化されました。レジン製ではルックスマートやテクノモデルでもモデル化されています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

AUTO AVIO COSTRUZIONI 815 1
AUTO AVIO COSTRUZIONI 815 2

 以下は1982年に発売されたブルム製のアウト アビオ コストルツィオーネ 815 #66 ミッレ ミリア 1940 (1/43 型番R067)の画像です。上記のバリエーションで、1940年のミッレ ミレアに参戦した車をモデル化しています。レースの結果はBMW 328が優勝し、このアウト アビオ #66はリタイアしています。ゼッケンが付いていること以外は上記のノーマル仕様とほとんど同じです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
AUTO AVIO COSTRUZIONI (FERRARI) 815 MILLE MIGLIA 1
AUTO AVIO COSTRUZIONI (FERRARI) 815 MILLE MIGLIA 2

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WILLYS MB JEEP 1942 USA

WILLYS MB JEEP
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
WILLYS MB JEEP


JAPANESE CAR COLLECTION (IXO HACHETTE) No.238 1/43 全長 80mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.36 m 全幅約1.56m エンジン 変速機: 4気筒 2.2L 60HP 3段手動変速(2段副変速付)
性能: 最高速105km/h  データーベースでジープのミニカー検索

ウィリス MB ジープ アメリカ 1942年

 

 第2次世界大戦中のドイツ軍のキューベルワーゲンの活躍に注目したアメリカ陸軍は小型4輪駆動車の開発を自動車メーカーに依頼しました。小型車開発経験がないGMやフォードは対応出来ず、小型車メーカーのバンタム社が設計した試作車が採用されることになりました。バンタム社の生産能力を危惧した陸軍は、2次試作車をバンタム社、ウィリス社、フォード社に設計させ、最終的に採用されたのがウィリス社のMA型でした。フロントグリルにフォード社のデザインを採用したMB型が量産仕様で、フォード社も生産能力を評価されてGPW型として生産を行いました。この車はジープと呼ばれ1942年から実戦配備されました。

 

 はしご型フレームに前後ともリーフスプリングで吊ったリジットアクスルという頑丈な構造に、簡易なオープンボディを載せたジープのスタイルはその後のこの種の軍用車のお手本となりました。なおジープの4輪駆動は滑りやすい路面でのみ4輪駆動に切り替えるパートタイム方式でした。第2世界大戦中にウィリス MB型とフォード GPW型のジープは約60万台生産されました。戦後もアメリカでは後継のCJ型が生産され、フランスのオチキスや日本の三菱自工などでもライセンス生産されました。当初のジープという名前は俗称でしたが、後にウィリス社が商標登録し、現在はクライスラー社のブランドです。

 

 

 ミニカーは2015年に発売されたアシェット製の国産名車コレクションでメーカーはイクソです。イクソは系列にビクトリア(VICTORIA)という軍用車専門のブランドがあり、1998年にそのブランドの型番R001でもほぼ同じものが発売されています。特徴的なフロントグリル、簡素な室内など実車がリアルに再現されていて安価な雑誌付きミニカーながら良く出来ていました。ジープのミニカーは多くのミニカーメーカーが手掛けていて、様々なバリエーションがあります。三菱のジープはトミカ、ダイヤペット、エーダイ、国産名車コレクションなどがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

WILLYS MB JEEP 1
WILLYS MB JEEP 2

 以下は上述した1998年に発売されたビクトリア製のウィリス ジープ クローズド トップ D-DAY 1944 (1/43 型番R001)の画像です。D-DAYとは第2次大戦で連合軍のノルマンディー上陸作戦が行われた1944年6月6日を意味し、この作戦に使われたジープをモデル化しています。したがって白い星の国籍マークが付いたアメリカ軍仕様になっています。上記の国産名車コレクションはこれを流用しているので同じように見えますが、こちらはウインドースクリーンを倒すことが可能で(これは幌前端で固定されていますが)、左側面にスコップやアンテナが追加されていて、室内のインパネなども仕上げが変えてあります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
WILLYS MB JEEP 3
WILLYS MB JEEP 4

 以下はフロント(ボンネット拡大)/リアの拡大画像像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
WILLYS MB JEEP 5
WILLYS MB JEEP 6

 以下は上記の2台を並べてみた画像です。ビクトリア製の方がウインドースクリーンが大きいので車高が高くなっています。リアに備えてあるジェリ缶も形状が異なっています(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
WILLYS MB JEEP 7

 以下は1984年に発売されたソリド製のウィリス ジープ ラリー (1/43 型番1331)の画像です。ソリドはジープを数種類モデル化していましたが、これは軍用車ではなくラリー仕様ということでロールケージが追加されています。定価が600円の廉価版ミニカーでしたが、フロントスクリーンが倒せるギミック付きで、床下部分の4WD駆動系のドライブトレーンも結構きちんと再現しているなど値段以上の良い出来ばえになっていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
WILLYS MB JEEP 9
WILLYS MB JEEP 10

 以下はフロント(フロントスクリーンを倒す)/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
WILLYS MB JEEP 11
WILLYS MB JEEP 12

 以下は1960-1970年代に発売されたRW モデル製のウィリス ジープ (1/43 型番300)の画像です。クラシックカーのミニカーではZISS(チィス)ブランドで知られているドイツのMINI-AUTO社がRW MODELLのブランド名で発売したものです。50年以上も昔のビンテージ物ですが、当時のミニカーとしてはよく出来ていました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
WILLYS MB JEEP 13
WILLYS MB JEEP 14

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
WILLYS MB JEEP 15
WILLYS MB JEEP 16

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戦後のイギリス国産自動車メーカーの変遷 1944 UK

第二次大戦後、外国資本から自国資本を守るためイギリスの国産自動車メーカーは団結してBMC(ブリティッシュ モーター コーポレーション)を結成しました。その後も国産自動車メーカーは合併・分裂等を続けました。その変遷を以下のように年表にまとめました。

makers

 1952年に誕生したBMCはライレー、MG、モーリス、ウーズレーを有するナッフィールド グループと、オースチン、バンデン プラを有するオースチンが合併して生まれました。BMCは伝統のある各ブランドの個性を守りながら部品の共通化と車種統合を進めました。1966年には、ジャガーとデイムラーを加えBMH(ブリティッシュ モーター ホールディングス)となり、1968年には、トライアンフと大型商用車レイランドを有するレイランド グループと、ローバー、ランドローバー、アルビスを有するローバー グループを併合しBLMC(ブリティッシュ レイランド モーター コーポレーション)に発展しました。

 BLMCは1975年に財政再建の為に国有化され、BL(ブリティッシュ レイランド)と改名されました。1984年にはジャガーが分割民営化され、オースチン ローバー グループに変わりました。この時点でジャガー、ミニ、ローバー、MG以外のブランドは全て消滅してしまいました。

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戦後の日本国産自動車メーカーの動向 1945 JAPAN

 戦後日本の自動車産業はGHQ(連合国最高司令官総司令部)による統制下に置かれました。GHQはまず1945年9月にトラックの生産を許可し、1949年には乗用車の生産制限が解除されました。戦時中からの自動車産業の停滞により、国産メーカーの技術力は欧米メーカーに大きく遅れをとっていました。当時の通産省は自動車産業を保護・育成する政策を打ち出し、国産自動車技術の向上を図る為に「道路運送車両法」(1949年6月)を公布し、「乗用自動車関係提携及び組立契約に関する取扱方針」 (1952年10月)によって外国自動車メーカーとの技術提携の道を開きました。

 その方針に従って国産メーカー各社は優れた技術を吸収するべく、欧州メーカーとの技術提携を始めました。三菱自動車の前身の東日本重工業がアメリカのカイザー フレイザーと、日野自動車はフランスのルノーと、日産自動車はイギリスのオースチンと、いすゞ自動車はイギリスのヒルマンと技術提携を結び、ノックダウン方式による乗用車の生産を始めました。なお国産技術にこだわりを持つトヨタ自動車は欧米メーカーとの技術提携は行わず、独自技術による自動車開発を進めました。こうして1950年代になると、国産自動車メーカーから次々と自動車が発売されるようになりました。

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ARMSTRONG SIDDELEY LANCASTER 1945 UK

ARMSTRONG SIDDELEY LANCASTER
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ARMSTRONG SIDDELEY LANCASTER


OXFORD ASL001 1/43 全長 111㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.78m 全幅 約1.73m エンジン 変速機: 6気筒 2L 70HP 4段変速
性能: 最高速 不詳  データーベースでアームストロング シドレーのミニカー検索

アームストロング シドレー ランカスター イギリス 1945年

 

 アームストロング シドレー社はアームストロング ホイットワース(Armstrong Whitworth)社とシドレー ディーシー( Siddeley-Deasy)社が合併して1919年に設立された会社で航空機エンジン製造で有名でしたが、自動車製造でも高級車メーカーとしても高い評価を得ていました。アームストロング シドレーの自動車部門は創業当初から高級車市場をターゲットとしていました。同社の乗用車は、その堅牢な作り、信頼性、そして上質な乗り心地で知られ、「英国人好みの渋い中型サルーン」と評されました。

 

 第2次世界大戦後の1945年に4ドアセダンのランカスターとそれをベースにした2ドア クーペのハリケーンが登場しました。ランカスターはトーションバーによる独立懸架式フロントサスペンションとリーフスプリングを備えたリアアクスルを特徴とし、6気筒2Lエンジンを搭載したスポーティな高級セダンでした。1950年代には4気筒2.3L/6気筒2.3L/3.4Lエンジンを搭載する4ドアセダンのサファイア シリーズが登場しました。特に6気筒3.4L(150HP)エンジンを搭載したサファイア 346は、最高速160km/hと非常に高性能でした。

 しかし同社の自動車は同じカテゴリーのジャガーのようなブランド力がなく高価であった為、あまり売れませんでした。航空機産業の再編が進み、アームストロング シドレーの航空機エンジン部門は1966年にロールス ロイスの傘下となって消滅し、自動車製造部門もライバルの台頭で1960年代に消滅しました。

 

 

 ミニカーは2011年に発売されたオックスフォード製です。アームストロング シドレー ランカスターの初期型をモデル化しています、オックスフォードは2009年頃から輸入されるようになったイギリスの新ブランドで、老舗のコーギーのブランドであるバンガーズに似たノスタルジックな作風で、主に古いイギリス車をモデル化しています。このランカスターも特別に凝ったところはありませんが、特徴的なフロントグリル周りがうまく再現されていて最近のミニカーとして良く出来ていました。また室内もそこそこ良く仕上げてありました。オックスフォードはバリエーションでアームストロング シドレー ハリケーン、サファイアなど15種類ほどをモデル化しています。アームストロング シドレーの当時物ミニカーはディンキーやスポットオンがモデル化していました。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

ARMSTRONG SIDDELEY LANCASTER 1
ARMSTRONG SIDDELEY LANCASTER 2

 以下は同時期に発売された同じオックスフォード製のアームストロング シドレー ハリケーン (1/43 型番ASH001)の画像です。ハリケーンは上記のランカスターをベースにしたドロップヘッドクーペ(カブリオレ)でした。上記のバリエーションでしたから、ランカスターと同じような良い出来ばえでした。ただ何故かこちらにはフェンダーミラーが付いていません。(実車画像→ アームストロング シドレー ハリケーン) (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ARMSTRONG SIDDELEY HURRICANE 1
ARMSTRONG SIDDELEY HURRICANE 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
ARMSTRONG SIDDELEY HURRICANE 3
ARMSTRONG SIDDELEY HURRICANE 4

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