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メルセデス ベンツ 500K ロードスター ドイツ 1934年
ポルシェ博士が設計したスポーツカー メルセデス ベンツのSシリーズの後継車のKシリーズとして380K(8気筒3.8L 90HP過給時140HPエンジン搭載)が1933年に登場しました。(KはKOMPRESSOR:過給器の意です) 380Kは翌年には500K(5L 100HP過給時160HP)、1936年には540K(5.4L 120HP過給時180HP)と排気量を拡大していきました。全輪独立懸架、全輪サーボ付油圧ブレーキなど先進的な技術が使われ、380Kの最高速は145km/h、500Kの最高速は160km/h、540Kのの最高速は170km/hと当時最も高価で高性能な車でした。
Kシリーズには2/4ドアサルーン、4座クーペ/カブリオレ、2座ロードスターなどのボディが架装されましたが、派手な2座ロードスターが一番良く知られています。なおSシリーズはレーシングカーとしても活躍したのですが、Kシリーズは高級ツーリングカーでレースで使われることは無かったようです。380Kは約150台、500Kは約300台、540Kは約400台が生産されました。540Kの価格は当時の一般的な車の10倍以上でしたので生産台数は少なく、ユーザーは王侯貴族など一部の富裕層でした。
ミニカーは1/24サイズのフランクリン ミント製で、1986年にフランクリン ミントの通信販売だけで販売されました。当時の価格は18000円(現在の感覚では約4万円相当)と高価でした。500Kでも一番派手な2座のロードスターをモデル化しています。サイズが大きいので細部まで精密に再現されていて非常に素晴らしい出来ばえでした。現在の1/18の精密ミニカー(オートアートなど)と比較しても、ほぼ同じぐらいの精密さでした。この500Kは最近まで続いていたフランクリン ミントのプレシジョン モデル(ダイキャスト製精密ミニカー)の最初のミニカーでした。当時の大スケールミニカーは1/43を大きくしただけの雑な作りのものが多かったのですが、この500Kはそれらとは別格の出来ばえで非常に高く評価され、少なくとも数万台は販売されたはずです。
この成功はその後のプレシジョン モデルのシリーズ化につながりました。プレシジョン モデルは主に1/24サイズのクラシックカーが中心で、現在までに1/43、1/18、1/12なども含めると約800種類ほどがモデル化されました。 いずれも少し高価でしたが、ドアなどの可動部が多く、エンジン/シャーシ/サスペンションなどのメカ部分も再現した極めて精密なものでした。1990年代半ばまでは精密な大スケールミニカーといえば、フランクリン ミントがベストでしたが、その後オートアートなどフランクリン ミントより安価なミニカーが登場しその座を奪われました。またプレシジョン モデルは部品点数の多い精密なミニカーを中国で生産するといった生産方式の先がけとなりました。
以下この時代を先取りした精密なミニカーの詳細を紹介します。ボンネット/ドア/ランブルシートが開閉するギミック付きでエンジンが再現され、さらにステアリングホイールと連動して前輪を操舵できます。現在の感覚ではフロントグリルや内装は格別に精密とは言えませんが、床下のサスペンションなどのメカ部分は現在のミニカーと遜色ないぐらいリアルでした。現在ではサスペンションなどのメカ部分のパーツにプラスチックが使われていますが、これはダイキャスト製なのでその分だけ質感がリアルでなおかつ頑丈にできていました。なお立てた状態の幌(軟質プラスチック製)も付属していました。以下はフロント/リアの拡大画像と前輪操舵動作の画像とシート背後のランブルシート(折畳式補助席)の展開画像です。ランブルシートにはリアの左側リアフェンダー上にあるステップに足を掛けて乗り込みます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


























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メルセデス ベンツ W25 ドイツ 1934年
自動車の歴史にモータースポーツは欠かせないものですが、現在のF1(フォーミュラ1)のような規格化された車(グランプリカー)によるレースが始まったのは1930年代からです。それ以前にも緩い規格はありましたが、1934年に総重量が750kg以下、ボディ全幅850mm以下という規格(エンジンに関しては無制限 俗称:750㎏フォーミュラ)が決まり、1937年まで適用されました。
それまでSシリーズでレースを席巻してきたメルセデス ベンツはこの規格に対応する車としてW25を開発しましたす。W25は8気筒3.4Lエンジンを搭載し徹底的な軽量化で重量を750㎏以下に抑え、流線形ボディ、全輪独立サスペンションを採用するなど古典的な設計のSシリーズとは全く異なる画期的な車でした。W25は緒戦から勝利を重ね、1935年には圧倒的な強さをほこり、ドライバーの R.カラッチオラはドライバーズ選手権チャンピオンとなりました。W25のエンジンは1936年には4.7L(473HP)に拡大されましたが、重量を750㎏以内に収める為シャーシ軽量化(ホイールベース短縮)が行われ操縦性が低下しました。そこで1937年に後継車のW125が登場しました。
当時のドイツはヒットラーが率いるナチス党が政権を握っていました。ヒットラーは国威発揚の手段としてモータースポーツを利用することを決め、国策としてメルセデス ベンツとアウトウニオンを援助しました。それゆえ第2次世界大戦前のグランプリレースでドイツ勢は圧倒的な強さを発揮しました。
W25のミニカーは最近まで戦前のメルクリン製しかありませんでした。(とてつもないレア物です) それは1980年代に復刻版が作られており、たまにオークションなどに出品されているのは復刻版です。このミニカーは2009年に発売されたスパーク製で、画像はWEBサイトから借用しました。W25のボディはアルミ地肌の銀色ですが、これはプロトタイプをモデル化しているので白色になっています。なおスパークはW25の速度記録車仕様(クローズドルーフ仕様)もモデル化しています。これ以外のW25のミニカーはCMCの1/18ぐらいしかないようです。
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メルセデス ベンツ 150 スポーツ ロードスター (W30) ドイツ 1935年
メルセデス ベンツ 150は前述した130Hをベースにして開発された2シーター クーペ/ロードスターで、ごく少数が1935年に生産されました。私が参考にしていた昔の書籍では、この車のシャーシは130Hと同じで後車軸より後ろにエンジンが配置されていると記載されていました。しかし今回この車についてWEBなどで調べたところ、エンジンがミドシップ配置されていたことが分かりました。(参照WEBサイト→ Mercedes-Benz 150 Sports Roadster) つまりこの車は世界初のエンジンをミッドシップ搭載したスポーツカーだったことになります。
メルセデス ベンツ 130Hと同じエンジン配置にしてはリアシートの後ろのスペースが大きすぎるように思っていたのですが、ミドシップ配置であったことが分かり納得しました。またエンジンも排気量の拡大だけではなくバルブがサイドからオーバーヘッドに変更され55HPの高出力で、最高速125km/hとかなり本格的なスポーツカーを目指していたようです。ただこの当時に価格が130Hの倍もする2シーターの小型スポーツカーを買うような人はおらず、数台しか売れなかったようです。
ミニカーはイクソ製で元々はミニカー付き雑誌「MERCEDES-BENZ COLLECTION」のNo.17として2007年頃に作られたミニカー(ボディカラーは赤)で、これはその色違いで当方はネットオークションで入手しました。これと同じものがイクソのミュージアム シリーズでは型番MUS018(ボディカラーは銀色で仕上げがレベルアップしている)で2009年に発売されています。独特なリアデザインのボディが良く再現され、実車の雰囲気がうまく再現されていました。グリルの無いフロント、スリット/開口部のあるリアの造形、サイドのスペアタイヤなどの細部もリアルで、安価な雑誌付きミニカーながら良く出来ていました。前述したメルセデス ベンツ 130H同様に150もこれが初めての量産ミニカーで、ベンツ車の歴史を知る上で貴重なミニカーです。(2024年現在でもこのイクソ製以外の150のミニカーはありません) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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メルセデス ベンツ 260D (W138) ドイツ 1936年
ベンツは1909年にディーゼルエンジンの特許を取り、1923年に世界初のディーゼル トラックを発売しました。同時期にディーゼルエンジンを開発していたダイムラー社とベンツ社が合併して1926年にダイムラー ベンツ社となりました。ダイムラー ベンツは乗用車向けのディーゼルエンジンの開発を進め、ボッシュによる燃料噴射ポンプの開発などの協力を得て小型軽量化した乗用車向けディーゼルエンジンを開発しました。
戦前の中型車メルセデス ベンツ 230 (W21 6気筒2.3L(55HP)エンジン搭載)に、4気筒2.6L(45HP)のディーゼルエンジンを搭載したのが260Dで、世界初のディーゼルエンジン搭載乗用車として1936年に登場しました。経済性に優れたディーゼルエンジンを搭載した260Dはタクシーや商用車として使われることを想定した車で、実際に初期の260Dは全てタクシーとして使われました。1937年以降の260Dは新型中型車230(W143)をベースにしたものに変わり、個人ユーザー向けのディーゼル乗用車としても普及していきました。現在のヨーロッパで普及しているディーゼルエンジン搭載乗用車の元祖が260Dでした。
ミニカーは2010年に発売されたイクソ製です。メルセデス ベンツ 260D 初期型のタクシー仕様をモデル化しています。緑/黒のボディカラーはタクシーのカラーリングで、室内を見ると運転席と後席の間にパーティション(仕切り)があることが分かります。またリアには荷物を載せるラックを備えています。出来ばえはイクソのこのMUSシリーズの標準的なもので、木材を模した室内の茶色のパーティション、メーターパネルなど室内もそこそこ良く再現されていました。なおドアミラーの手前にある縦長の箱は腕木式の方向指示器を再現しています。(腕木式方向指示器を知らない方はWEBで検索してみてください) 実車はメルセデス ベンツ博物館に所蔵されていて、その画像は参照画像リンクで見ることができます。所蔵されているモデルは1938年式でミニカーとはボディカラーや補助灯などが少し異なっています。これ以外の260Dのミニカーはイクソの別ブランド(廉価版)のホワイトボックスの型番 WB018とヴェーキングの1/87があります。 以下はフロント(フロントグリル上のエンブレム拡大/腕木式方向指示器拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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メルセデス ベンツ 170V (W136) ドイツ 1936年
サラブレッド期のメルセデス ベンツは前述したような高級車ばかり作っていた訳ではありませんでした。1931年に発表されたメルセデス ベンツ 170 (W15)はメルセデス ベンツとしては大衆向けの小型車で、6気筒1.7L(32HP)の小さなエンジンを搭載し4段変速で最高速90km/hの性能でした。小型車にも6気筒エンジンと全輪独立懸架サスペンションを採用したあたりがメルセデス ベンツらしいところでした。1936年にエンジンが4気筒1.7L(38HP)に変わり丸みを帯びた近代的なデザインの170V(W136)に変わりました。170VのVはドイツ語 VIER(4の意)だと思っていましたが、正しくはVORN(フロントの意)でフロントエンジンを意味し、同時期のリアエンジンの170H (HはHECK リアの意)と区別する為に付けたそうです。(実車画像→ メルセデス ベンツ 170 1931)
当時のメルセデス ベンツのラインアップとしては、170の上に1936年発表の中級車230(6気筒エンジン搭載)、その上に1937年発表の320(6気筒エンジン搭載)がありました。また170より小さい130Hというベンツとしては風変わりな車(リアエンジンで後のフォルクスワーゲン ビートルに似ている)もありました。170Vにはカブリオレ、2座のロードスター、商用車(バン 、トラック)などもあったようです。170Vは息の長いモデルで戦時中には軍用車として使われ、戦後もディーゼルエンジン搭載の170Dや上級仕様の170Sが追加され、1955年まで生産されました。総生産台数は約15万台でした。
ミニカーは2005年頃に発売されたサンスター傘下のビテス製です。170Vの4ドアセダンをモデル化しています。このセダンは前後ドアのヒンジがセンターにある逆観音開きの4ドアです。プロポーションが良くフロントグリルやエッチング材のワイパーなど細部もリアルで良く出来ていました。ビテスはサンスター傘下となる前に170Vをモデル化していましたので、これはそれの細部をリファインしたものでした。サンスター傘下となる前のビテスの170Vにはカブリオレや商用バンなど十数種類ほどのバリエーションがありました。ビテス以外の170Vのミニカーはシュコーの1/18と1/43と1/90、ブッシュの1/87、イクソなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)







