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グラース ゴッゴモビル T250 ドイツ 1955年
1895年に創立したドイツの老舗農機具メー カーであったグラース社は、第2次大戦後にスクーター市場に進出しました。1951年にイタリアのピアッジオ社のベスパによく似た125㏄エンジンを搭載したゴッゴローラーという名前のスクーターを開発し販売しました。このゴッゴという名前は創立者ハンス グラースの孫の愛称にちなんだものでした。(実車画像→ グラース ゴッゴローラー)
スクーターがヒットしたことで、1955年にゴッゴモビルという名前の超小型車を開発し4輪車市場に進出しました。ゴッゴモビル T250はリアに空冷2ストローク2気筒247cc 14HPエンジンを搭載した超小型の4座セダンでした。ゴッゴモビルには296㏄エンジンのT300、385㏄エンジンのT400、クーペのTS、商用バンのトランスポーターのバリエーションがありました。(実車画像→ グラース トランスポーター) 1957年には600㏄/700ccエンジンを搭載した少し大きなサイズのゴッゴモビル T600/T700(イザール ISARD)が追加されました。当時のドイツには似たような超小型車(メッサーシュミットやロイトなど)がありましたが、ゴッゴモビルはオーソドックスな設計で実用性が高く成功を収めました。1969年まで生産され、総生産台数は約28万台でした。
さらに1962年には4気筒1Lエンジンを搭載したグラース 1004を開発し本格的な乗用車市場へも進出しました。(実車画像→ グラース 1004) この車はイタリアのピエトロ フルアによるセンスの良いデザインでした。その後もグラースの上級指向は続き、BMWクラスの中級車にまで進出しますが、さすがにそのクラスでは苦戦が続きました。1965年にはメルセデス ベンツに肩を並べる高性能GTカーの2600 V8(V型8気筒2.6Lエンジン搭載)まで発表しますが、これが最後の花となり、結局経営が行き詰まり1966年にBMWに吸収合併されました。
ミニカーは1995年に発売されたシュコー製です。実車の雰囲気が良く再現された良い出来ばえで、小さいながらも非常に凝った作りとなっています。前開きのドアが開閉でき室内がそこそこ良く再現され、リアのフードを開くと簡単な造形ですがエンジンも付いています。 小さなドアミラーが付いていますが、これはミニカーの箱に添付されていて自分で取り付けるものでした。これ以外のゴッゴモビルのミニカーはジク(SIKU)の当時物の1/60のセダンとクーペ、当時物以外ではブレキナの1/87、BUB プレミアムクラシックスのセダン/カブリオレ/バン(トランスポーター)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ファセル ヴェガ FV フランス 1955年
ファセル社は第2次大戦前の1939年に実業家ジャン ダニノ(Jean Daninos)によって家具や工作機械のメーカーとして設立され、戦後は自動車メーカーからの委託でボディ製造を行っていました。特にパナール向けのアルミボディ製造はファセルの収入源でしたが、パナールがボディを内製化したので、ファセルは1954年からその製造設備で自社ブランドの高級車ファセル ヴェガの製造を始めました。最初に作られたファセル ヴェガ FVは、全長が4.6mほどの大型の2ドアクーペで、当時最強であったクライスラーのV型8気筒(4.5L 180HP)エンジンを搭載していました。ファセル ヴェガの主たる市場は北米で、当時の高級スポーツカー メルセデス ベンツ 300SLを彷彿させるデザインになっていました。ただクロームモールの使い方は戦前の超高級車ドラージュあたりを思わせるフランス風の感じになっていました。
ファセル社は元々家具メーカーだったので、内装などの仕上げは高級で、高性能エンジン搭載で動力性能も高かったようです。ただ操縦性やブレーキ性能に関しては新興メーカーが設計した自動車でしたので、あまり期待できなかったようです。1958年にはエクセレンスと称する4ドア仕様が追加されました。ファセル ヴェガ FVは1959年にV型8気筒5.8L(335HP)エンジンを搭載したファセル ヴェガ HK500に発展し、1962年にはV型8気筒6.3L(355HP)エンジンを搭載したファセル ヴェガ ファセル II (ヴェガ II)に発展しました。さらにFVを小型化したファセリアが1960年に登場しました。
ミニカーは2005年に発売されたイクソ製です。このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「Nos cheres voitures d'antan」(英訳:Our dear Cars of Yesteryear)シリーズのNo.16として作られた物で、これはそれをイクソのカタログ仕様としたものでした。元の雑誌付きミニカーよりフロントグリルや灯火類の仕上げレベルが上げられていて、高級な雰囲気がするカラーリングが綺麗で、かなり良い出来ばえとなっていました。室内もそこそこうまく再現されていました。ファセル ヴェガ FVの量産ミニカーはこれが最初の物でした。これ以外のファセル ヴェガ FVのミニカーはネオ(レジン製少量生産)があります。ファセル ヴェガ HK500のミニカーはイクソ系のノスタルジーとホワイトボックス、サンスターの1/18など、エクセレンスはイクソ、ヴェガ IIはノレブがモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ペガソ Z102 クーペ スペイン 1955年
スペインの高級車メーカーイスパノ スイザは航空機エンジン製造に専念する為に自動車生産から撤退し、その設備を1946年にトラックのメーカーであったENASA(エナサ)社に売却しました。またイスパノ スイザが1940年にスペインの企業グループと共同で設立したSIAT社が現在のフォルクスワーゲン傘下(1980年まではフィアット系列)の自動車会社SEAT(セアト)社の前身となりました。
ENASA社はアルファ ロメオの技術者であったウィルフレード リカルトが設計を担当し、ペガソの名前でスポーツカーを生産しました。1951年に登場したペガソ Z102は、DOHC V型8気筒2.5L(170HP)エンジンを搭載する豪華なスポーツカーでした。ボディは有名なコーチビルダーのソーチックやツーリングが架装し、クーペとスパイダーがありました。3.2L(360HP)エンジンを搭載する高性能版は最高速249km/hと当時最速の量産車(?)でした。その後Z102B、Z102SS、Z103などが登場しましたが、1958年に生産中止となりました。総生産台数は100数十台だったそうです。現在のENASA社はフィアットの商用車部門IVEO(イベコ)傘下になっています。
ペガソ Z102の量産ミニカーは最近までありませんでした。画像は最近になってモデル化されたネオ(NEO)製で材質はレジン製です。(ネオは量産ミニカーとは言えないレベルしか生産してませんが) このミニカーの画像はNEOのWEB SHOPから借用しました。 Z102のボディはコーチビルダーによって異なるのですが、これはツーリング製をモデル化しているようです。これ以外のペガソのミニカーはデアゴスチーニが「DeAgostini Supercars」というミニカー付雑誌(イクソ製)のNo.73でZ102をモデル化しています。
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フィアット 600 1a イタリア 1955年
戦前に登場したフィアット 500(トポリーノ)は、20年を経過した1950年代でもベストセラー車でしたが、さすがに設計の古さが目立ってきました。そこでダンテ ジアコーサ率いるフィアットの技術陣が500の後継車として1955年に登場させたのが600でした。500とほとんど同じサイズの愛嬌のあるデザインながらも、リアエンジン方式を採用したことで4人が乗車でき軽量故に省燃費の経済車でした。水冷4気筒633cc(22HP)エンジンは後車軸の後ろにオーバーハングされて搭載され、4段変速で最高速100km/hの性能でした。1960年頃にはイタリア国内乗用車生産台数の4割を占めるほどの大ヒットとなりました。
1956年にソフトトップ仕様が設定され、さらに3列シートで6人乗りの1ボックス車600 ムルティプラが追加されました。1960年にエンジンを767cc(28HP)に拡大し最高速110km/hに性能アップした600Dに発展しました。1964年にドアが前開きから一般的な後ろ開きになり、1965年にフロントノーズの3本ラインが1本に意匠変更されました。1969年まで生産され総生産台数は約270万台でした。600はスペインのセアト、西ドイツ(当時)のネッカーなどボディやエンジンを変更して世界各国でライセンス生産されました。また600をベースにしたレーシングカーがアバルトやジャンニーニなどで製作されて活躍しました。(実車画像→ フィアット 600D 1965)
ミニカーは1997年に発売されたブルム製です。ドアが前開き式の初期型の600 1aをモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現され、室内などの細部も良く再現してあり良く出来ていました。またエンジンカバーを外すとエンジンルームが結構リアルに再現されていました。バリエーションとしてソフトトップ仕様のトップが開いた物と閉じた物があり、それぞれに色違いが9種類あったので全部で3X9=27種類もバリエーションがありました。(このバリエーション展開の多さはブルムの特徴です) ブルムは後期型の600D、600 ムルティプラもモデル化しています。 600の当時物ミニカーはディンキー、ポリトーイ、マーキュリー、ノレブ初期のプラスチック製、ジク(SIKU)初期のプラスチック製、オートピレンのセアトなどがありました。当時物以外ではディテールカー、イクソ、ソリド、ヴェーキングの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ベントレー R タイプ コンチネンタル イギリス 1955年
1952年にロールス ロイス シルバー ドーンがマイナーチェンジしました。兄弟車であったベントレー MK VIもマイナーチェンジとなりましたが、こちらはベントレー Rタイプ(又はMK VI Rタイプ)と名前を変えました。エンジンが4.3Lから4.6L(132HP)に拡大されシャーシも改良されました。標準スチール製ボディは全長が少し長くなり、トランクが大きくなりました。
R タイプにはベントレーのスポーティさを追求したコンチネンタルというモデルが追加され、H.J.マリナー製の華麗なファーストバック クーペ ボディが架装されました。エンジンは圧縮比を高めて150HPにチューンされており、重量も10%程軽量化されていました。その結果最高速は180km/hを越え「サイレント スポーツカー」と称されたコンチネンタルは戦後ベントレーの傑作車として知られています。コンチネンタルにはH.J.マリナー製クーペ以外にもパークウォードなどがボディを架装していました。1955年にロールス ロイス シルバー ドーンがシルバー クラウドにモデルチェンジした際に、ベントレー R タイプはS タイプにモデルチェンジしました。R タイプの総生産台数は約2300台(コンチネンタルは約200台)でした。
ミニカーはマッチボックスがディンキー ブランドで1993年頃に発売したものです。コレクター向けのミニカーで、灯火類の表現などが往年のディンキー風のややレトロな作風になっていましたが、当時のミニカーとしてかなり良い出来ばえでした。特にコンチネンタルの古典的で伸びやかなファーストバックスタイルがうまく再現され魅力的なミニカーに仕上がっていました。これ以外のR タイプのミニカーは、ミニチャンプスの1/43と1/18のコンチネンタル、ウエスタン モデル(ホワイトメタル製)のセダンとコンチネンタル、スパーク(レジン製)のセダンなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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