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BMW イセッタ 250 商用車 ドイツ 1955年
戦後のBMWが続けた高級車路線は、敗戦直後のドイツでは成立しませんでした。そこでBMWは高級車路線を転換して、小型大衆車の生産を始めました。量産に適した車種としてBMWがライセンス契約を結んだのはイタリアのイソ社の超小型車イセッタでした。おそらくBMWのモータサイクルのエンジンが流用できるので、イセッタが選択されたと思います。ただ高級車メーカーがこのような小型車に切り替えたのですから、よほど財政的に苦しかったのでしょう。
リアに搭載する2サイクル単気筒エンジンの騒音振動対策としてエンジンを自社の4サイクル強制空冷単気筒250cc/300ccエンジンに切り替えて、1955年に発表したイセッタ 250/300は大成功を収めました。この車は2人乗りで、前面にあるドアはステアリングホイールやメーターパネルもろとも前方に開く独特の構造です。なお3輪車のように見えますが、後輪はデファレンシャルギヤを省略した狭いトレッドの2輪となっているので、4輪車です。全長2.4mの非常に小さな車ですが、ライトやワイパーもちゃんとついていて最高速度も84km/hという立派な自動車でした。またこの画像のように荷物台を付けて商用車としても使ったようです。
ミニカーはシュコー製で前述した型番02302のバリエーションで、荷物台の付いた商用車仕様です。型番02302より製作時期が少し新しいので、豆のように小さなワイパーやドアミラーが追加されて仕上げがリファインされています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。フロントの拡大画像で小さなワイパーと左側Aピラーに付いた小さなドアミラーがあるのがわかります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォルクスワーゲン カルマン ギア クーペ (タイプ 14) ドイツ 1955年
フォルクスワーゲン ビートルをベースにして1955年に登場したスポーティーカーがカルマン ギア クーペ (タイプ 14)でした。デザインはイタリアのカロッツェリア ギアによるエレガントなもので、カルマン社がボディを製作していました。1957年にはオープンのカブリオレが追加されました。ビートルがベースでしたので性能的にはたいしたことはありませんでしたが、値段と維持費が安くまた見た目がかっこよかったので「プアマンズ ポルシェ」といわれ人気がありました。
タイプ 14の当初のエンジンはビートルと同じ1.2L(30HP)でしたが、その後ビートル同様に1965年に1.3L(40HP)、1966年に1.5L(44HP)、1969年に1.6L(50HP)と拡大され、1.6Lは最高速140km/hに性能が向上しました。1971年にテールライトが大きくなり、バンパーの形状が変更されました。タイプ 14は1973年まで生産され総生産台数は約44万台でした。ブラジルではタイプ 14をベースにしたカルマン ギア TCが1975年まで生産されました。
1962年にフォルクスワーゲン 1500をベースにして同じギアのデザインながらタイプ 14とは異なる直線的なデザインを持つカルマン ギア 1500 クーペ (タイプ 34)が登場しました。このデザインは当時のアメリカ車(GM シボレー コルベア)を意識したものだったようです。(実車画像→ カルマン ギア クーペ (タイプ 34) 1966) タイプ 34のエンジンは1.5L(45HP)で最高速135㎞/hとタイプ 14より高性能でした。1965年に1.6L(54HP)が追加されました。タイプ 34はデザインが良くなかったのか? 人気が出ず、タイプ 14より先に1969年に生産中止となりました。総生産台数は4万台ほどで、稀少車の類でした。
ミニカーは1992年に発売されたミニチャンプス製です。ミニチャンプスとしては初期物ですが、灯火類やロゴなどの細部がリアルに再現され、古典的ながら魅力的なこの車のデザインが良く再現されています。カルマン ギア タイプ 14の当時物ミニカーはディンキー、メルクリン、国産のミクロペットなどがありました。ミニチャンプス以外の最近の物ではシュコー、ヴィーキング、フランクリン ミントの1/24、京商の1/64、NEO(レジン製)などがあります。カルマン ギア タイプ 34の当時物ミニカーはコーギー、ジク(SIKU)などがありました。最近の物ではミニチャンプス、ヘルパとブッシュの1/87があります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ポルシェ 550A RS スパイダー ジェームス ディーン ドイツ 1955年
フォルクスワーゲンのディーラーがポルシェ 356を改造したミドシップ スパイダーを駆って国内レースで活躍したことに触発されて、ポルシェ社も自らレーシングカーの製作を始めました。1953年に1.5Lエンジンをミドシップ配置した2座スパイダーのプロトタイプが完成し、ルマンに出場してクラス優勝しました。翌年この車はエンジンを4カムシャフトに改造して、550 RS スパイダーとして一般市販されました。なお550とは軽量なアルミ製ボディの乾燥重量が550㎏だったことに由来しています。
この高性能エンジンは前述した356 カレラにも使われました。1955年に550はサスペンションを改良し軽量化された550A RSに変わり、多くはアメリカに輸出されました。前述したポルシェ 356 スピードスターを愛用していた映画俳優のジェームス ディーンは365 スピードスターから550A RSに乗り換えたのですが、1955年にその車でレース場に向かっていた途中に交通事故で死亡しました。
ポルシェ 550の当時物ミニカーは、ソリド、ポリトーイ、ジクなどがありました。当時物以外ではブルムが各種レース仕様のバリエーションを約20種類、シュコーが十数種類、ミニチャンプスが数種類、ジョリーモデルが数種類などたくさんモデル化されています。ジョリーモデルからはジェームス ディーンのつぶれた事故車が型番JL0263で2004年に発売されてます。(悪趣味なミニカーと思いますが→その画像です)
画像のミニカーはブルム製で1996年に発売されました。ジェームス ディーンが愛用していた車をモデル化していて、ゼッケン「130」とリアパネルのナンバープレート「2Z77767」と「Little Bastard(リトルバスターズ)」のロゴは実車に即しています。そこそこリアルで実車の雰囲気が再現されたブルムらしい良い出来ばえです。なおリアフェンダー上の塗装(実車は赤いラインがある)などが実車と異なっているのですが、その塗装や内装を修正した改良版(型番はR234のまま)が2013年に発売されています。(ブルムにはこのような改良版が結構あります) 下はフロント/リアの拡大画像とコクピット周りの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メッサーシュミット カビネンローラー KR200 ドイツ 1955年
ドイツの航空機メーカー メッサーシュミット社は第2次大戦後に航空機の製造が禁止された為、同社の技術者であったフリッツ フェンド(Fritz Fend)が設計した超小型車を製造することにしました。敗戦後のドイツには、BMW イセッタやゴッゴモビルなどの超小型車が登場しましたが、このメッサーシュミット KR200 カビネンローラーもその仲間でした。なおカビネンローラーとは「キャビンのついたスクーター」という意味です。
KR200はまるで戦闘機のように開閉するキャノピーを持った前後タンデム2人乗りの後輪駆動3輪車で、小さなタイヤは戦闘機の後輪を流用したといわれています。エンジンは空冷2サイクル単気筒191cc(10HP)で、約240Kgの軽量ボディ故、最高速90km/hが可能だったようです。(こんな車に乗って90km/hで走ると怖いと思いますが) 画像の幌仕様以外に透明プレクシグラス製ハードトップ仕様と屋根のないスポーツ仕様のロードスター(KR201)もありました。
1956年に航空機の製造が許可されたメッサーシュミット社は、KR200の製造をフリッツ フェンドが設立したFMR社(Fahrzeug Maschinenbau GmbH Regensburg:リーゲンスブルグ車両製作有限会社)に引き継ぎました。ただその後もKR200はメッサーシュミットの名前のままで生産されました。FMR社は1958年にKR200をベースにして、エンジンを500㏄(19.5HP)に拡大し車幅を少し広げて後輪を2輪に変更した高性能版(最高速130km/h)のFMR KT500 (当初はタイガーという名前でした)を登場させました。戦後しばらくして経済が復興すると、この類の超小型車は魅力がなくなり次第に売れなくなり、1964年にKR200は生産中止となりました。KR200/KR201の総生産台数は約4.2万台、TG500は約300台でした。
ミニカーは1994年頃に発売されたドイツのガマ製です。実車が小さいので全長67㎜のずいぶんかわいいミニカーですが、小さいながらも凝ったつくりになっています。キャノピーが開閉し室内のバイクのようなバーハンドルや小さなタイヤなどがしっかり作り込まれています。ガマはハードトップ仕様やTG500もモデル化しています。ガマ以外ではキラルの当時物の1/35、ビテスのKR200/TG500、ブッシュの1/87、シュコーの1/18、オックスフォードの1/76と1/18などがあります。 以下はガマのKR200のフロント/リアの拡大画像と俯瞰/キャビンを開いた室内の画像です。正面中央に付いている3文字のロゴはFMR社のロゴです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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グラース ゴッゴモビル T250 ドイツ 1955年
1895年に創立したドイツの老舗農機具メー カーであったグラース社は、第2次大戦後にスクーター市場に進出しました。1951年にイタリアのピアッジオ社のベスパによく似た125㏄エンジンを搭載したゴッゴローラーという名前のスクーターを開発し販売しました。このゴッゴという名前は創立者ハンス グラースの孫の愛称にちなんだものでした。
スクーターがヒットしたことで、1955年にゴッゴモビルという名前の超小型車を開発し4輪車市場に進出しました。ゴッゴモビル T250はリアに空冷2ストローク2気筒247cc 14HPエンジンを搭載した超小型の4座セダンでした。ゴッゴモビルには296㏄エンジンのT300、385㏄エンジンのT400、クーペのTS、商用バンのトランスポーターのバリエーションがありました。1957年には600㏄/700ccエンジンを搭載した少し大きなサイズのゴッゴモビル T600/T700(イザール ISARD)が追加されました。当時のドイツには似たような超小型車(メッサーシュミットやロイトなど)がありましたが、ゴッゴモビルはオーソドックスな設計で実用性が高く成功を収めました。
1969年まで生産され、総生産台数は約28万台でした。
さらに1962年には4気筒1Lエンジンを搭載したグラース 1004を開発し本格的な乗用車市場へも進出しました。この車はイタリアのピエトロ フルアによるセンスの良いデザインでした。その後もグラースの上級指向は続き、BMWクラスの中級車にまで進出しますが、さすがにそのクラスでは苦戦が続きました。1965年にはメルセデス ベンツに肩を並べる高性能GTカーの2600 V8(V型8気筒2.6Lエンジン搭載)まで発表しますが、これが最後の花となり、結局経営が行き詰まり1966年にBMWに吸収合併されました。
ミニカーは1995年に発売されたシュコー製です。実車の雰囲気が良く再現された良い出来ばえで、小さいながらも非常に凝った作りとなっています。前開きのドアが開閉でき室内がそこそこ再現され、リアのフードを開くと簡単な造形ですがエンジンも付いています。 小さなドアミラーが付いていますが、これはミニカーの箱に添付されていて自分で取り付けるものです。これ以外のゴッゴモビルのミニカーはジク(SIKU)の当時物の1/60のセダンとクーペ、最近の物ではブレキナの1/87、BUB プレミアムクラシックスのセダン/カブリオレ/バン(トランスポーター)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とドアを開いた室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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