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パナール ルヴァッソ-ル 35CV (タイプ X42) フランス 1925年
パナールは第1次世界大戦中は軍用トラックや航空機エンジンなどの軍需品を生産しました。戦後は戦前の4気筒2.2Lエンジン搭載のX19で乗用車生産を再開し、1921年には新開発の4気筒3.2Lエンジン搭載の16CV(X33)と8気筒6.4Lエンジン搭載の35CV(X42)が登場しました。この新開発したエンジンは静粛性に優れたスリーブバルブ エンジンでした。パナールはスリーブバルブを改良することで、スリーブバルブ エンジンの弱点であった高速回転性能を改善し、1925年には4気筒4.8Lのスリーブバルブ エンジンを搭載したレース仕様車が平均速度185.51km/hの国際速度記録を達成しました。
8気筒エンジンを搭載した35CVは当時のロールス ロイスなどと競合する高性能高級車で、コーチビルダーが豪華なボディを架装していました。35CVは1930年まで生産され生産台数は200台ほどでした。1926年に初の6気筒スリーブバルブ エンジン 3.5Lを搭載した高級車16CV(X57)が登場し、この6気筒エンジンは1.8L~4.8Lに展開されその後の主力エンジンとなりました。この当時ルノーやシトロエンはルノー NNやシトロエン 5CVで小型大衆車の量産を進めていました。パナールも1922年に4気筒1.2Lの小型車 X37を発表しましたが、この車にも高価なスリーブバルブエンジンを採用していたので安価なシトロエン 5CVなどとは勝負になりませんでした。(実車画像→ パナール ルヴァッソ-ル X37)
ミニカーは1965年に発売されたソリド初期のクラシックカーシリーズの一つです。いかにもこの当時の高級車といったフォーマルなセダン(クーペ デビル)を架装した35CVをモデル化しています。プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていて、1960年代に作られたミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。独特の形状のフロントグリルとその上に付いたPL(パナール ルヴァッソ-ル)のエンブレムなど細部も良く作りこまれていました。ソリドはこれとほぼ同じ物を1990年代に型番4167と別ブランドのべレムの型番V304でも発売していました。同時期のパナール ルヴァッソ-ルのミニカーはノレブ初期の35CVがありました。 以下はフロント(エンブレム拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)






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ロレーヌ ディートリッヒ B3-6 #5 ルマン フランス 1925年
ディートリッヒ社はフランスのロレーヌ地方(ドイツとの国境地帯)で蒸気機関車を作っていた会社で、1896年に自動車製造に進出し1935年まで自動車を生産していました。後にブガッティを設計した有名な技術者E.ブガッティを採用し、彼が設計した4気筒車はこの会社の名前を上げました。1905年から車の名前をロレーヌ ディートリッヒに改名しており、この頃には高性能な車として評価されていました。
第1次大戦中は軍需品生産を行い、戦後に自動車と航空機エンジンの製造を再開しました。1919年に高性能な6気筒3.45Lエンジンを搭載する新型のA1-6とB2-6が登場します。この車は1922年にB3-6に発展し、そのレース仕様車は1925年ルマンで優勝と3位、1926年ルマンでは1-2-3フィニッシュで優勝しています。ルマンを2連覇したメーカーはロレーヌ ディートリッヒが初めてでした。その後も4気筒2.3L/6気筒6.1Lエンジン搭載車などが追加されました。1928年に会社は売却されて車名がロレーヌに変更されました。1935年に販売不振で自動車市場から撤退し、第2次大戦中は軍用車(装甲車ロレーヌ_37Lなど)の製造を行いました。
ミニカーはイクソ製で、2006年頃発売されました。ルマン参戦車をモデル化しているルマン24シリーズの1台で、ロレーヌ ディートリッヒ 1925年ルマン優勝車をモデル化しています。実車の雰囲気がうまく再現され、フロントグリルのエンブレムや内装のメーターパネルなどもリアルに再現してあり、かなり良い出来ばえでした。イクソはバリエーションで1925年ルマンの3位 #6と1926年ルマン 1-2-3フィニッシュの3台 #6/#5/#4もモデル化しています。イクソ以外のロレーヌ ディートリッヒのミニカーはミニチャンプスがB3-6の市販車をモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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ルノー 40CV ランドレー フランス 1926年
1914年に第1次世界大戦が始まり、ルノーは砲弾などの軍需品の生産を行いました。第1次大戦中にルノーのタクシーは「マルヌのタクシー」として知られる作戦で戦勝に貢献しています。第1次大戦が終わるとルノーは戦前型のモデルを復活させました。この当時のルノーは旧式の設計を変えず新技術の開発が遅れていたので、シトロエンなどの新興メーカに比べるとモデルが旧態化しつつありました。例えば大型車でフロントブレーキを採用したのは1922年と他社よりかなり遅れていました。
その古い設計を代表していたのが1911年に登場した6気筒7.5Lエンジン搭載の40CV(タイプ CG)でした。40CVはルノーの最上級の大型高級車で、フランス大統領専用車としても使われました。40CVは1920年にエンジンが9.1Lに拡大されるなどの変更がありましたが、基本的な設計を変えないまま1928年まで生産されました。ラジエータをエンジンルーム後方に配置する基本設計を変えなかったので、「象の鼻」と呼ばれた特徴的なフロントノーズも長い間続きました。ただ40CVは同じクラスの高級車(ロールス ロイスなど)よりも価格が安かったので生産台数は多かったとのことです。1928年に40CVはルノー初の8気筒エンジンを搭載したレナステラにモデルチェンジしました。
ミニカーは1960年代に発売されたソリド初期のクラシックカーシリーズの1つです。エンジンが9.1Lに拡大された後期型の40CV ランドレーをモデル化しています。1960年代のソリドのクラシックカーのミニカーは、当時としてはレベルの高いものでした。この40CVもプロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていました。「象の鼻」のボンネットが開くギミック付きでエンジンも再現されていました。バリエーションとして少しスポーティなフェートン仕様とフランス大統領車仕様がありました。ソリド以外では、リオのトルペード、ノレブの大統領車仕様がありました。 以下はフロント/ボンネットを開いた状態の拡大画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)












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イスパノ スイザ H6 スペイン/フランス 1926年
1904年にスペインで設立されたイスパノ スイザ社は高級車メーカーとして知られるようになり、第1次大戦前にフランスに主力工場を建設しました。同社が開発した高信頼性の戦闘機用V型12気筒エンジンは第1次大戦中に広く採用され、航空機用エンジン製造メーカーとしても成功しました。イスパノ スイザ車のマスコットは飛翔するコウノトリですが、これは同社エンジンを積むフランス空軍戦隊のエンブレムをベースにしたものでした。第1次大戦後の1919年に登場したイスパノ スイザ H6はこの戦闘機用V型12気筒エンジンの片バンクを流用したアルミニウム合金製SOHC6気筒6.6L(120HP)エンジンを搭載していました。(参照画像→ イスパノ スイザのマスコット)
イスパノ スイザ H6の特筆すべき先進機能として世界初のサーボ機能付き4輪ブレーキ(減速時にギヤボックスの回転力を使って制動力を機械的にアシストする)がありました。この技術はライバルのロールス ロイスなどにライセンス供与されました。H6は当時のコーチビルダーがセダンやトルペードなどの豪華なボディを架装しました。全長約5mの大型車で3段変速で最高速130km/hの性能でした。1922年にエンジンが少しパワーアップされてH6Bとなり、1924年にはエンジンが8L(145HP)に拡大されたH6Cに発展しました。ホイールベースを短縮し200HPまでパワーアップしたエンジンを搭載したレース仕様のH6Cもありました。H6は1933年まで生産され、総生産台数は約2350台でした。この車の成功でイスパノ スイザは世界的な最高級車として評価されるようになりました。後継車はV型12気筒エンジンを搭載したJ12でした。
ミニカーは1966年に発売されたソリド製です。キャビン部分を小型ボートのデッキ風にしたしゃれたデザインのH6B トルペードをモデル化しています。1960年代のソリドのクラシックカーは当時の一級品でとても良く出来ていました。このH6Bもプロポーションが良くカラーリングが綺麗で、実車の雰囲気がうまく再現されていました。小型ボートのデッキ風のキャビン造形や有名なマスコット(飛翔するコウノトリ)も見事に再現されていました。フロント/リアのナンバープレートは箱に添付されていた紙製のシールを貼り付けたものです。これ以外のH6のミニカーは、ソリドのH6B、フランクリン ミントのH6B 1/24と1/43、イクソのH6Cなどがあります。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
















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ブガッティ T35B コルサ フランス 1927年
ブガッティは1922年に独自設計の3バルブの8気筒2L(70HP)エンジンを開発し、そのエンジンを搭載したツーリングカー ブガッティ T30が登場しました。T30は前述したT13のシャーシを流用していました。(実車画像→ ブガッティ T30 1922) この車をベースにしてエンジンを90HPにパワーアップしたレーシングカー T35が1924年に登場しました。T35は当時としては画期的なブレーキドラムと一体化したアルミホイール、独自構造のリーフスプリング式サスペンションなどエットーレ ブガッティの独創的な発想による革新的な設計がされた傑作車でした。
T35は当時のレースを席巻する圧倒的な強さを発揮し、数多くのレースで勝利しました。代表的な戦歴としてはイタリアのタルガ フローリオでの1925年から1929年までの5年連続優勝、モナコGPでの1929年と1930年の連続優勝などがありました。T35には廉価版のT35A、スーパーチャージャーで128HPにパワーアップしたT35C、排気量を2.3Lに拡大しスーパーチャージャーで138HPにパワーアップした最強モデルのT35Bなどがあり、総生産台数は約350台でした。T35の後継車としてT51が1931年に登場しました。T35はレーシングカーとして優れていただけではなく、芸術的な美しさも兼ね備えていました。芸術家でもあったエットーレ ブガッティのセンスやこだわりがいたるところに感じられ、この車に魅せられる人が多いのです。(私もその一人です)
ミニカーは1982年頃に発売されたフランスのエリゴール製です。1927年に登場した最強モデルのT35Bをモデル化しています。プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていました。特徴的なアルミホイールやフロントサスペンションなどがリアルに再現されていて、素晴らしい出来ばえでした。T35の1/43量産ミニカーとして当時最高の出来ばえでしたが、2024年現在でも十分一級品と言えます。エリゴールはレース仕様など10種類ほどをモデル化していました。これ以外のT35のミニカーはマッチボックスのビンテージ物、イクソ(ホワイトボックス)、フランクリンミントの1/24、ノレブの1/12、CMCの1/18 超精密モデルなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
















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