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メルセデス ベンツ SSKL (W06) ドイツ 1931年
メルセデス ベンツ Sシリーズは市販スポーツカーでしたので、レーシングカーとしては車重が重いという弱点がありました。SSKLは前述したSSKの純粋なレーシング仕様で、ファクトリーチーム用に数台が製作されました。SSKLのLはドイツ語のLeicht(軽いの意)で、徹底的な軽量化をするためにフレーム各部に軽減穴が開けられていました。スーパーチャージャーを大型化して過給圧を上げベンゾール系燃料を使い最高出力300HPで最高速235km/hと極めて高性能で、各種レースに勝ち続けました。こんな細いタイヤの車で300HPもあったのですから、とてもすさまじい操縦性であったと思います。
1929年に始まった世界恐慌の影響で、ダイムラー ベンツ社は1931年に経営難に陥りました。その為1931年にワークスとしてのレース活動は終了しました。翌年の1932年はプライベーター向けにSSKなどを販売するのみとなりました。その後ヒトラーを首相とするナチス政権が成立し、ダイムラー ベンツ社にはドイツ政府からの航空機エンジンや軍用トラックの発注が大幅に増加され、同社の経営状況が改善されました。さらに自動車レースでのドイツ車の活躍をナチス政権が後押ししたことで、1934年にダイムラー ベンツ社はレース活動に復帰し、レーシングカー W25が開発されました。
ミニカーはイタリアのリオ(RIO)製で、1983年頃に発売されました。リオのクラシックカーはほとんどが1990年以前に作られていますが、いずれも当時のミニカーとしては非常に出来が良いものでした。このSSKLは前述したリオ製のSSKをベースにしてSSKLに仕立てたもので、SSKLの特徴である軽減穴がボディ下部シャーシに追加されています。リオ製のSSKはボンネットの高さが少し大きめにデフォルメされているので、このSSKLも同じ高めの車高になっています。また1/43よりも少し大きめにできているので、1/43のミニカーと並べた場合に少し違和感があるのが唯一の難点です。型番SL001でミッレ ミリア仕様があり、最近でもSSK/SSKLのバリエーションが作られていますが、国内には輸入されていないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します
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メルセデス ベンツ 460 ニュルブルク プルマン (W08) ドイツ 1931年
1926年にダイムラー社とベンツ社が合併して、ダイムラー ベンツ社となりました。メルセデスはダイムラー社のブランド名で、この時点でメルセデス ベンツというブランドが出来ました。合併直後にダイムラーの技術部長であったF.ポルシェ博士の下で、新しいツーリングカーが作られました。6気筒2Lエンジンを搭載するシュトゥットガルトと6気筒3.1Lエンジンを搭載するマンハイムで、それぞれの名前はダイムラー社とベンツ社の本拠地に因んでいました。
その両車の上級車としてベンツ初の8気筒エンジン(4.6L 80HP)を搭載した、460 ニュルブルク (W08)が1928年に登場しました。全長約4.9mの大型リムジーンで、1930年に770K グロッサー メルセデスが登場するまではメルセデス ベンツの最上級車でした。460は1931年に5L(100HP)エンジンが搭載できるようホイールベースが拡大されて500 ニュルブルクとなりました。460/500には当時の最先端の技術が採用されており、ローマ教皇用に特別に製作された特注車もありました。最終的には500の名前で1939年までに約4000台が生産されました。
ミニカーは2009年に発売されたイクソ製です。ロングホイールベース版の460 1931年式をモデル化しています。元々このミニカーはミニカー付き雑誌「MERCEDES-BENZ COLLECTION」のNo.38用に作られたモデルでした。これはそれをイクソのカタログモデルとして発売したもので、オリジナルの雑誌付きミニカーより細部の仕上げがレベルアップされていました。フロント グリルのNurburgのロゴとスリーポインテッドスターのマスコット、、ひさしの付いたフロントウインドー、リアのトランク、室内の造形などがリアルに再現されています。またベージュと茶のツートンカラーもメルセデス ベンツ博物館の実車に即したカラーリングになっています。ただしフェンダー部分がプラスチック製なので、このサイズのミニカーとしては軽いのが個人的にはいまひとつの感じがします。(ロートルのコレクターの古臭い感覚なのですが) イクソは別ブランドのホワイトボックスでも460を発売しています。イクソ以外の460のミニカーはエリゴールがありました。 以下はフロント(マスコットの拡大画像)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ブガッティ T41 ロワイヤル No.41121 (3号車) フランス 1931年
ブガッティ T41 3号車はドイツの医師ヨーゼフ フックス博士が購入し、ミュンヘンのコーチビルダーがドイツ式の分厚い幌が付いた4シーターのカブリオレ ボディを架装し1931年に納入されました。ドイツの政情不安でフックス博士は1937年にアメリカに移住し、T41 3号車もアメリカのロングアイランドに移動しました。その後寒さでエンジンが凍結して破損し、修理不能ということでスクラップ同然で放置されていました。
このスクラップ状態のT41 3号車は1946年にGMの副社長であったチャールス チェイン氏が購入して、一部を改造してレストアを行いました。チェイン氏はこの車を使用した後、ミシガン州ディアボーンにあるフォード社を創立したヘンリー フォードが建設したヘンリー フォード ミュージアムに1957年に寄贈しました。現在もそのヘンリーフォード ミュージアムに展示されているようです。
ミニカーは1972年に発売されたリオ製です。リオのクラシックカーはマニア向けで、灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツからシャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。これはリオのブガッティ T41のミニカーとしては最初にモデル化された物でした。実車が大きいのでミニカーも全長145㎜と大きなサイズで、ドイツ流の分厚いカブリオレを持つT41 3号車が再現されています。製作された年代を考えるとリオはチェイン氏がレストアしたT41 3号車をモデル化していると思われます。ミニカーはヘンリーフォード ミュージアムに展示されている実車とは幌周りの造形やフロントグリルの上にあるマスコットなどが異なっていますが、これはヘンリーフォード ミュージアムで改修されたのではないかと考えます。ボンネットを外すとエンジン、床下部分のシャーシやサスペンションも表現されていますが、その部分は前述したリオ製のT41 1号車と同じですので、そちらを参照してください。同じボディで幌を畳んだ状態の色違い(緑と青)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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プジョー 201 フランス 1931年
前述したプジョーの小型車クアドリレット(5CV)の後継車としてプジョー 190が1928年に登場しました。190はプジョーとしては伝統的な木製フレームを採用した最後の車で、5CVと同じ4気筒695㏄(14HP)エンジンを搭載し、3段変速で最高速60km/hの性能でした。190は1931年まで生産され総生産台数約33000台と、先代以上に成功しました。なお190という名前はプジョーが190番目に開発した車という意味でした。(実車画像→ プジョー 190 1928)
プジョー 190の上級車として1929年に新型の小型車プジョー 201が登場しました。プジョーが最近まで続けていた0を挟む3桁の数字によるネーミングはこの201から始まりました。201は4気筒1.1L(23HP)エンジンを搭載し3段変速で80km/hの性能でした。1931年のマイナーチェンジで前輪独立懸架式サスペンションを採用した201Cとなり、この方式のサスペンションを採用した世界初の量産車となりました。201はセダン以外にもクーペや商用車があり、排気量拡大(1.5L 35HP)やボディの流線化などの改良を行い1937年まで生産され202にモデルチェンジしました。総生産台数は約14万台で世界大恐慌による不況化で安価な車として大ヒットしました。
ミニカーは1979年頃に発売されたエリゴール製です。1931年にマイナーチェンジした201Cをモデル化しているようです。シンプルで実用的な箱型ボディがうまく再現され当時のミニカーとして良く出来ていました。初期のエリゴールは同時期のノレブのプラスチック製ミニカーをベースにしているものが多いのですが、これもノレブの出来の良い201の型を流用したダイキャスト製でした。これ以外の201のミニカーは2007年にノレブがクーペをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ 8C 2300 イタリア 1931年
アルファ ロメオは6C 1750でイタリア国内のスポーツカーレースを制覇し、さらに国際レースに進出するため、1930年に新型の8気筒エンジンを搭載した8C 2300を開発しました。6C 1750には4座のツーリングカー(セダン)がありましたが、レーシングカーとして設計された8C 2300はほとんどが2座のスポーツカーでした。エンジンはレーシングカー用の軽合金製(公道仕様 142HP)で、最高速175km/hの高性能車でした。ただシャーシは6C 1750とほぼ同じでしたので見た目はほとんど同じでした。
アルファ ロメオ 8C 2300は狙いどうりに国際レースで圧倒的な強さを発揮しました。輝かしい戦歴の中でも特筆すべきはメルセデス ベンツ (SSK)、ブガッティ(T37)、アストン マーチンなどの強力なライバルがいるなかで、1931年から4年間連続してルマンで優勝していることです。なお当時のルマンのツーリングカークラスの規定で4座が要求されていた為、8C 2300 ルマン仕様はロングホイールベースの4座ツーリングカーボディとなっていました。
ミニカーは1982年に発売されたブルム製で、8C 2300の公道仕様をモデル化しています。ブルムとしては初期の物ですが、プロポーションが良く当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。前述した同じブルム製の6C 1750と比べると、この8C 2300はリアのスペアタイヤ上に整流板のようなカバー(羽)がありグリルが黒いなどの外観の違いがあります。同じ型を使ったバリエーションで幌を立てた物やミッレ ミリア仕様などがありました。なおブルムの6C 1750はこの8C 2300をベースにして細部をリファインして2005年に発売されたものでしたので、この8C 2300より仕上げレベルが上がっていました。これ以外の8C 2300のミニカーはイクソのルマン レース仕様、Bブラーゴの1/18、スパーク(レジン製)のレース仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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