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トライアンフ TR3A イギリス 1958年
アメリカ市場で好評であったジャガー XKとMG TDの間を狙って開発されたのが、トライアンフ TR1(プロトタイプ)で1952年に発表されました。このTR1の評判が良かったので、翌年にTR2が発売されました。MG TDよりも近代的ですが、イギリス風の切れ込んだドアを持つクラシックな外観のボディに、4気筒2L(90HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速160km/hの性能でした。
TR2はまさしくジャガーとMGの中間のサイズと性能でした。価格的にはジャガーの半値ぐらいで、性能の割に安かったので好評だったようです。1955年にフロントに格子形状のフロンドグリルを追加してエンジンを95HPにパワーアップしたTR3となりました。1957年にはフロントグリルの幅が広くなり、エンジンを100HPにパワーアップしたTR3Aに発展しました。1961年にボディを一新したTR4にモデルチェンジしました。TR2/3シリーズは約8万台が生産され、そのほとんどがアメリカに輸出されました。
ミニカーは1986年に発売された初期のビテス製です。左ハンドルですので輸出仕様のモデル化で、リアに荷物用のラックが付いています。 ビテスはマニア向けのブランドでしたから、1980年代のミニカーとしてはプロポーションが良くそこそこの良い出来ばえでした。ナンバープレートのデカールやドアミラーのパーツが付属していましたが、取り付けていません。TR2/3の当時物ミニカーとしてはテクノ、ディンキー、コーギー、スポットオンがありました。当時物以外では京商の1/18、 ビテスの再販物、バンガーズ、スパーク(レジン製)などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)








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ヒルマン ミンクス IIIA イギリス 1958年
1919年に自動車ディーラーとして創業したルーツ社は、1920年代にイギリス最大の自動車販売会社に発展しました。ルーツ社は1930年代にヒルマン、ハンバー、サンビーム、タルボといった自動車メーカーを傘下に収め、ルーツ グループを形成しました。第2次大戦後にシンガーを買収し、ルーツ グループは1950年代後半にはBMCに次ぐ自動車メーカーとなりました。
ルーツ グループ傘下となったヒルマンは自転車メーカーの創業者であったウイリアム ヒルマンが起こした老舗の自動車メーカーでした。ミンクスは戦前の1931年に発表された大衆車で、戦前はかなりヒットした車でした。信頼性が高かったので、戦時中は軍用車として生産され、戦後も外観を変更してミンクス I の名前で生産されました。ミンクス Iは1947年に改良されてミンクス IIとなり、1948年には戦後型のフラッシュサーフェースデザインを採用して外観を一新したミンクス IIIとなりました。その後も改良されて1954年には1.3Lエンジンを搭載したミンクス VIIIとなりました。(実車画像→ ヒルマン ミンクス 1932、ヒルマン ミンクス 1946、ヒルマン ミンクス VIII 1955)
1956年に著名なデザイナーのレイモンド ローウイがデザインした新型にモデルチェンジし、名前はそれまでのシリーズ名を止めて新しいシリーズ名のシリーズ I に変更されました。新シリーズ I は4気筒1.4L(51HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速125km/hの性能でした。セダン、コンバーチブル、エステートワゴン(ハスキー)がありました。ミンクスはルーツ グループの他のブランドであるシンガーやハンバーの名前を付けた姉妹車のプラットフォームとしても使われました。このミンクスは1.7Lエンジンを搭載したシリーズ VI まで改良され1970年頃まで生産されました。なお日本のイスズ自動車がこの車のノックダウン生産を行い、イスズのヒルマン ミンクスとして1953年から1964年まで販売していました。(実車画像→ ヒルマン ミンクス シリーズ VI 1966)
ミニカーは2004年に発売されたバンガーズ製です。1958年に登場したミンクス シリーズ IIIAと呼ばれるタイプをモデル化しているようです。レイモンド ローウイがデザインした一番知られているデザインのボディを正確に再現し、当時の流行だったツートンカラーのカラーリングで仕上げてありました。フロントグリルや室内などの細部もリアルに仕上げてあり、良く出来ていました。当時物ミニカーとしてはスポットオンやディンキーの物がありました。なおイスズのヒルマン ミンクスはトミカ リミッテドでもモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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オースチン ヒーレー スプライト MK I イギリス 1958年
前述したオースチン ヒーレー(ビッグヒーレーと呼ぶ)に対してスモールヒーレーと呼ばれたヒーレー スプライトは、MGのような小型スポーツカーで安価な車を目指して開発され、1958年に登場しました。コストを下げるために、BMCで最も安価なオースチン A35からエンジンやサスペンションなどの基本パーツを流用していました。4気筒948cc(43HP)エンジンは非力ながらも、640kgの軽量モノコックボディ故に最高速は130km/hとそこそこ高性能でした。また小型スポーツカーに造形が深いイギリス流の優れた設計で、小さいながらも優れた操縦性のスポーツカーに仕上がっていました。1961年までに約5万台が生産されました。
特徴的なヘッドライトの形状から日本ではカニ目、アメリカではバグアイ(虫の目)、イギリスではフロッグアイ(カエルの目)とあだ名されていました。スプライトは1961年にMK IIにモデルチェンジして一般的なヘッドライトに変わりました。このMK IIは同じBMCグループのMG ミジェットの姉妹車でもありましたので、両車はまとめてスプリジェットと呼ばれることがあります。 (実車画像→ オースチン ヒーレー スプライト MK II 1962)
ミニカーは1999年頃に発売されたディテールカー製です。プロポーションが良く特徴的なカニ目がうまく再現され、実に愛嬌のあるミニカーに仕上がっていました。フロントグリル/灯火類や室内などの細部もそこそこ良く再現されていました。バリエーションでオープントップ仕様のスパイダーもありました。これ以外のスプライト MK Iのミニカーは、このディテールカーのOEMであると思われるソリド、イクソ、エブロ、スパーク、国産名車コレクションなどがあります。なお実車が登場した時期が古いので、スプライト MK Iの当時物ミニカーはないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ボルボ PV544 スウェーデン 1958年
ボルボ(VOLVO)はラテン語で「私は回る」という意味があり、スウェーデンのベアリング メーカーSKF社の子会社の名前でした。このSKF社によって自動車メーカーのボルボ社が1927年に創業されました。最初の車は4気筒2Lエンジンを搭載したオープンカーで、1929年には6気筒3Lエンジンを搭載した中型セダンのPV651が発売されました。1930年代にアメリカ GMの技術者を雇い入れ、その技術で小さなアメリカ車的な設計の車が開発されました。スウェーデンは過酷な環境の広大な国土を持つため、信頼性の高いエンジンを搭載した頑丈な車体が必要とされました。1930-1940年代のアメリカ車はまさにそのような条件を満たす車でした。(実車画像→ ボルボ PV651 1929)
1944年にボルボ初の小型車PV444が登場しました。PV444のPVは(Person Vagn 乗用車の意)、444は4人乗り、40HP、4気筒(1.4L)エンジンを意味し、モノコックボディを採用し大量生産によって低価格で提供されました。デザインはやはりアメリカ車的なデザインで、3段変速で最高速100km/hの性能でした。1958年までに約20万台が生産され、信頼性や耐久性が高く評価されました。(実車画像→ ボルボ PV444 1953) 1946年にPV60シリーズを発表しました。PV60は6気筒3.7Lエンジンを搭載した大型車で、同時期のアメリカ車と同じようなスタイルをしていました。 ボルボ PV60 1946) 1958年にPV444を改良したPV544が登場しました。フロントとリアのウインドーが拡大され、室内は5人乗りになりました。4気筒1.6L(60HP)エンジンを搭載し、4段変速が採用され最高速は137km/hに向上しました。PV544は1.8L(68HP)エンジンが追加されて1965年まで約24万台が生産された人気車種で、ラリーでも活躍しました。
ミニカーは1959年に発売されたテクノ製の当時物です。北欧デンマークのテクノは1950-1970年代にボルボやサーブなど他社があまりモデル化しない北欧車を中心にして、独得の雰囲気がある高品質なミニカーを作っていました。このPV544もプロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていました。灯火類などの細部も良く仕上げてあり当時としてはかなりレベルの高いミニカーでした。なお現在(2024年)のテクノはオランダに移転しており、主に商用車/トラックを1/50でモデル化しています。これ以外のPV544のミニカーはシュコー ピッコロの当時物 1/90、イクソのラリー仕様、ブッシュの1/87、ヴィーキングの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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ボルボ 122S アマゾン スウェーデン 1958年
ボルボの大型車として120シリーズ アマゾンが1956年に登場しました。当初のアマゾンという名前はギリシャ神話の女性戦士アマゾンに由来したものでしたが、車名に3桁数字を使うようになってからは120シリーズに改名されました。当初は4ドアセダンだけで、ボディはボルボで初めてフラッシュサーフェースを採用しそれまでのPVシリーズと同様にアメリカ車的なスタイルでした。ボルボ 121は4気筒1.6L(60HP)、122は1.6L(78HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速143km/h(122)の性能でした。
1958年に85HPにパワーアップした高性能版の122Sが追加され、1961年には1.8L(82HP)エンジンに切り替わり2ドアセダン(131/132)や5ドアワゴン(221/222)が追加されました。1967年に追加された高性能版(104HP)の123GTはラリーで活躍しました。合わせガラスを使ったフロントウインド、クラッシュパッドが貼られたダッシュボード、世界初の3点式シートベルトの採用など120シリーズにはボルボの安全に対する進んだ姿勢が見られました。2Lエンジンが追加され1970年まで生産されました。総生産台数は約67万台でした。
ミニカーは1961年に発売されたディンキー(英)製の当時物です。高性能版の122Sをモデル化しています。縮尺は明記されていませんが、1/43よりすこし小さめで1/45ぐらいで出来ていました。60年以上も前に発売されたビンテージミニカーですので素朴な作りですが、プロポーションが良く実車に忠実な造形で、1960年代のミニカーとしては良く出来ていました。これ以外の120シリーズの当時物ミニカーはテクノ(同じ型番で4ドアと2ドアがある)やスポットオンがありました。当時物以外ではブレキナの1/87、イクソ(ホワイト ボックス)の2/4ドアセダンとワゴン、国産名車コレクション、ミニチャンプスのセダンとワゴン、オックスフォードの1/43と1/76などたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)



