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ブッチアリ (ビュッキアリ) TAV 8-32 フランス 1932年
1930年代のフランスに登場したブッチアリ(ビュッキアリ)は当時としては革新的な車でした。ブッチアリ自動車(Soci?t? Bucciali Fr?res)はアンジェロ ブッチアリ(Angelo Bucciali)とポール アルバート ブッチアリ(Paul-Albert Bucciali)のブッチアリ兄弟によって1922年に設立されました。同社の最初の車はBUC(ブク)という名前で販売された2気筒1.3Lエンジンを搭載した小型スポーツカーでした。その後4気筒1.6Lエンジンや6気筒1.5Lスーパーチャージャー付エンジンを搭載したスポーツカーも発売しましたが、いずれもあまり売れなかったようです。
1926年から同社は方針を転換し、当時としては革新的な前輪駆動方式を採用した高級車を開発するようになりました。1932年までに前輪駆動方式の高級車 ブッチアリ TAVが7車種開発されました。それらは少量生産されたモデルもありましたが、モーターショーで発表されただけのモデルもありました。最初のブッチアリ TAV 1は4気筒1.7Lエンジンを搭載した前輪駆動車で、全輪独立サスペンションを備えていました。ただし前輪駆動用変速機がなかったので走行できなかったようです。1929年に登場したTAV 8は8気筒4.4Lエンジンを搭載し、1932年に登場した最終型のTAV 12はヴォアザン製のV型12気筒4.9Lエンジンを搭載し、ブッチアリが開発した変速機を備えていました。(なおTAV*の車名には諸説があります) 1932年に会社は活動を止めました。
ミニカーはイクソ製でフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNo.23で2006年頃に発売されました。ミニカーの台座にはTAV 8-32と表示されていますが、1932年にパリ モーターショーで発表されたTAV 12 Fleche d'Or (金の矢の意)をモデル化しているようです。ボディはソーチック製でブガッティ T41のようなデザインでした。全長は6m超との文献もある長大なサイズの車ながら、車高は当時としてはかなり低く約1.5mでした。ミニカーは黒/赤ラインのカラーリング、ナンバープレート「710 BA3」、ボンネットの横に付いたコウノトリの紋章など現在する実車を忠実にモデル化していて、かなり良い出来ばえです。室内も彩色されていて良く仕上げてあります。イクソはこれとほとんど同じ物を2010年に型番MUS032で発売しています。これ以外のブッチアリのミニカーはウエスタンモデル(ホワイトメタル製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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イスパノ スイザ J12 リムジーン スペイン/フランス 1932年
イスパノ スイザ社は前述したH6シリーズで高級車メーカーの地位を確立しました。1932年のパリ サロンでV型12気筒エンジンを搭載したイスパノ スイザ J12が登場しました。J12はイスパノ スイザとしては最も大きく最も高価な車で、当時世界最高の高級車でした。当初のエンジンはV型12気筒9.4L(220HP)で1935年に11.3L(250HP)に拡大されました。ホイールベースは3.43m、3.71m、3.81m、4.01mの4タイプがあり、コーチビルダーが2シータカブリオレからリムジンまで豪華な特注ボディを架装していました。J12は当時の裕福層に人気を博したそうです。
架装されたボディによる違いがあったでしょうが、J12は3段変速で最高速150-170km/hほどの性能でした。ショートホイールベースのスポーツ仕様は当時最速の性能だったそうです。戦争が近づいたことからイスパノ スイザ社は1938年に自動車の生産を中止し航空機エンジン生産に専念しました。J12の生産台数はたったの120台でした。1930年代は世界大恐慌の影響で不況だったのですが、不思議なことにこの時期にアメリカでもデューセンバーグなど豪華な高級車が登場しています。
ミニカーは1978年に発売されたリオ製です。フォーマルな4ドアリムジンをモデル化しています。ミニカーは全長が138mmもあり、実車に換算すると全長約6mの大型車となりますが、ミニカーはJ12のイメージを強調する為少し大きめに作られているようです。そんなわけで実車の雰囲気はうまく再現されていて、空/青/白のカラーリングも綺麗です。フロントグリルの上に付くコウノトリのマスコットもかなりオーバースケールながら良く再現されています。ボンネットを取り外すと12気筒エンジンが再現されていて、床下部分のシャーシやサスペンションも実車に忠実かどうかは不明ですがそれらしく再現してあります。以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 508 バリッラ イタリア 1932年
1932年にフィアット 509の後継としてフィアット大衆車の最高傑作といわれるフィアット 508 バリッラが発表されました。アメリカのフォード A型を小さくしたようなオーソドックスなデザインで、2ドアセダンとトルペード(4シーターのオープン仕様)と2シーター スパイダーがありました。4気筒995cc(20HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速80km/hの性能でした。4輪油圧ブレーキを備えていたこと以外はごく平凡な車でしたが、価格、燃費、メンテナンスの総合的なコストが安くイタリアの大衆にとって画期的な車でした。なお508にも高性能なスポーツ仕様の2シーター スパイダーの508Sがありました。
1934年に大幅な変更が加えられ508B バリッラとなりました。ホイールベースが50㎜延長されたことで、観音開きの4ドア仕様が追加されました。車重が増加しましたが、エンジンは24HPにパワーアップされギヤボックスが4段となり、走行性能は維持されました。ボディもフロントグリルやフロントウィンドーに傾斜が付き全体的に丸みが付きました。1937年に後継車の508Cが登場しました。508/508Bは約11万台が生産され大ヒットしました。(実車画像→ フィアット 508B 1934)
ミニカーは1970年代に発売されたイタリアのリオ製です。リオのミニカーとしては初期の物ですが、508 バリッラは自国の名車だけにかなり力の入った作りとなっていて、この小さい車を忠実に再現しています。特に小さなドアが実車同様に大きく開閉するようにヒンジ部分を工夫してあり、室内も結構リアルに再現しています。リアバンパー上にトランクが載せてあり、初期の自動車のトランクはこのようなものでした。リオは商用車や救急車など十数種類のバリエーションを作っています。リオ以外の508のミニカーはポリトーイの初期物(プラスチック製)がありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ P3 イタリア 1932年
GPカー アルファ ロメオ P2の後継として技術者ヴィットリオ ヤーノが開発したP3(ティーポ B)は戦前のGPカー(現F1)の最高傑作といわれています。エンジンは8C用を2654ccに拡大したもの(215HP)で最高速232km/hの性能でした。P3の最大の特徴は左右の後輪を2本のドライブシャフトで独立して駆動していることで、2本のドライブシャフトの間にドライバーのシートを収めることで重心を低くしていました。
1932年のイタリア GP 優勝を皮切りに、P3はほとんど向かうところ敵なしの状態で、この勢いは1934年の新フォーミュラー レギュレーション発効まで続きました。1934年のレギュレーション変更に対応して、エンジンが2.9L(255HP)に拡大されました。1934年もP3は大半のレースに勝利しましたが、後半になるとドイツのメルセデス ベンツ/アウトウニオンが台頭してきました。1935年になると、ヨーロッパ選手権(全7戦)でP3はドイツ勢(6戦を優勝した)に対抗できなくなりました。ただドイツ GP(ヨーロッパ選手権 7戦のひとつ)ではエンジンを3.2L(265HP)に拡大したP3が、T.ヌヴォラーリのドライブで優勝して、強いドイツ勢に一矢を報いました。
ミニカーは1962年に発売されたリオの初期物です。60年以上も昔に作られたミニカーとは思えないほど、結構リアルな良い出来ばえです。またミニカーをひっくり返すと床下にエンジンやサスペンションが再現されていて、簡単な造形ですがドライブシャフトがちゃんと2本付いています。リオはP3のミニカーを20種類ほどモデル化していますが、量産ミニカーではリオ以外ではP3をモデル化していません。(ライセンスの関係でしょうか? CMCの1/18精密モデルやレジン製のNEOなど少量生産品がありますが) 以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM キャディラック 452 V16 スポーツ フェートン アメリカ 1932年
1930年に登場したV型16気筒エンジンを搭載したキャディラック 452は初年度に約3000台が生産されました。コーチビルダーのフリートウッドがリムジーンやコンバーチブルなどのボディを架装し、価格は最低でも5000ドル(現在の2000万円ぐらい)と非常に高価でした。1929年に世界大恐慌が起こりアメリカは不況の真っ只中でしたので、452のような高級車を購入できたのはごく限られた富裕層だけでした。
V型16気筒エンジンを搭載したキャディラックは初年度以降は年間100台ほどしか売れない車でしたが、その中でも特に希少であったボディ形式は「スポーツ フェートン」と呼ばれるオープンカーでした。フェートンとは4ドアのオープンカーを意味しますが、この「スポーツ フェートン」はリアシートの前のカウルにもウインドースクリーンが装備されているデュアル カウル フェートンという高級なボディ形式でした。このスクリーンが付いたリアカウルはリアシートに出入りする際には持ち上がる構造となっていました。同じボディ形式が同時代の高級車デューセンバーグ Jやパッカード トゥエルブにもありました。
ミニカーは1989年に発売されたアメリカのダンバリーミント製です。ダンバリーミントはコレクター向けの商品を扱う会社で、同業のフランクリン ミントと同時期に同じような1/24 精密ミニカーを製作していました。どちらも当時は通信販売でしか購入できませんでした。ダンバリーミントとフランクリン ミントの1/24のミニカーは同じような作風で、プラスチック製パーツが少ない重厚な作りでした。何れもドア/ボンネットなどが可動しエンジンやサスペンションなどもリアルに再現された素晴らしい出来ばえでした。このダンバリーミント製のキャディラック 452も実車の雰囲気がうまく再現されています。4ドアとリアカウルが開閉でき室内も良く再現されています。マスコットの鳥が付いたリアルなフロントグリル、ボンネットを開いたエンジンルーム内のエンジンと床下部分のドライブトレーン/サスペンションなどの細部も良く仕上げてあります。さらにステアリングホイールと連動した前輪操作ギミックも付いています。キャディラック 452 スポーツ フェートンはフランクリン ミントもモデル化していました。 以下はフロント(前輪操舵ギミック)の拡大画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)