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NSU (エヌ エス ウー) Ro80 (アールオー80) ドイツ 1967年
NSUのロータリーエンジン搭載車 第2弾のRo80が1967年に登場しました。2ローターのロータリーエンジンを搭載する量産車としては、マツダのコスモ スポーツ(1967年発売)に少しだけ先を越されました。ただしRo80はコスモのような少量生産のスポーツカーではなく、極めて進歩的なデザインの実用車でした。エンジン(2ロータ 498ccX2 115HP)の先進性だけではなく、縦置きエンジンの前輪駆動、全輪独立懸架、全輪ディスクブレーキと当時の最先端技術が採用されていました。またボディも空力を考慮したデザインで6ライト ウインドー(側面に3つ窓がある)の広いキャビンになっていました。最高速度180km/hと高性能でした。
1968年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーに選ばれるなど高く評価され、その後に登場した他社の前輪駆動方式のセダンに多大な影響を与えました。ただ残念なことに発売当初にエンジン トラブルが多発し評判を落とし、トラブル対応が終わった1973年頃には石油ショックがやってきて、燃費の良くないこの車は3万台ほど生産されただけで1977年に生産中止となりました。なおNSU社は1969年にフォルクスワーゲン社傘下となりアウトウニオン社(現在のアウディ社)に吸収合併されました。
ミニカーはデンマークのテクノ製の当時物で1968年頃に発売されました。テクノらしい上質な作りで、独特のデザインの空力ボディをうまく再現してありとても良い出来ばえでした。またテクノ製ミニカーの特徴である前輪操舵ギミックが付いていました。さらに室内のダッシュボードから出ている開閉レバーを下に押し下げると、レバーの先端が押し出されてボンネット後端が少し持ち上がり、ボンネットを開け易くするといった凝ったギミックも付いていました。Ro80の当時物ミニカーとしてはベストの出来ばえでした。
このミニカーには面白い思い出があります。当時ミニカーはデパートで販売されていて、これは当時大阪の心斎橋にあった某有名デパートで購入しました。その際このミニカーの商品名タグには「ナスロ80」と表示されていました。当時NSUの車名は一般には知られていなかったので、NSU Ro8をそのように日本語読みした訳です。(デパートではなく輸入元の商社が間違えていたようですが) 私は車名を知っていたので 思わず笑ってしまいました。あまり一般的ではない車名の場合、現在でもこれに似たような勘違い車名表示をWEBショップでも見かけます。以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。 (画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オペル レコード C クーペ ドイツ 1967年
1967年にオペル レコードはリアのサスペンションを改良し、当時流行のコークボトルラインを採用したアメリカ車風のボディを載せたレコード Cにモデルチェンジしました。ボディは2/4ドアセダンと3/5ドアワゴン(バン)のキャラバンがあり、1967年には同時期のGM オールズモービル トロネードのようなファーストバックスタイルのピラーレスクーペも追加されました。エンジンは4気筒1.5L(58HP)/1.7L(60-75HP)、クーペ専用の4気筒1.9L(90-106HP)があり、一時的に6気筒2.2L(95HP)も搭載されました。(実車画像→ オペル レコード C セダン 1967)
1967年にレコード Cの内外装を高級にした上級車としてコモドール(COMMODORE) Aが設定されました。(コモドールとは指揮官の意) ボディは2/4ドアセダンとクーペがあり、6気筒2.2L(95HP)/2.5L(130HP)エンジンが搭載されました。1970年にボッシュの燃料噴射システムを採用した6気筒2.8L(150HP)エンジンを搭載した高性能版のGS/Eが追加されました。レコード C/コモドール Aは1972年まで生産され、後継車のレコード D/コモドール Bにモデルチェンジしました。レコード C/コモドール Aの総生産台数は約127万台/16万台で、大ヒットしました。
ミニカーは1968年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。フロントグリル全体がメッキパーツなのでフロントがやや平板な感じがしますが、派手なファーストバックのボディはうまく再現されていて良く出来ていました。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、エンジンが再現されていました。欧州仕様のナンバープレートが付いていますが、当時のディンキー(仏)のミニカーのほとんどには裏面粘着紙シールのナンバープレート ラベルが付属していて、それを貼付しています。ディンキー(仏)は同じ型でカラーリングを変えたコモドール クーペもモデル化していました。実車同様に兄弟車を同じミニカーブランドで作り分けたのは、このオペル レコードが最初だったように思います。これ以外のレコード Cのミニカーはジク(SIKU)の当時物のクーペ/ワゴン、ミニチャンプスの2ドアセダン/クーペ/ワゴン、ブレキナの2ドアセダン/クーペ/ワゴンの1/87などがあります。コモドール Aのミニカーはミニチャンプス、ブレキナの1/87などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン ディアーヌ フランス 1967年
発表されてから20年近く経過し旧態化した2CVの代替として、1967年に投入されたのが、ディアーヌでした。エンジンなどのメカは2CVと同じながら、ライトをフェンダーに埋め込んだり、リアにハッチゲートを付けるなどボディを少し近代的にリファインしたものでした。室内は2CVより高級な仕上げとなっていたそうです。また同じメカですから性能的には2CVとたいして変わりはありませんでした。
この車は性能的にも外観的にも2CVとたいして変わらなかったので、中途半端な感じがしますが、当時のフランス人も同じように考えていたようです。結局2CVは売れ続けて、ディアーヌは2CVよりも早く1983年に生産中止となりました。
ミニカーは1968年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。ディンキー(仏)らしい生真面目な作りで、プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されていました。ボンネットとテールゲートが開閉するギミック付きです。エンジンルームにはスペアタイヤとエンジンが再現されていて、テールゲートを開くと2個のトランクが積んであるといった楽しいおまけ付きでした。 ディアーヌの当時物ミニカーとしてはポリトーイ、メーベトイ、ノレブなどがありました。当時物以外では、ノレブの1/43と1/18、イクソ、ビテスなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/テールゲート開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シムカ 1100 フランス 1967年
1967年にシムカ アロンド P60の後継車として1100が登場しました。1100はシムカ初の前輪駆動車で、親会社であったフィアットの影響で変速機付エンジンを横置き搭載するダンテ ジアコーサ方式を採用していました。ハッチバックスタイル、4輪独立懸架サスペンション、前輪ディスクブレーキなど時流に先んじた設計がされていて、フォルクスワーゲンがゴルフを開発する際にこの車を参考にしたほど先進的でした。3/5ドアハッチバックと3/5ドアワゴン(バン)があり、その先進性で人気がありヒットしました。なおシムカの親会社であったフィアットがクライスラーに株を売却したことで、1963年にシムカはクライスラー傘下となりました。
当初は4気筒944㏄(48HP)/1.1L(60HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速148km/hの性能でした。1970年にイギリス向けに4気筒1.2L(75HP)エンジンを搭載したスポーツ仕様の1204が追加されました。1974年のマイナーチェンジでフロントグリルのブラックアウトやテールライト大型化など意匠変更され、4気筒1.3L(82HP)エンジンを搭載した高性能版TIが追加されました。1977年に後継車のオリゾンが登場し、その後はその廉価版として1979年にはタルボ シムカ 1100、1980年にタルボ 1100と名前を変更し1982年まで生産されました。総生産台数は約216万台でした。
ミニカーは1967年に発売されたソリドの当時物です。ソリドらしいシャープな造形で、良くできていました。ボンネット/ドア/ハッチバックが開閉するギミック付きで、室内もそこそこリアルに再現されています。ソリドは型番34でマイナーチェンジ後の高性能版1100TIもモデル化していました。なおこの当時のソリドのミニカーでは合成ゴム製タイヤに含まれる有機溶剤がプラスチック製ホイールを溶かすという問題が発生していました。当方の所有する型番34の1100TIは4輪とも完全にホイールが溶けてしまい、この型番164の1100も少し溶けています。 これ以外の1100の当時物ミニカーはディンキー(仏)、ディンキーをコピーしたオートピレン、ノレブ初期のプラスチック製があり、当時物以外ではノレブの新製品などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とハッチバック開閉の画像です。ハッチバックを開いた荷室にはトランクがモールドされています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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マトラ M530 フランス 1967年
前述したマトラ ジェットの後継車としてマトラ M530 (初期型530A)が1967年に登場しました。M530はマトラが設計した車で、レース仕様で実用性の低かったジェットより一般向けの仕様となっていて、低価格に仕上げていました。ミッドシップエンジン搭載のレイアウトは同じでしたが、2+2座とリアのトランクで実用性を高めていました。ドイツ フォードの前輪駆動車15M用のV型4気筒1.7L(72HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速172km/hの性能でした。
航空機メーカーがデザインしただけあってFRP製ボディは空力的でユニークなデザインで、ルーフは脱着してトランクに収納できました。本格派スポーツカーとしてはやや物足りない性能ながら、ユニークなスタイルとライバルのアルピーヌ ルノーより安価であったことで商業的に成功しました。 1970年にエンジンを78HPにパワーアップし、リアウィンドーをハッチバックに変更した530LXが追加されました。1971年にはルーフを固定式にしてヘッドライトも固定式とした廉価版530SXが追加されました。1973年に生産中止となり総生産台数は約9600台でした。後継車は1973年に登場したバゲーラでした。(実車画像→ マトラ 530SX)
ミニカーは1967年に発売されたディンキー(仏)製の当時物です。ディンキー(仏)らしいスケールモデル的なリアルな造形で、ユニークなボディが実にうまく再現され、とても良く出来ていました。フロントパネル/ドアが開閉するギミック付きで、この車の特徴であるリトラクタブルヘッドライト開閉とルーフ脱着もギミックで再現していました。これ以外のマトラ M530のミニカーは、ノレブの当時物(プラスチック製)、メルクリンの当時物があり、当時物以外ではビザール(レジン製)のレース仕様やフランス?のミニカー付雑誌「Voitures Fran?aises d'Autrefois」のNo.12などがあります。なおM530をベースにしたコンセプトカー マトラ M530 ビニャーレをメーベトイとポリトーイがモデル化していました。 以下はフロント(ヘッドライト開閉)/フロントパネルを開いた画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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