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イエロー サブマリン ’ビートルズ’ イギリス 1968年
ビートルズは1960年代に世界中を熱狂させたイギリスのロックバンドでした。そのビートルズの11作目のアルバムであるイエロー サブマリンは1969年に発売され、1968年に製作されたアニメ映画イエロー サブマリンのサウンドトラック版でもありました。アニメ映画イエロー サブマリンはビートルズのメンバーが登場するおとぎ話で、その話の中に題名となっているイエロー サブマリン(黄色の潜水艦)が登場します。
このイエロー サブマリンのモデル(ミニカー?)はコーギー製で、映画とタイアップして1969年に発売されました。実在する潜水艦ではないのでアニメを参考にしたコーギーの創作物で、ハッチを開くとビートルズのメンバーが顔を出すなどのコーギーらしいギミックが付いた楽しいモデルに仕上げられていました。(フロントのハッチはコーギーがギミック用に追加したと思われます)
最初のオリジナルモデル(型番803)は1969年から1972年まで販売され、約4万台以上が売れました。(この販売台数は当時のコーギーとしてはあまり売れていない部類でした) その後1996年に型番CC05401、1999年に型番CC05403、2008年に型番BT78211で復刻版が販売されています。復刻版はオリジナルとハッチの色が違うなど少し変更されていましたが、基本的な部分はオリジナルとほぼ同じものでした。また型番CC05404でギミックを簡略化してサイズを一回り小さくした物が2000年に発売されました。
当方の所有するイエロー サブマリンは1999年に発売された2回目の復刻版で、これにはビートルズのフィギュア(メタル製で高さ約54㎜ 約1/32サイズ)が付属していました。5250台の限定版で当時の値段は8000円と結構高い物でした。 以下はフロント/リアの拡大画像と前後のハッチを開いた画像です。ハッチ下の左側面の黒のレバー(オリジナルは無塗装の金属肌)を下に押すとハッチが開いてメンバーが顔を出します。フロントハッチの先頭にいるのがリンゴ スター、その後ろがジュージ ハリスン、リアハッチで左側を向いて眼鏡を掛けているのがジョン レノン、その後ろがポール マッカートニーです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ボルボ 164 スウェーデン 1968年
1968年にボルボ 144のフロントを延長して6気筒3L(130HP)エンジンを搭載した上級車ボルボ 164が登場しました。独立したフロントグリルなど顔つきが高級車らしい重厚なデザインに変更され、144とは別物に見えました。内装は木目調のインパネやオプション設定の本革シートなど豪華に仕立てられ、自動変速機やパワーステアリングも装備されていました。164は4ドアセダンだけの設定で、4段変速/3段自動変速で最高速175km/hの性能でした。
1972年にボッシュの電子式燃料噴射システムを採用して164Eとなり、158HPへのパワーアップと排ガス規制をクリアしました。1973年のマイナーチェンジで、リアライト形状など前後の意匠と内装が変更されました。1974年にドアが強化され3角窓が廃止され、アメリカの安全基準に対応して大型の衝撃吸収バンパーが標準仕様になりました。1974年にエアコンなどの豪華装備を標準で装備した限定版の164TEが追加されました。1974年に後継車のボルボ 264が登場し164Eは1975年までに生産されました。総生産台数は約15万台でした。
ミニカーは1970年に発売されたテクノ製の当時物です。前述したテクノ製の144をベースにして164の初期型をモデル化しています。テクノ(デンマーク)のミニカーとしては後期の物で、それまでは金属製であったフロントグリル/バンパーにメッキしたプラスチックを使用しています。このフロントグリルの出来があまりよくありませんので、フロントの雰囲気がテクノのミニカーとしては今一つなのですが、それ以外は当時のミニカーとして良く出来ていました。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミックで、前述した144と同じ前輪操舵ギミックも付いています。なお144ではサイドウィンドーとドアの内張を再現していましたが、この164ではコストダウンで省略されています。これ以外の164の当時物ミニカーはポリスティルの1/43と1/25がありました。当時物以外ではイクソ(ホワイトボックス、プレミアムX)とネオ(レジン製)などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。エンジンルーム内には簡単な造形ですが金属製で6気筒エンジンが再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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サーブ 99 スウェーデン 1968年
1968年にサーブ 96の後継車としてにサーブ 99が登場しました。ボディが一回り大きくなり、エンジンはイギリスのトライアンフ製4気筒1.7L(80HP)が採用されました。エンジンを縦置きする前輪駆動方式を踏襲し全輪にサーボ付ディスクブレーキを装備し、4段変速で最高速155km/hの性能でした。先代同様に空力的に優れたボディは独得の雰囲気があり、その後のサーブ車のボディスタイルの原点となりました。当初は2ドアだけでしたが、1970年に4ドア、1974年に全長が少し長い3ドアハッチバック(コンビクーペ)、1976年に5ドアハッチバックが追加されました。
当初のトライアンフ製エンジンは信頼性の問題が発生したので1972年からはサーブが内製した2Lエンジンに変わり、2ドアの高性能版EMSには燃料噴射式2L(110HP)エンジンが搭載されました。1978年には量産車として世界初の2Lターボエンジン(145HP)を搭載した99 ターボ(コンビクーペ)が登場し、この車は最高速198km/hと高性能でした。サーブ 99は様々な改良が加えられ1984年まで約60万台が生産され、アメリカ市場を中心に人気を博しました。後継車は1978年に登場したサーブ 900でした。
ミニカーは1968年に発売されたテクノ製の当時物です。微妙なボディラインを持つサーブ 99のボディを実にうまく再現していました。角型のラインストーンをヘッドライトに使ったフロントグリルや室内などの仕上げレベルも高く当時のミニカーとしてとても良い出来ばえでした。実車同様に大きく前方に開くボンネットとドアの開閉ギミック付きです。エンジンルーム内にはエンジンが金属パーツで再現されていますが、金属パーツで作られたエンジンはメッキされたプラスチック製パーツのエンジンよりリアリティがあります。これ以外のサーブ 99の当時物ミニカーはポリスティルのセダン、ナコラルのコンビ クーペがありました。当時物以外ではトロフュー、イクソ(プレミアムX)のセダンとラリー仕様、ネオ(レジン製)のコンビクーペなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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日産 ローレル C30型 日本 1968年
1968年に日産 ブルーバードの上級車としてローレルが登場しました。バンなどの商用車を設定しない個人向け高級車(ハイオーナーカー)というジャンルはこの車が国産初でした。見た目は前述したブルーバード 510型とそっくりでしたが、ボディは全長/全幅ともにブルーバードより一回り大きくなっていました。プリンス スカイライン S5型用のエンジンをパワーアップした4気筒SOHC1.8L(100HP)G18型エンジンを搭載し、スカイライン C10型と共通の全輪独立懸架を採用し、3段AT/4段変速で最高速165km/hの性能でした。
1970年に4気筒2L(120HP)のG20型エンジンを搭載した、センターピラーレスの2ドアハードトップが追加されました。このハードトップは当時のアメリカ車風の実にかっこいいデザインでした。1970年のマイナーチェンジで後期型となり、1971年にはセダンにも2Lエンジンが設定されました。1972年にローレル 2代目 C130型にモデルチェンジしました。
ミニカーは1969年に発売されたダイヤペット製の当時物でアンチモニー製です。プロポーションが良く前述したブルーバード 510型よりもシャープな造形で、実車の雰囲気がうまく再現されていました。ボンネットとトランクが開閉するギミック付きです。アンチモニー製のミニカーは一体成型されたボディ全体をメッキ処理した後で、フロントグリル/バンパーなどの光り物部分を残してボディを塗装するといったやり方で製作されていました。アンチモニー製ミニカーはこの製作方法に由来する独特の味わいがあります。このローレルはその代表的な傑作だと思います。なおアンチモニーは鉛と錫の合金で金属としては柔らかいので、変形しやすいという欠点があります。
ダイヤペットはこれ以外にもダイキャスト製でセダン(型番209)とハードトップ(型番217と229の2つ)をモデル化していました。(ミニカーが4種類もモデル化されたと言うことは実車に人気があった証しです) これ以外の当時物ミニカーはトミカの初期物のハードトップがありました。当時物以外のミニカーではトミカ リミッテドと国産名車コレクション/日産名車コレクションのセダン、エニフ(ENIF レジン製)のハードトップなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ カローラ スプリンター KE15型 日本 1968年
トヨタ カローラ 初代の人気は高く、スポーツ仕様を求めるユーザー層に応じて1968年に追加されたのがスプリンターでした。ボディ後半部分をクーペスタイルに変更していますが、これは当初から準備されていたようです。同じエンジンながら馬力が多少アップして最高速も5km/h高く、内装もスポーティでちょっとだけ値段が高いというバリエーション追加は、商売上手なトヨタらしいやり方でした。カローラはカローラ店で販売され、さらにスプリンターを売るトヨタオート店が新設されました。カローラと同じくスプリンターも1969年に1.2L(68HP)エンジンに切り替わりました。1970年にスプリンター 2代目にモデルチェンジしました。
今見るとカローラ セダンとスプリンター クーペのスタイルの違いはほんの少しでほとんど同じように見えます。また動力性能の違いも現代なら誤差の範囲内ですが、当時の車好きはそのようなわずかなスペックの違いにも敏感でした。またそのようなスペックの違いが、実際の車の売れ行きを左右した時代でもありました。
ミニカーは唯一の当時物であるダイヤペット製で、1969年に発売されました。前述したカローラのリアを修正しフロントグリルとバンパーをプラスチック製パーツに変えて、スプリンターに仕立てていました。カローラと同様に当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。なおこの薄紫のカラーは実車にはなかったと思いますが、当時のミニカーとしても珍しい色でした。なおトランクの開閉ギミックを外した仕様変更版(型番227)が1971年に発売されました。これ以外のスプリンター 初代のミニカーはホンコン製の小スケール品があるようですが、2024年現在でもそれ以外はないようです。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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