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ジャガー D タイプ イギリス 1955年
ルマンで優勝したジャガー C タイプの後継車としてジャガー D タイプが1954年に登場しました。C タイプをベースにしており、ロングノーズとショートノーズの2タイプがありました。ボディはC タイプより空力的に優れていて、コクピット後方につけられた垂直フィンが特徴で これには直進安定性の効果がありました。(フィンが付いてない仕様もありました) ボディは総アルミ製で、6気筒3.4Lエンジンは250HPまでパワーアップされ、4輪ディスクブレーキを装備していました。
1954年ルマンでは、フェラーリ 375に僅差で優勝をさらわれ2位でした。1955年ルマンにはロングノーズのボディで参戦しました。このルマンでは、メルセデス ベンツ 300SLRがルマン歴史上最悪の事故を起こしました。その事故のきっかけとなったのはD タイプだったのですが、D タイプは事故を免れて最終的に優勝しました。なおメルセデス ベンツはこの事故を契機にして1988年のルマンまでレース活動を自粛することになりました。1956年と1957年のルマンでもD タイプが優勝し、3年連続優勝の快挙を成し遂げました。1956年にD タイプを公道走行仕様としたXKSSがごく少数生産されました。1957年に生産工場が焼失したことで、D タイプは生産中止となりました。
ミニカーは2001年頃に発売されたビテス製のミレニアム コレクションという西暦2000を祝う企画物の一つでした。1955年ルマン優勝車(ドライバー M.ホーソン)をモデル化しています。付属品として車に飛び乗ろうとしているドライバーとコクピット背後の給油口にジョーゴで給油するメカニックのフィギュアが付いていました。D タイプもフィギュアもかなり良い出来なので、ちょっとしたミニジオラマ仕立ての楽しいミニカーとなっていました。D タイプの当時物ミニカーはソリド、ディンキー、マッチボックスなどがあり、当時物以外ではブルム、カルツォ、イクソ、オックスフォード、スパーク(レジン製)などたくさんあります。またXKSSのミニカーもスポットオンのレアな当時物やオートアートなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ジャガー 2.4 サルーン (MK I) イギリス 1955年
ジャガーは新しい顧客を開拓する為に、1955年に小型セダンの2.4 サルーンをラインアップに加えました。ジャガーとして初のモノコックボディを採用した車で、デザインは上級車MK VIIに似た雰囲気で高級なイメージを出していました。エンジンはスポーツカーのXK120のDOHC 6気筒3.5Lをショートストローク化した2.5L(112HP)で、4段変速で最高速166km/hと高性能でした。
1957年にはXK140と同じ3.4Lエンジン(210HP)を搭載した3.4 サルーンが追加され、最高速198km/hとさらに高性能になりました。またブレーキが4輪ディスクとなり、豪華な小型車ながら非常にスポーツ性が高く、ラリーなどでも活躍しました。2.4/3.4 サルーンは1959年にモデルチェンジして、MK IIという名前になったので、2.4/3.4 サルーンはMK Iと呼ばれることになりました。MK IとMK IIは良く似たデザインですが、MK Iは窓枠が太くMK IIではそれを改良して窓枠が細くなって窓面積が増えていましたので、MK IとMK IIは窓枠で区別することができます。
ミニカーは1988年頃に発売されたエリゴール製のジャガー MK I (1/43 型番1127)の画像です。エリゴールの初期物はノレブのプラスチック製の型を流用した物が多いのですが、これもノレブの型番17(1957年発売)の型を流用していました。(ただしエリゴールはダイキャスト製です) プロポーションが良く、当時のミニカーとしては良く出来ていました。なおエリゴールは箱にこれを1960年式と表示してあり、底板にはMK Iと表示されています。1960年式であればMK IではなくMK IIではないかと思いますが、エリゴールの母国のフランスでは1960年式もMK Iだったのかも?しれません。フロント周りの造形はMK IIのようにも見えますが、底板にMK Iと銘記しているのでそれを尊重してMK Iであるとしました。これ以外のMK Iの当時物ミニカーはコーギー、ノレブ、スポットオン、マッチボックスなどがありました。最近の物ではネオ(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ トヨペット クラウン RSD型 日本 1955年
前述したトヨタ SA型と同時に発売されたSB型小型トラックは、ラダーフレームに固定車軸の丈夫な構造である程度売れていました。(実車画像→ トヨタ SB型小型トラック) そこでこのSB型シャシーにセダンボディを載せたSD型乗用車が1949年に発売されました。さらにこのSD型の乗り心地などを改良したSF型が1951年に登場しました。(実車画像→ トヨタ SF型) 1953年に新型の4気筒1.5L(48HP)R型エンジンが開発され、このエンジンを搭載したトヨペット スーパー RH型が登場しました。エンジンのパワーアップで最高速は100km/h以上になり、タクシーに多く使われたそうです。(実車画像→ トヨペット スーパー RH型)
このRH型の後継車として1955年に登場したのが、トヨタを代表する国産高級車であるトヨペット クラウン RS型(初代)でした。クラウンは「王冠」の意で、初代から王冠のエンブレムがフロントグリルに付いていました。RS型は新たに開発した前輪独立懸架の乗用車用シャシに、RH型と同じ1.5L(48HP)エンジンを載せ、3段変速で最高速100km/hの性能でした。当時のアメリカ車をお手本にしたボディは、観音開きのドアを採用しているのが最大の特徴でした。なおSA型で失敗した前輪独立懸架は、耐久試験を繰り返して改良され、RS型ではタクシーでも問題が起こりませんでした。この前輪独立懸架に対するトヨタの拘りには、技術者の意地が感じられます。
1955年末にRS型の高級仕様RSD型が設定されました。エンジンは55HPにパワーアップされ、外観的にはフロントウィンドーが1枚ガラスとなり、ボンネット先端のマスコット、サイドモールが追加されました。またフォグランプ、真空管式カーラジオ、時計、ヒーターなどが装備されていました。1958年のマイナーチェンジで後期型のRS20型となり、フロントグリルとサイドモールが変更されました。1959年には4気筒1.5L(40HP)ディーゼル エンジンC型が搭載された、国産初のディーゼル乗用車が設定されました。1960年には1.9L(77HP)エンジンを搭載したRS30型が追加されこの車はボディが少し大きくなり、2速AT車の設定もありました。クラウン RS型には当時の国産車として初めての技術がたくさん盛り込まれていました。1962年にクラウン 2代目(S40型)にモデルチェンジしました。
ミニカーは2006年に発売されたアシェット製 国産名車コレクションでメーカーはノレブです。クラウン RS型の初期型をモデル化しています。プロポーションが良く、灯火類/クロームモール/フェンダーミラーなどの細部もリアルで、かなり良い出来ばえでした。雑誌付きミニカーですのでコストの関係で室内は無彩色ですが、コラムシフトレバーが再現されているなどそこそこリアルに作ってありました。クラウン RS型の当時物ミニカーはモデルペットがありましたが、超レア物で写真でしか見たことがありません。当時物以外ではエブロのRSD型とRS21型、エブロを流用したトサ コレクション、J-43(アンチモニー製)のRS20/30型、REAL-Xの1/72、トミカ リミッテドの1/64、国産名車コレクションの1/43と 1/24などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM オールズモービル 98 スターファイアー コンバーチブル アメリカ 1956年
オールズモービルは1897年に設立されたアメリカで最も古い自動車メーカーで1908年にGM傘下となりました。GMグループではビュイックに次ぐ中級車で、1950-1960年代には先進的な技術やデザインを特徴とするブランドでした。オールズモービルの98シリーズはオールズモービルの最上級モデルで初代は1941年に登場しました。(実車画像→ オールズモービル 98 初代 1941) 1954年に98シリーズ 4代目が登場し、その最上級仕様のコンバーチブルにつけられた名前がスターファイアーでした。(スターファイアーとは当時のジェット戦闘機の名前にちなんだものです) 1958年には98のシリーズ名が消えて単にスターファイアーとなりました。
1961年にスターファイアーの2代目が登場し、この世代ではハードトップクーペも追加され1966年まで生産されました。(実車画像→ オールズモービル スターファイアー 2代目 1961)その後スターファイアーの名前は一時的に消滅し、1975年にスターファイアーの3代目はサブコンパクトカーとして登場しました。この車はシボレー モンザの姉妹車で1980年まで生産されました。(実車画像→ オールズモービル スターファイアー 3代目 1975)
ミニカーは1990年頃に作られたフランクリン ミント製の1950年代シリーズの1台で、スターファイアー 初代をモデル化しています。ややレトロな造形ながらもドア/ボンネットが開閉しエンジン/サスペンションや内装もリアルに再現されているなど、このシリーズに共通する凝った作りで良く出来ていました。なおこのミニカーはウインドー枠が少し太いですが、これは簡単に壊れないよう考慮されているのであって、技術的に細く作れなかった訳ではありません。この辺の事情は昔の国産のダイヤペットなども同じで、当時のミニカーは購入者(主に子供)が多少乱暴に扱っても簡単には壊れないことという制約下で設計されていたのです。このような背景を考慮しないで昔のミニカーをリアルではなかったとするのは正しい評価ではありません。(もちろん作りが稚拙だったものもありましたが) これ以外の同時期のオールズモービルのミニカーはウエリー(WELLY)の1/18、ダンバリー ミントの1/24、ニューレイ、ヤトミンのシグネチャーなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード リンカーン コンチネンタル MK II アメリカ 1956年
この当時のフォード リンカーンにはマーキュリーをベースにしたスタンダードと高級なコスモポリタンの2シリーズがありました。リンカーン コスモポリタン 1950年式は大統領専用車「コスモポ リタン スペシャル」として有名でした。フォードは1956年にヨーロッパ風の高級車を担当するコンチネンタル部門を新設し、戦前のコンチネンタルをコンチネンタル MK IIとして復活させました。リアトランクに搭載したスペアタイヤなど初代のイメージを残しながら近代化した優雅なデザインで、初代同様に品があって美しい車でした。(当時のアメリカ車につきものだった派手なクロームモールも極力抑えてありました)
コンチネンタル MK IIはほとんど手作りの限定生産で、価格1万ドル(普通のリンカーンの2倍 現在の貨幣価値で約1000万円くらい)もするロールス ロイス並みに高価な車でした。ただ手作りゆえに価格1万ドルでも赤字だったそうで、約3000台が生産されただけで1957年には生産中止となりました。1957年以降コンチネンタル部門は、ヨーロッパの高級車ではなく、GM キャディラックなどのアメリカ製高級車に対抗する車を担当する部門にかわりました。1958年に3代目のコンチネンタル MK IIIが登場しました。
ミニカーはフランクリン ミント製で1950年代のアメリカ車を1/43でモデル化した1950年代シリーズの1台で、1989年頃に発売されました。ヘッドライトをメッキパーツで表現するなどややレトロな作風でしたが、その作風が実車の雰囲気にうまくマッチしていて、実に良い出来ばえでした。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、エンジンルーム内のエンジンや室内のインパネなど細部がリアルに再現されていて、当時の1/43サイズのミニカーとしては最上級レベルの出来ばえでした。(ボンネット先端のエンブレムはデフォルメで大きめに出来ているので、形状が良く分かります) これ以外のコンチネンタル MK IIのミニカーとしては、マーキュリーの当時物、フランクリン ミントの1/24、ヤトミンの1/18、ミニチャンプス、オックスフォードの1/87などがあります。 以下はフロント(エンブレム拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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