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ジェンセン FF イギリス 1966年
アランとリチャードのジェンセン兄弟が1934年に設立したジェンセン モーターズ社は、当初はモーリスなどの大衆車向けに特注のボディを製造していました。アメリカの映画俳優クラーク ゲーブルの注文で製作したフォード V8のスペシャル ボディが評判となり、その車をベースにした車に自社の名前を付けて1935年に発売しました。当時のジェンセン社への注文は商用車(トラック、バス)が多く、1939年には「JNSN」という商用車ブランドを起ち上げ、第2次大戦中は軍用車の製造を行っていました。(実車画像→ クラーク ゲーブルのフォード V8 スペシャル ボディ)
戦後の1950年にインターセプターという名前の高級スポーツカーを発表しました。この車はオースチン シアーライン(SHEERLINE)をベースにした車で6気筒4L(130HP)エンジンを搭載し、最高速164km/hの性能でした。(実車画像→ オースチン シアーライン) 1953年にはFRP製のクーペボディを持つ541が登場し、1962年にC-V8に切り替わりました。C-V8はクライスラー製のV型8気筒6L(150HP)エンジンを搭載し、最高速は190km/hと高性能でした。 (実車画像→ ジェンセン インターセプター 1952) (実車画像→ ジェンセン C-V8 1962)
1966年にC-V8の後継車としてインターセプター 2代目が登場しました。カロッツェリア トゥーリングがデザインしたハッチバッククーペボディーにV型8気筒6.3L(283HP)エンジンを搭載し、最高速は222km/hの性能でした。インターセプターをベースにしてファーガソン製フルタイム4WDシステム(量産乗用車用としては世界初)と世界初のダンロップ製アンチロック ブレーキ システム(ABS)を採用した画期的なGTカーの(インターセプター) FF(Ferguson Formulaの意)も同時に発売されました。インターセプターは1974年にコンバーチブル仕様も追加されました。1970年代の石油危機による需要低迷でジェンセン社は1976年に倒産しました。インターセプターは約6500台(FFは高価であったので約300台と少ない)が生産されました。1988年に倒産前と同じボディにクライスラー製のV型8気筒5.9L(243HP)エンジンを搭載したインターセプターの生産が再開され1993年まで少量生産されました。
ミニカーは1968年に発売されたディンキー(英)製の当時物で、ジェンセン FFをモデル化しています。縮尺が1/40で通常の1/43サイズよりやや大きめに出来ていました。プロポーションが良くディンキー流のややごつい作風がこの車にマッチしていて、当時のミニカーとしてかなり良い出来ばえでした。ジェンセン FFの当時物ミニカーはこれとポリトーイのエクスポートシリーズしかなかったので車種的にも貴重で、ディンキー最盛期の傑作ミニカーのひとつでした。ボンネットとドアが開閉するギミック付きです。これ以外のジェンセンのミニカーはスポットオンの当時物 541、ポリトーイの当時物 FF、オックスフォードのインターセプター 1/43と541 1/76、ネオ(レジン製)のインターセプターなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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クーパー T81 マセラティ F1 イギリス 1966年
1965年に創業者が死亡するなどあっててクーパー社は売却されてチップステッド モーター グループ(外車輸入会社)の傘下となりましたが、レース活動は続けていました。1966年にF1の排気量が3L(過給1.5L)に変わり、マクラーレンの3Lエンジンを搭載したクーパー T81が登場しました。T81は当時主流であったモノコック構造をクーパーとして初めて採用しましたが、あまり熟成されていない設計でした。それでも1966年にはメキシコGPで優勝し(ドライバー J.サーティース)、1967年には新型のT87が登場しました。1967年南アフリカGPでの優勝(ドライバー P.ロドリゲス)でやや往年の勢いを盛り返しましが、この勢いは続かず結局1968年限りでレース活動から撤退しました。
クーパーの名前が今も残されているBMC ミニ クーパーは、BMCとクーパーの協力で1961年に登場しました。優れた操縦性のミニ クーパーは、モンテ カルロ ラリーで1964/1965/1967年に優勝しています。またクーパーはJ.ブラマム、B.マクラーレン、S.モスなど優れたドライバーを輩出していました。ミドシップエンジン搭載方式の確立、小さな町工場がレーシングカーを製作する「バックヤードビルダー」というスタイルの確立、ブラバムやマクラーレンといったイギリスのコンストラクターを生み出したことなど、クーパーは1960年代のF1に多大な功績を残しました。
ミニカーは1967年に発売されたコーギー製の当時物です。これはフォルクスワーゲン T1とセット販売された物でしたが、単品(型番156)で販売されたものと基本的には同じ物です。1966年のメキシコGPでJ.サーティスがドライブして優勝した#7をモデル化しています。50年以上も昔のミニカーですが、プロポーションが良く当時のミニカーとしては良く出来ていました。エンジン周りも結構良く再現されていました。また当時のレーシングカーのミニカーにはドライバーが乗っているものが多く、これにもそれらしい服装のドライバーが乗っています。このミニカーにリアスポイラーとステアリング操作ギミックを付けた仕様変更品が1969年に販売されました。これ以外のクーパー マセラティのミニカーは当時物ではT81かどうかは怪しいですが、ポリトーイ(PENNY)やガマがありました。当時物以外ではスパークがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)




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ボルボ 144 スウェーデン 1966年
ボルボ P120シリーズ(アマゾン)の後継車として140シリーズが1966年に登場しました。信頼性が高く頑丈と言った基本的な構造はP120シリーズを踏襲し、ボディはオーソドックな3ボックスセダンスタイルの近代的なデザインになりました。前後にクラッシャブルゾーンを設けたボディ、側面衝突を考慮した分厚いドア、衝撃吸収式ステアリングコラム、2系統式の4輪ディスクブレーキなどボルボ流で安全性が強化されました。4気筒1.8L(68HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速143km/hの性能でした。
当初は4ドアセダンの144とその高性能版の144Sだけでしたが、1967年に5ドアワゴン(コンビ)の145、1968年に2ドアの142が追加されました。(ボルボの型式名の末尾はドア枚数を示しています) 1968年にフロント部分を拡張して6気筒3Lエンジンを搭載し、フロントデザインを重厚にした上級車のボルボ 164が登場しました。1970年のマイナーチェンジでフロントグリルが黒に変更されエンジンが2L(82HP)に拡大されました。1973年の最終モデルには米国安全基準に対応した大型の衝撃吸収バンパーが付き、1974年に後継車の240/260シリーズにモデルチェンジしました。総生産台数は約120万台でした。
ミニカーは1969年に発売されたテクノ製の当時物です。140シリーズの4ドアセダン初期型をモデル化しています。プロポーションが正確で、実車の雰囲気がうまく再現されていました。1960年代のミニカーですのでフロントグリルやバンパーがまだ金属パーツで作られていて、塗装が厚く丈夫な作りになっていました。(テクノは当時のミニカーの中でも高品質で、それ故に少し高価でした) ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。ドアには半開のサイドウィンドーとドア内張も再現されていました。さらにこの頃のテクノ製のミニカーは前輪操舵ギミックも付いていて、前輪には直進状態に戻すセンタリング機能と実車同様のキャスター角が付いているといった凝った構造になっていました。これ以外のボルボ 140シリーズのミニカーはナコラルの当時物でセダンとワゴン、イクソ(ホワイトボックス、トリプル9、プレミアムX)のセダンとワゴン、ブレキナのセダンとワゴン 1/87などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。トランク内にはスペアタイヤがあります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)






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DAF OSI シティカー オランダ 1966年
DAF OSI シティカーは1966年のトリノショーで公開されたシティカーのプロトタイプでした。オランダのDAFがイタリアの自動車雑誌「QUATTRORUTE」との共同企画で開発し、イタリアのカロッツェリア OSI(Officine Stampaggi Industri)のセルジオ サルトレッリがデザインしていました。DAF 32をベースにしていたので、操作が簡単なベルトとプーリーによる無段変速機「バリオマチック」が使われていました。第2次大戦後にはBMW イセッタやゴッゴモビルなどの超小型車が登場し、1950年代後半にはフィアット 500やBMC ミニといった新世代の小型車が登場し、この車もその流れを受けて開発されたようです。
この車の最大の特徴はドアで、運転席の左側はスライドドア、右側はセンターピラーのない観音開きドア、さらに荷物用のハッチバックもついていました。このようなドア構成になっているのは、狭い場所に駐車した場合に乗り降りし易いからでしょう。(タクシーとして使うことも想定していたようです) 現在の軽自動車でもセンターピラーのないスライドドア仕様が増えていますから、この車はそれを先取りしていたと言えるでしょう。都市の駐車スペースの問題を解決できる小型のシティカーはたびたび提案されています。(1973年のミニッシマなど) ただ実際に個人が所有する車は様々な用途で使われるので、用途限定のシティカーが製品化されて成功したことはなく、このDAF シティカーも製品化されませんでした。(良く似た車が商用バンのDAF KALMARとして製品化されていましたが (実車画像→ DAF KALMAR))
ミニカーは1971年に発売されたコーギー製の当時物です。コーギーはこのミニカーの縮尺を公表していませんが、実車の全長が約3.1mなので1/43だと思います。ただし実車の画像と見比べてみると、実車よりも全長が短めにデフォルメされているようです。コーギーは外観を親しみ易い形状にデフォルメすることがありましたが、それはコーギーのミニカーの個性でもありました。(昔のミニカーはスケールモデルではなく、子供向けの玩具でしたから) 外形はデフォルメされていましたが、この車の最大の特徴であるドア構成についてはお得意のギミックで巧みに再現していて、室内も良く再現されていました。
このサイズのミニカーにドア/ボンネット/バックドア開閉などのフルギミックを採用していた物は他にもありました。ただこのDAF シティカーのように建付けが良くスムーズに動作する物は少なく、コーギーの技術力が優れていたことを示していました。ただコーギーでも技術的にかなり難しかったようで、コストも高いものについたようです。なお屋根が黒の結晶塗装になっていますが、これはルーフ左端のスライドドアのレールを目立たなくする為に敢えて採用しているのだと思います。DAF シティカーのミニカーはこれしかありません。このミニカーは約47万台が売れ、当時のコーギーとしても標準以上の販売台数だったようです。(その為、実車よりミニカーの方が良く知られています) 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/バックドア開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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日産 セドリック 130型 スペシャル 6 日本 1966年
1965年に日産 セドリック 2代目(130型)が登場しました。先代のアメリカ車風デザインから一転してイタリアのランチアのようなイメージになりましたが、これはイタリアのピニンファリーナのデザインでした。4気筒2L(92HP)、6気筒2L(100HP)、スペシャル6専用のOHC 6気筒2L(115HP)エンジンが設定され、3速AT/4速MTで最高速150km/h(OHC2L)の性能でした。なおセドリック 130型では3ナンバー規格の普通車の設定はありませんでした。なおこの車には既にクーラー(エアコンではなく単なるクーラー)がオプション設定されていたようです。
当時の日本ではセドリック 2代目(130型) 初期型のピニンファリーナ デザインが理解されず不評だったようです。(ピニンファリーナ流の上品なデザインはまだ時期尚早でした) その為セドリック 2代目は1966年と1967年にリアのデザインを変更しました。さらに1968年のモデルチェンジではフロント部分を大幅に変更してオリジナルのイメージが消えました。(実車画像→ セドリック 1968年式) ブルバート 2代目に次いでセドリックのデザインも不評だったことで、日産は外国人のデザインに懲りたと思われます。1971年にセドリック 3代目にモデルチェンジしました。
ミニカーは2012年に発売されたCAM製です。CAMはミニカー専門店ベルテンポのブランドで、レジン製がほとんどでしたが、これはダイキャスト製でした。セドリック 2代目の初期型をモデル化しています。プロポーションが正確で初期型のピニンファリーナ デザインがうまく再現されていて、とても良く出来ていました。フロントグリルと前後灯火類、室内もかなりリアルに再現されていました。CAMは車高を下げたカスタムとそのストックカーレース仕様もモデル化していました。セドリック 2代目の当時物のミニカーはダイヤペットが型番145で1966/67年式、型番186で1968年式を、モデルペットが型番33で1966/67年式をモデル化していました。年式違いがこれほどモデル化されているのは珍しいですが、実車のデザインが何度も大きく変更されたことが原因でしょう。それらの当時物ミニカーはいずれもレア物のビンテージミニカーで、残念ながらいずれも持っていません。当時物以外のセドリック 2代目のミニカーはアドバンスピリット(アンチモニー製)の前期型セダン/バン、トミカ リミッテドの前期型と後期型などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)


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