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DATSUN (NISSAN) 112 1956 JAPAN |
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![]() EBBRO 44217 1/43 92mm
実車諸元 画像参照
日産 ダットサン 112型 日本 1956
日産自動車は1952年にイギリスのオースチン社と技術提携を結び、当時最先端であったA40 サマーセットのノックダウン生産を始めました。(実車画像→ オースチン A40 サマーセット) 1953年に第1号車が完成し、当初はタイヤ、バッテリー、ドアのガラスが国産品でした。国産部品は次第に増やされ、1955年の日産 A50 ケンブリッジでは最終的に全部品が国産となりました。(実車画像→ 日産 A50 ケンブリッジ) 1959年に自社開発したセドリックが登場し、役目を終えたA50は1960年に生産終了となりました。
このノックダウン生産で培った技術を生かして、小型車のダットサン 110型が自社開発され1955年に発売されました。(ダットサンは日産自動車の小型車のブランド名でした) 110型は前後固定車軸のラダーフレームに、鋼板をプレスした車体を載せた構造でした。全長3.86mX全幅1.47m(現在の軽自動車より少し大きい)のボディに、サイドバルブ方式4気筒860cc(25HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速85km/hの性能でした。110型はシンプルで耐久性に優れており、小型タクシー用として人気を呼ぶなど日産の小型乗用車の基礎を固めました。フロントグリル変更やコラムシフト化などで改良され112、113、114、115型と発展し、1957年には210型にモデルチェンジしました。
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ミニカーはエブロ製で2009年に発売されました。日産自動車が保有しているレプリカを忠実にモデル化しているようで、フェンダーの上に付いている小さな赤いウインカー、フロントグリル、室内など細かい所までよく再現されています。国産車の歴史上重要な車をエブロがモデル化してくれたのはうれしいのですが、ウエストラインより上のキャビン部分の高さがやや足りない感じがして、プロポーション的にはいまひとつの感じがします。ダットサン 112型のミニカーは現在(2020年)でもこれしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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PRINCE (NISSAN) SKYLINE (ALSI-1) 1957 JAPAN |
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![]() NISSAN CAR COLLECTION (NOREV) 3 1/43 103㎜
実車諸元 画像参照
プリンス (日産) スカイライン ALSI-1型 日本 1957
プリンス自動車工業は1947年に「東京電気自動車」として創立され、最初は「たま」というブランドで電気自動車を製造していました。その後ガソリン自動車開発に進み、1952年から「プリンス自動車工業」という名前に改名しています。(現在の今上天皇が皇太子となったことを記念してプリンスと命名) 同年に最初の車プリンス セダン AISH型とトラックAFTF型が発売されました。
プリンス セダンAISH型は4気筒1.5L(45HP)OHVエンジンを搭載する小型車で、4段変速で最高速110km/hの性能でした。4段コラムシフト、油圧ブレーキなど当時の国産車としては進んだ内容の車でした。AISH型はエンジンやボディが毎年改良され、1957年にはAISH-VI型まで発展しました。なおAISH型は現在の今上天皇(当時は皇太子)にマイカーとして1954年に献上されました。
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1956年には前輪独立懸架を採用したプリンス セダン スペシャル AMSH型が追加されました。翌年この車をベースにしてスカイライン ALSI-1型が登場しました。プリンス セダンと同じ4気筒1.5L(60HP)エンジンで、4段変速で最高速125km/hは当時の国産車で最速でした。スカイライン ALSI-1型はエンジンのパワーアップ、1960年の4灯式ヘッドライトの採用などで2型-3型と発展し、1961年にはグロリア用の1.9L(70HP)エンジンを搭載した1900(BLSI型)が追加されました。また1962年にはミケロッティがデザインしたスタイリッシュなクーペ/コンバーチブル ボディを持つスカイライン スポーツという高級スポーツカーが発売されました。 また商用車(バン/ピックアップ)の スカイウェイもありました。スカイライン ALSI-1型も1958年に今上天皇(当時は皇太子)に納入されましたが、その車は1959年に発売されたグロリア用の1.9Lエンジンを搭載したプロトタイプだったとのことです。(スカイライン 1900としてモーターショーに展示された試作車とのこと) 1963年に2代目スカイラインにモデルチェンジしました。 |
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![]() ![]() 以下は1980年頃にカドー(卸問屋「可堂玩具」のブランド)が発売したレプリカ シリーズのスカイライン ALSI-2型(1/45 型番REP1)の画像です。アンチモニー製で1961年に発売されたミクロペットのスカイライン ALSI-2型(型番F6)の復刻版です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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DATSUN (NISSAN) 211 1959 JAPAN |
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![]() REEN REPLICA 4 1/43 93mm
実車諸元 画像参照
日産 ダットサン 211型 日本 1959
1957年にダットサン 110型の後継車ダットサン 1000 (210型)が登場しました。オースチンのエンジンをベースにして開発したOHV式4気筒988cc(34HP)エンジンを登載し、4段変速で最高速95km/hの性能でした。210型は当時最大の顧客であった小型タクシーの排気量が1000ccまでに拡大されたことに対応したモデルチェンジでした。ボディは110型をリファインした物で、フロントウインドウに曲面ガラスが使われていました。1958年のマイナーチェンジで211型となり、フロントグリルなどが変更されました。
日産自動車は210型で1958年にオーストラリア一周ラリー「モービルガス トライアル」に出場しました。国際競技への初挑戦でしたが、出場した富士号は、1000cc以下のAクラスで優勝しました。(総合部門では完走34台中25位でした) この快挙は210型の優秀性を世界へアピールすることとなり、同時期に北米への輸出も始まりました。このように高性能で耐久性に優れた210型は小型乗用車市場でライバルを圧倒し、日産自動車の小型乗用車での地位を磐石なものとしました。1959年に後継車のブルーバード 310型が登場しました。
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ミニカーは1970年代にミニカーコレクターが興したブランドのリーンレプリカ製です。1958年のマイナーチェンジでフロントグリルを変更しリアウインドウが拡大された211型をモデル化しています。窓ガラスも付いていない簡単な作りなのですが、プロポーションは前述したエブロ製のダットサン 112型よりもしっかり出来ていて、実車の雰囲気をよく再現しています。これ以外の210型のミニカーでは現在のインターアライドが1990年代末に立ち上げたブランド ミニプロモが上述したオーストラリア一周ラリーの優勝車のミニカー(2台セット 1/43 コールドキャスト製)を発売しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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PRINCE (NISSAN) GLORIA (BLSI) 1959 JAPAN |
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![]() KADO 12 1/43 102mm
実車諸元 画像参照
プリンス (日産) グロリア BLSI型 日本 1959
グロリアはスカイラインをベースにして開発され、1959年に登場しました。スカイライン ALSI-3型に4気筒1.9Lエンジンを搭載して内外装を高級に仕立てた上級車でした。1960年までは小型車規格のエンジン排気量上限が1.5Lであった為、戦後の国産車では初の3ナンバー普通乗用車となりました。スカイラインとほぼ同じ大きさで、4気筒1.9L(70HP)OHVエンジンを搭載し、4段変速で最高速135km/hの性能でした。
1960年には国産車初の4灯式ヘッドライトを採用し、リアのテールフィンを大きくしてアメリカ車的な外観になりました。(→実車画像) なおグロリア(ラテン語で「栄光]の意味)という車名は、1959年の皇太子のご成婚にちなんだものだったそうです。スカイライン 初代と同様にグロリアも1959年に今上天皇(当時は皇太子)に献上されました。1962年にグロリア 2代目にモデルチェンジしました。
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ミニカーは1980年に可堂玩具からカドー(KADO)ブランドで発売された物で、ホワイトメタル製です。ホワイトメタルなのでずっしりと重く、素朴な作りながら実車の雰囲気はそこそこ再現されています。(キャビンのピラーが太いことでイメージが少し違って見えますが) スカイラインと同じデザインだったことが原因なのかもしれませんが、当時物ミニカーはありません。最近の物では、4灯式ヘッドライトの後期型をファインモデル(アンチモニー製)とトミカ リミッテドがモデル化しています。以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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DATSUN (NISSAN) SPORTS S211 1960 JAPAN |
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![]() JAPANESE CARS COLLECTION (NOREV) 27 1/43 95mm
実車諸元 画像参照
日産 ダットサン スポーツ S211型 日本 1960
ダットサン ブランドのスポーツカーとして1952年にDC3型が発売されました。イギリスのMGをお手本にしたオープンカーで、4気筒860cc(20HP)エンジンを登載し、3段変速で最高速80km/hの性能でした。1954年までに約50台が少量生産されました。1959年に後継のS211型が発売されました。上述したダットサン 211型セダンのラダーフレームにFRP製の4座オープンボディを載せていました。セダンと同じ4気筒988cc(34HP)エンジンを登載し、4段変速で最高速115km/hの性能でした。(実車画像→ ダットサン DC3型)
ダットサン スポーツ S211型は少数が生産されただけで、1960年にはブルーバードの1.2L(48HP)エンジンを搭載したフェアレディ 1200(SPL212型)に切り替わりました。外観はS211型とほぼ同じでしたが、ボディは通常の鋼製に変えられました。フロアシフトの4速変速で最高速132km/hの性能でした。このフェアレディという名前はミュージカル「マイ フェア レディ」にちなんだものと言われています。フェアレディ 1200(SPL212型)とその改良型の213型(1.2L/60HP)は合わせて約500台が生産されましたが、全てが北米専用モデル(型番のLは左ハンドル仕様の意)でした。
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ミニカーは2007年に発売された国産名車コレクション製です。メーカーはノレブで、ダットサン スポーツ S211型をモデル化しています。プロポーションが良く実車に即した赤と白のツートンカラーが映えてなかなか良い出来ばえです。オープンカーですので良く見える室内もインパネ、シフトレバー、ペダル類などが結構リアルに再現されています。ほぼ同じ物ですが日産名車コレクションでも幌を上げた色違いがモデル化されてます。S211型の量産ミニカーは2021年現在でもこれしかないようですが、リアルXが1/72でフェアレディ 1200(SPL212型)をモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) |
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![]() ![]() 以下は2008年に発売された日産名車コレクション製のダットサン スポーツ S211型 (1/43 No.7)の画像です。上記の国産名車コレクション製の色違いで、幌が追加されています。国産名車コレクションと日産名車コレクションにはこのように同じ車種をモデル化した色違いが30車種ほどありました。以下はフロント/リアの拡大画像とフロント拡大/俯瞰の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します) ![]() ![]() |
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