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メルセデス ベンツ O3500 バス ドイツ 1955年
ガソリンエンジンを搭載した最初のバスは1895年のベンツ バスとされていて、馬車にエンジンを追加したものでした。同時期に当時のライバルのダイムラー社もバスを開発していました。ダイムラーのバス用シャーシはイギリスに輸出され、ミルネス-ダイムラー(MILNES-DAIMLER)社でバスボディが架装され、有名な2階建てロンドンバスの最初のモデルが1904年に登場しました。
1926年にダイムラー社とベンツ社が合併してダイムラー ベンツ社となり、両社の商用車(トラック/バス)は統合されました。当時のバスはトラック用シャーシを低く変更したシャーシにバスの車体(木製)を架装していました。当時のメルセデス ベンツのトラックにはL1、L2、L5の3タイプがあり、それに対応してバスもN1(16人乗り)、N2(26人乗り)、N5(60人乗り)の3タイプがありました。1930年代になるとアウトバーンが建設されたことでバスによる長距離旅行が可能となり、バスの車体は鋼鉄製に変わり大型化されていきました。
O3500 バスは1949年に登場した戦後型で、当時最も成功したバスでした。路線バスや観光バスなどに使われ1955年までに約6000台が生産されました。路線バスは22人分の座席があり、ほぼ同数の立ち乗りスペースがありました。観光バスは37人分の座席(バックレストを倒せるなど快適仕様)があり、天井の角にも窓が設けられていました。屋根の半分ほどは開閉できるサンルーフとなっていて、残りは旅行用荷物を積載するルーフキャリアとなっていました。1951年にバス専用設計のO6600Hが登場し、最近はシターロなどの名前が付いています。
ミニカーは2002年頃に発売されたミニチャンプス製です。メルセデス ベンツ O3500の観光バスをモデル化しています。1/43なので、全長200㎜を超える大型のミニカーとなっています。フロントグリルや灯火類やルーフキャリアはミニチャンプスらしいリアルな出来ばえでした。サンルーフのパーツを交換することで屋根を開けた状態にできます。屋根を開いた状態にすると室内が良く見えるのですが、室内の出来ばえはこのサイズのミニカーとしてはやや物足りない気がします。またルーフキャリアのパイプはプラスチック製で簡単に壊れるので、これは金属パーツにして欲しいものです。(このミニカーもサンルーフの交換中にパイプの一部が破損しましたので) このO3500は色違いなどのバリエーションが10種類ほどありました。これ以外のO3500 バスのミニカーはBUSCHの1/87や、PREMIUM CLASSIXXSのLO3500などがあります。以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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BMW イセッタ 250 ドイツ 1955年
戦後のBMWが進めた高級車路線は、敗戦直後のドイツではうまくいきませんでした。そこでBMWは高級車路線を転換して、小型大衆車の生産を始めました。量産に適した車種としてBMWがライセンス契約を結んだのはイタリアのイソ社の超小型車イセッタでした。おそらくBMWのモータサイクルのエンジンが流用できるので、イセッタが選択されたのだと思います。ただ高級車メーカーがこのような小型車に切り替えたのですから、よほど財政的に苦しかったのでしょう。
リアに搭載する2サイクル単気筒エンジンの騒音振動対策としてエンジンを自社の4サイクル強制空冷単気筒250cc/300ccエンジンに切り替えて、1955年に発表したイセッタ 250/300は大成功を収めました。この車は2人乗りで、前面にあるドアはステアリングホイールやメーターパネルもろとも前方に開く独特の構造でした。なお3輪車のように見えますが、後輪はデファレンシャルギヤを省略した狭いトレッドの2輪となっているので、4輪車です。全長2.4mの非常に小さな車ですが、ライトやワイパーもちゃんとついていて最高速度も84km/hという立派な小型自動車でした。また荷物台を付けて商用車としても使ったようです。この車をコピーした車がイギリスではハインケル トロージャンとして販売されましたが、そちらは税制上優遇される3輪車でした。
ミニカーは1996年に発売されたシュコー製です。全長54㎜の小さいミニカーながら、灯火類などの細かいところも良く再現されていて非常に良くできてます。特に最大の特長であるステアリング ホイールとともに前方に開くドアが、実際に開閉できるのはとても面白いギミックです。(ドアを開けるのには少しコツがありますが) シュコーは荷台の付いた商用車仕様や1/64や1/87もモデル化しています。イセッタは見た目が面白いので、ミニカーがたくさんあります。プレミアム クラシックスの1/12、BUBの1/87、ホンウェルの1/43と1/72、イクソのイソ イセッタ 1/43などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と俯瞰画像/床下画像です。床下画像で4輪車であることが分かります。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォルクスワーゲン カルマン ギア クーペ (タイプ 14) ドイツ 1955年
フォルクスワーゲン ビートルをベースにして1955年に登場したスポーティーカーがカルマン ギア クーペ (タイプ 14)でした。デザインはイタリアのカロッツェリア ギアによるエレガントなもので、カルマン社がボディを製作していました。1957年にはオープンのカブリオレが追加されました。ビートルがベースでしたので性能的にはたいしたことはありませんでしたが、値段と維持費が安くまた見た目がかっこよかったので「プアマンズ ポルシェ」といわれ人気がありました。
カルマン ギア タイプ 14の当初のエンジンはビートルと同じ1.2L(30HP)でしたが、その後ビートル同様に1965年に1.3L(40HP)、1966年に1.5L(44HP)、1969年に1.6L(50HP)と拡大され、1.6Lは最高速140km/hに性能が向上しました。1971年にテールライトが大きくなり、バンパーの形状が変更されました。タイプ 14は1973年まで生産され総生産台数は約44万台でした。ブラジルではタイプ 14をベースにしたカルマン ギア TCが1975年まで生産されました。(実車画像→ フォルクスワーゲン カルマン ギア TC 1972 )
1962年にフォルクスワーゲン 1500をベースにして同じギアのデザインながらタイプ 14とは異なるデザインを持つカルマン ギア 1500 クーペ (タイプ 34)が登場しました。このデザインは当時のアメリカ車(GM シボレー コルベア)を意識したものだったようです。(実車画像→ カルマン ギア クーペ (タイプ 34) 1966) タイプ 34のエンジンは1.5L(45HP)で最高速135㎞/hとタイプ 14より高性能でした。1965年に1.6L(54HP)が追加されました。タイプ 34はデザインが良くなかったのか? 人気が出ず、タイプ 14より先に1969年に生産中止となりました。総生産台数は4万台ほどで、稀少車の類でした。
ミニカーは1992年に発売されたミニチャンプス製です。ミニチャンプスとしては初期物ですが、古典的ながら魅力的なこの車のデザインがうまく再現されています。灯火類やロゴなどの細部もリアルに再現されています。カルマン ギア タイプ 14の当時物ミニカーはディンキー、メルクリン、国産のミクロペットなどがありました。当時物以外ではシュコー、ヴィーキング、フランクリン ミントの1/24、京商の1/64、NEO(レジン製)などがあります。カルマン ギア タイプ 34の当時物ミニカーはコーギー、ジク(SIKU)などがありました。当時物以ではミニチャンプス、ヘルパとブッシュの1/87があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ポルシェ 550A RS スパイダー ジェームス ディーン ドイツ 1955年
フォルクスワーゲンのディーラーがポルシェ 356を改造したミドシップ スパイダーを駆って国内レースで活躍したことに触発されて、ポルシェ社も自らレーシングカーの製作を始めました。1953年に1.5Lエンジンをミドシップ配置した2座スパイダーのプロトタイプが完成し、ルマンに出場してクラス優勝しました。翌年この車はエンジンを4カムシャフトに改造して、550 RS スパイダーとして一般市販されました。なお車名の550とは軽量なアルミ製ボディの乾燥重量が550㎏だったことに由来しています。
この高性能エンジンは前述した356 カレラにも使われました。1955年に550はサスペンションを改良し軽量化された550A RSに変わり、多くはアメリカに輸出されました。前述したポルシェ 356 スピードスターを愛用していた映画俳優のジェームス ディーンは365 スピードスターから550A RSに乗り換えたのですが、1955年にその車でレース場に向かっていた途中に交通事故で死亡しました。
ミニカーは1996年に発売されたブルム製です。ジェームス ディーンが愛用していた車をモデル化していて、ゼッケン「130」とリアパネルのナンバープレート「2Z77767」と「Little Bastard(リトルバスターズ)」のロゴは実車に即しています。そこそこリアルで実車の雰囲気が再現されたブルムらしい良い出来ばえです。なおリアフェンダー上の塗装(実車は赤いラインがある)などが実車と異なっているのですが、その塗装や内装を修正した改良版(型番はR234のまま)が2013年に発売されています。(ブルムにはこのような型番を変更していない改良版が結構あります) 下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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メッサーシュミット カビネンローラー KR200 ドイツ 1955年
ドイツの航空機メーカー メッサーシュミット社は第2次大戦後に航空機の製造が禁止された為、同社の技術者であったフリッツ フェンド(Fritz Fend)が設計した超小型車を製造することにしました。敗戦後のドイツには、BMW イセッタやゴッゴモビルなどの超小型車が登場しましたが、このメッサーシュミット KR200 カビネンローラーもその仲間でした。なおカビネンローラーとは「キャビンのついたスクーター」という意味です。
KR200はまるで戦闘機のように開閉するキャノピーを持った前後タンデム2人乗りの後輪駆動3輪車で、小さなタイヤは戦闘機の後輪を流用したといわれています。エンジンは空冷2サイクル単気筒191cc(10HP)で、約240Kgの軽量ボディ故、最高速90km/hが可能だったようです。(こんな車に乗って90km/hで走ると怖いと思いますが) 画像の幌仕様以外に透明プレクシグラス製ハードトップ仕様と屋根のないスポーツ仕様のロードスター(KR201)もありました。
1956年に航空機の製造が許可されたメッサーシュミット社は、KR200の製造をフリッツ フェンドが設立したFMR社(Fahrzeug Maschinenbau GmbH Regensburg:リーゲンスブルグ車両製作有限会社)に引き継ぎました。ただその後もKR200はメッサーシュミットの名前のままで生産されました。FMR社は1958年にKR200をベースにして、エンジンを500㏄(19.5HP)に拡大し車幅を少し広げて後輪を2輪に変更した高性能版(最高速125km/h)のFMR TG500 (当初はタイガーという名前でした)を登場させました。戦後しばらくして経済が復興すると、この類の超小型車は魅力がなくなり次第に売れなくなり、1964年にKR200は生産中止となりました。KR200/KR201の総生産台数は約4.2万台、TG500は約300台でした。
ミニカーは1994年頃に発売されたドイツのガマ製です。実車が小さいので全長67㎜のずいぶん小さいミニカーですが、小さいながらも凝ったつくりになっていました。キャノピーが開閉し室内のバイクのようなバーハンドルや小さなタイヤなどがしっかり作り込まれています。ガマはハードトップ仕様やTG500もモデル化していました。ガマ以外ではキラルの当時物の1/35、ビテスのKR200/TG500、ブッシュの1/87、シュコーの1/18、オックスフォードの1/76と1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。正面中央に付いている3文字のロゴはFMR社のロゴです。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)