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フィアット 508S バリッラ コッパ ド オーロ イタリア 1934年
この当時のフィアット車には必ずスポーツ仕様がありましたが、大衆車 508 バリッラにも2シーター スパイダーの508Sが1934年に追加されました。カロッツエリア ギアのデザインで、リアのトランクに付いた小さなテールフィンが特徴でした。4気筒1Lエンジンはサイドバルブからオーバーヘッドバルブに変更されて36HPにパワーアップされ、790kgと軽量なボディゆえに4段変速で最高速110km/hの性能でした。操縦性も優れていて、当時の軽量スポーツカーとしては抜群の性能でした。508Sには様々なバリエーションがありましたが、高性能版はコッパ ド オーロ(伊語で金杯の意)とも呼ばれました。
フィアット 508Sのレース仕様はミッレ ミリアなどのレースで活躍し、イギリスのブルックランズ マウンティン サーキットでは平均速度89km/hで1000マイルを走破しており、軽量ながら耐久性にも優れていたようです。1935年にレースでの空力特性を改善する為に流線形のクーペボディを載せた508CS ベルリネッタ ミッレ ミリア クーペが開発されましたが、ボディが重くなり競争力が低下しました。508 バリッラはドイツのNSUやフランスのシムカでも生産され、シムカ版の508S スパイダー(シムカ フィアット 6CV)が1937年ルマンの1.1Lクラスで優勝しています。508Sはわずか1000台ほどしか生産されませんでしたが、高く評価されています。(実車画像→ フィアット 508CS ベルリネッタ ミッレ ミリア クーペ)
ミニカーはマーキュリー製で1960年代に発売されました。実際に製作したのはZISS-MODELL(チィス モデル)のブランドで知られるMINI-AUTO社で、マーキュリーにOEMしていたようです。実車の雰囲気がうまく再現され、当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。ボンネット取外しとドア/トランクが開閉するギミック付きで、エンジンやトランク内のスペアタイヤも再現されています。これ以外の508Sのミニカーはドゥグー、ポリスティルの1/16、スターラインの508CSなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを外したエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランチア アスツゥーラ カブリオレ ピニンファリーナ イタリア 1934年
ビンテージ期の傑作車ランチア ラムダの後継車として1931年にアルテナ(ARTENA)が登場しました。アルテナのセダンはランチアが自社製標準ボディを設定していましたが、それ以外のボディ(クーペ、コンバーチブルなど)は従来通りカロッツェリアが特注ボディを架装していました。その為ボディはラムダの特徴であったモノコック構造ではなくフレーム構造を採用していました。V型2L(55HP)エンジンを搭載し4段変速で最高速115km/hの性能でした。1942年まで生産され総生産台数は約5500台でした。(実車画像→ ランチア アルテナ 1931)
1931年にランチアの最上級車ディラムダの後継者としてアスツゥーラが登場しました。アスツゥーラはアルテナと同じプラットフォームでしたが、ホイールベースが延長されV型8気筒2.6L(72HP)エンジンを搭載していました。エンジンは1933年には3L(82HP)に拡大され、短いホイールベース版が追加されました。アスツゥーラはV型8気筒エンジンながら排気量は3Lと控えめで、スポーティな高級車として名だたるカロッツェリアが豪華なボディを架装していました。1939年まで生産され、総生産台数は約2900台でした。ランチアは車名にギリシャ文字を使っていましたが、この頃からアルテナとアスツゥーラなどローマ帝国時代の地名を使うようになりました。
ミニカーは2006年頃に発売されたフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」のNo.16として作られた物でイクソ製です。ピニンファリーナがデザインしたコンバーチブルをモデル化しています。品の良いスポーティなデザインに青/空色のツートンカラーが良く似合っています。プロポーションが良く、室内もそこそこ良く再現されていて雑誌付きミニカーの標準的なレベル以上の良い出来ばえでした。これはオークションで入手した物ですが、2010年に色違いがイクソの型番MUS029(黄/金 ツートンカラー)でも発売されました。これ以外のアスツゥーラのミニカーはソリド、ミニチャンプス、スターラインなどがあります。アルテナのミニカーはKESS MODEL(レジン製)があります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パッカード トゥエルブ ルバロン アメリカ 1934年
前述したパッカード ツイン シックス(量産車初のV型12気筒6.9Lエンジン搭載)の後継車として、V型12気筒エンジンの排気量を7.3L(160HP)に拡大したトゥエルブが1933年に登場しました。パッカードの最上級車トゥエルブは極めて高価な車で、この当時はまだコーチビルダーがボディを架装していました。標準のホイールベース仕様には2ドアロードスター/クーペ、4ドアセダン/フェートンなど、ロングホイールベース仕様にはリムジーンなど様々な特注ボディが架装されました。
このパッカード トゥエルブ ルバロンはコーチビルダー ルバロン(LE BARON)社が架装した豪華な二人乗りのボートテール型ロードスターで、このタイプは僅か数台しか作られなかったそうです。(ボートテール型とはテールが小型ボートのような形状になっています) この車の初代のオーナーは有名な映画スターのクラーク ゲーブルだったそうです。(実車画像→ パッカード トゥエルブ ルバロン クラーク ゲーブル パーソナルカー) 1935年にエンジンが7.7Lに拡大され175HPにパワーアップし、ギヤボックスはシンクロ付きになり、1937年にブレーキが油圧式となりました。トゥエルブは1940年に生産中止となり、総生産台数は約5000台でした。
ミニカーは2006年頃に発売されたフランスのミニカー付き雑誌「VOITURES CLASSIQUES」シリーズのNo.28でイクソ製です。ほとんど同じで色違いの青がイクソのカタログモデルでは型番MUS043で2012年に発売されました。実車諸元の画像参照リンク先に載っている実車を忠実にモデル化しています。出来ばえはこのシリーズのイクソ製の標準的なものでしたが、特にこのパッカードはフロントグリルまわりの造形が良くできていました。グリルの外枠とセンターラインが車体と同じカラーに塗られたフロントグリルがきちんと再現され、グリルの上に付いているマスコットもはっきりと形が分かるように再現されていました。(かなりオーバースケールですが、マスコットは大きめで再現するのが良いのです) このパッカードのマスコットは差し出した両手で車輪を掲げている女神の姿で「Goddess of Speed(スピードの女神)」と呼ばれている有名な物です。これ以外のパッカード トゥエルブのミニカーはフランクリンミントの1/24と1/43、アンソンの1/18や1/24、GREAT LIGHTNING(レジン製)などがあります。以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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パッカード トゥエルブ コンバーチブル アメリカ 1934年
1920-1930年代のパッカードはGM キャディラックと双璧をなす高級車ブランドでした。前述したツイン シックス(量産車初のV型12気筒6.9Lエンジン搭載)の後継車として、V型12気筒エンジンの排気量を7.3L(160HP)に拡大したトゥエルブが1933年に登場しました。パッカードの最上級車トゥエルブは極めて高価な車で、この当時はまだコーチビルダーがボディを架装していました。標準のホイールベース仕様には2ドアロードスター/クーペ、4ドアセダン/フェートンなど、ロングホイールベース仕様にはリムジーンなど様々な特注ボディが架装されました。なお一番人気があって高価だったのは、前述したルバロン ロードスターだったそうです。
これは4ドアのコンバーチブルで、正式にはデュアル カウル フェートン(前席/後席のどちらにもウインドースクリーンが付いた4座オープン) と呼ばれる形式です。室内の前席背後のパーティション部分に後席用ウインドーを上下させるハンドルが付いているのがその証です。当時の高級車の最新機器として、1934年のパッカードにはダッシュボード組込み式ラジオがオプション設定されていました。1935年にエンジンが7.7Lに拡大され175HPにパワーアップし、ギヤボックスはシンクロ付になり、1937年にブレーキは油圧式となりました。トゥエルブは1940年に生産中止となり、総生産台数は約5000台でした。
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製です。同社の1/43サイズの1920-1930年代のクラシックカーは約十数種類あり、キャディラックやパッカードなどの高級車をモデル化していました。いずれもドアが開閉しボンネットを外すとエンジンが再現され、シャーシなどの下回りもそこそこ良く再現されていました。このパッカードもヘッドライトなどが少しレトロな作風でしたが、実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ていました。前述したトゥエルブ ルバロンと同様に、これもフロントグリルのマスコット(Goddess of Speed(スピードの女神))がうまく再現されていました。4ドアが開閉しボンネット内にはエンジンが再現されていました。フランクリン ミントは1/24でも同じ車をモデル化していました。これ以外のパッカード トゥエルブのミニカーは前述したイクソのルバロン、アンソンの1/18や1/24、GREAT LIGHTNING(レジン製)などがあります。以下はフロント(マスコット拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。エンジンはリアルに再現されていて、ラジエーター、冷却ファン/ファンベルトが判別できます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ライレー MPH イギリス 1934年
1890年にウイリアム ライレーが「ライレー自転車会社」を設立し自転車製造を始め、1899年から自動車製造に進出しました。1906年には世界で初めて脱着可能なホイールを採用した4輪車を発表しました。その後ライレー社は自動車および自動車部品を製造する複数のグループ会社として発展しました。1920年代から1930年代にかけて4気筒/6気筒/8気筒エンジンを搭載するツーリングカーを発売しましたが、行き過ぎた車種展開によるコストアップがたたって経営が悪化し、1938年にモーリス社に併合されました。
ライレー MPHは6気筒エンジン搭載のライレー 12/6のレーシングカーをベースにして1934年に製作された高性能スポーツカーでした。ライレー独自のツインカムOHV機構を採用した6気筒1.4L/1.6L/1.7L(56HP)エンジンを搭載し、最高速145km/hと高性能でした。性能もさることながら、その美しいスタイルも魅了的で、戦前のライレーとしては一番有名なモデルでした。ただし製作された台数は十数台と少なかったようです。
ミニカーは1974年に発売されたマッチボックス製のYシリーズです。1960年-1980年代に発売されたマッチボックスのクラシックカーは型番がYから始まるのでY シリーズと呼ばれ、それまで専門メーカーが作っていたマニアックなクラシックカーのミニカーを手ごろな値段で一般向けに提供したものでした。Yシリーズは本格的なクラシックカーとしてはやや物足りない出来ばえでしたが、車種的には貴重なモデルがたくさんありました。このライレー MPHも量産ミニカーはこれしかないので、車種的には貴重です。派手なメタリック塗装と縮尺1/35の中途半端なサイズはいまひとつですが、プロポーションは良く、フロントグリルや室内なども値段相応できちんと作ってあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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