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フェラーリ テスタロッサ イタリア 1984年
フェラーリ 512 BBの後継車として、1984年にテスタロッサが登場しました。フェラーリの旗艦として、1960年代の名車 250 テスタロッサの名前を復活させました。TESTAROSSA(赤い頭)の伝統に従ってエンジンのカムカバーは赤く塗られました。ピニンファリーナによるデザインは512 BBの流れに沿ったものでしたが、サイドのエアインテーク部の大型フィンが並の車ではない迫力を感じさせました。エンジンは512 BBと同じDOHC V型12気筒5Lでしたが、4バルブ化されて360HPから390HPにパワーアップしていました。初期のモデルは運転席側サイドミラーがAピラーの中ほどに取り付けられていましたが、1986年以降は通常のドア前端部分に変更されました。
1991年に512 TR(テスタロッサの略)にモデルチェンジしました。外観的にはほとんど同じで、エンジンが425HPにパワーアップされ操縦性などが改良されていました。さらに1994年には512Mにモデルチェンジされました。MはModifiedのMで、521 TRの改良型という意味でした。電子式故障診断装置の追加、軽量化、車両剛性の向上などの改良がおこなわれました。外観的にはリトラクタブル ヘッドライトが固定式に、テールランプが丸型4灯になるなど大きく変更されました。エンジンは440HPとなり、最高速は315km/hとなりました。後継車は1996年に登場したフェラーリ 550 マラネロでした。
ミニカーは1988年に購入したウエスタン モデル製(ホワイトメタル製)の当時物です。ウィンドー/ライト類以外のほとんどの部品が金属製(ホワイトメタル)なので、ずっしりと重く存在感があります。特徴的なサイドのフィンやリアライト部分のルーバーが薄い金属板で作られていたので、実にリアルな質感がありました。当時の値段で13000円と高価でしたが、当時はこれ以上リアルなミニカーは無かったので思い切って買いました。初期のテスタロッサの特徴である左側のAピラーから生えているドアミラーが付属していて、これは自分で取付けました。これ以外のテスタロッサのミニカーはトミカ、ポリスティルの1/25、ブラーゴの1/18、マテルの1/18、ヘルパのプラスチック製の1/43、イクソ、ミニチャンプスの512TRと512Mなどたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ランボルギーニ LM002 イタリア 1984年
1976年にランボルギーニはBMWからミッドシップ車 M1の開発/シャーシ製造を依頼され、1977年にはプロトタイプが完成しました。しかしランボルギーニの財政状況の悪化で、製造が遅れたことでランボルギーニは委託契約を破棄され、結局1978年に倒産しました。その後ランボルギーニはイタリア政府の管理下となり、1987年にクライスラー傘下となるなどして、1999年からはフォルクスワーゲン/アウディ グループの一員となっています。
ランボルギーニはオフロード車のプロトタイプをチーター(CHEETAH)という名前で1977年に発表しました。この車はアメリカのMTI(Mobility Technology International)社の依頼でアメリカ軍向けの軍用車として開発され、クライスラー製のV型8気筒エンジンを横置きでリアミッドシップ搭載していました。しかしこの車は軍用車として採用されませんでした。(実車画像→ ランボルギーニ チーター)
そこでこの車は富裕層向けのオフロード車として再設計され、1981年にLM001という名前のプロトタイプが製作されました。LM001はリアエンジン車特有の加速時の操縦性に問題があり、エンジンをフロント搭載に変更して完成したのがLM002でした。豪華な内装や装備を持つ4人乗り高級車で、ボディ後部はピックアップのような荷台になっていました。駆動方式は副変速機を持つフルタイム4WDで、タイヤはパンクしても走行可能なピレリ製の特注品でした。当初のエンジンはカウンタック用を改良したDOHC V型12気筒5.2L(455HP)でした。1993年まで約300台が生産されました。(なお市販されたのは1986年とする資料が多いですが、1982年からとする資料もあります)
ミニカーは2004年に発売されたミニチャンプス製です。ミニチャンプらしい手堅い作りで、角ばったボディや床下部分のサスペンションなどの細部もリアルで、全体的に実車をリアルに再現してありました。室内などの細部も彩色され良く再現されていました。これ以外のLM002のミニカーは京商の1/18と1/64、イクソ(廉価版のホワイトボックス)などがあります。プロトタイプのチーターのミニカーは、Bブラーゴ、ダイヤペット、トミカがありました。チーターは実際には販売されなかったので、ミニカーはいずれもショーカーをベースにした創作的なものになっていました。以下はフロント/リアの拡大画像と床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ ハイラックス 4WD (50/60/70系) 日本 1984年
1983年にハイラックス 4代目(50/60/70系)が登場しました。後輪駆動車にはポピュラーシリーズとコンフォタブルシリーズの2タイプがありました。ポピュラーシリーズは先代のボディが継続生産され、コンフォタブルシリーズと4WD車はボディを一新しました。新しいボディは前後のブリスターフェンダーが特徴でした。後輪駆動車のエンジンは4気筒1.6L/1.8Lガソリンと4気筒2.2L/2.4Lディーゼルエンジンで、4WD車は4気筒2Lガソリンと4気筒2.4Lディーゼルエンジンが搭載されました。ディーゼルエンジンにはフロアシフトの4段自動変速機が設定されました。
1984年に4WDモデルをステーションワゴン化したトヨタ初のSUV ハイラックス サーフ(輸出仕様の名前は 4ランナー)が追加されました。1985年に乗用車系のハイラックス サーフの前輪サスペンションは独立懸架方式に変更されましたが、ピックアップの前輪サスペンションは悪路に強い頑丈なリジット方式のままでした。1988年にハイラックス 5代目(80/90/100/110系)にモデルチェンジしました。 (実車画像→ ハイラックス 5代目 1988)
ミニカーは1985年に発売されたダイヤペット製の当時物です。ダイヤペットの協力工場の11番工場製で、ハイラックス 4代目の4WDをモデル化しています。ダイヤペットは先代を型番T3でモデル化していましたので、その型を変更してハイラックス 4代目に仕立てているようです。フロントグリル、ブリスターフェンダー、フロントのウインチなどをかなり大幅に変更していました。その変更でハイラックス 4代目の雰囲気がうまく再現されていて、当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/リアパネル(後アオリ)が開閉するギミック付きです。当時市販車を少し改造して、このような大きなタイヤを履いたハイラックス 4WDは実在していて、実車をまじかで見たことがあります。なおダイヤペットはさらに大きなタイヤを付けた ハイラックスを型番T66(以下の画像参照)でモデル化していましたが、さすがにそんな大きなタイヤの実車は実在しなかったようです。(映画用などの特殊な改造車ならあったようですが) これ以外のハイラックス 4代目のミニカーはトミカとマッチボックス(スーパーキング シリーズ)などがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/リアパネル開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ MR2 AW11型 日本 1984年
日本初の量産ミドシップ スポーツカー トヨタ MR2が1984年に登場しました。1983年の東京モーターショーで試作車SV-3が公開され、翌年に若干の仕様変更がされて量産化されました。(実車画像→ トヨタSV-3 1983) 当時の流行りだったリトラクタブルヘッドライトを持つ角ばったデザインは、個人的にはスポーツカーとしてはやや地味だと思いました。コストダウンの為、エンジンと変速機は前輪駆動のカローラ 80型の物を流用し、それをミドシップ搭載していました。1984?の日本 カー オブ ザ イヤーを受賞しました。
1986年のマイナーチェンジで後期型となり、スーパーチャージャー付エンジン(145HP)が追加され、Tバールーフ仕様が設定されました。1989年まで生産され、MR2 2代目 SW20型にモデルチェンジしました。当時のWRC用ラリーカー セリカ(TA64型)の後継として、AW11型をベースにして4WD化したラリーカー(開発コード 222D)が開発されましたが、レギュレーションが変更されたことなどからWRCに参戦することはありませんでした。
ミニカーは1984年に発売されたダイヤペットの当時物です。ダイヤペットの協力工場の144番工場製で、この144番工場は当時としてはリアルな造形のミニカーを作っていました。このMR2もプロポーションがやや腰高な感じですが、全体的にかなり良い出来ばえでした。フロントトランク/ドア/リアボンネットが開閉するギミック付きで、リトラクタブルヘッドライトも可動します。フロントにはスペアタイヤ、リアにはエンジンが再現されていました。またこの2トンカラーは当時としては綺麗に仕上がっていました。(塗装が経年変化で多少荒れていますが) これ以外の当時物ミニカーとしては、トミカのSV-3、トミカ ダンディのSV-3がありました。当時物以外では、Mテック、Mテックの型を使ったトサ(TOSA)コレクション、エブロ、CM'Sの222D、イクソ プレミアムXのラリーカー仕様 222D、国産名車コレクション、レジン製ではMARK43などがあります。 以下はフロント(トラクタブルヘッドライト開閉)/フロントトランクを開いた画像とリア/リアボンネットを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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トヨタ カリーナ 1600 GT-R A60型 日本 1984年
1981年にトヨタ セリカと同時にカリーナも3代目に変わりました。人気の高かった先代のボクシーなデザインを引き継ぎ、セダンは角型4灯式 クーペは異形2灯式ヘッドライトを採用していました。シャーシはコロナ 7代目と共用となりました。4ドアセダン、3ドアクーペに加えて初のワゴンであるサーフが1982年に追加されました。
エンジンは4気筒1.5/1.6/1.8/2Lと1.8Lディーゼル、1.6と2LにはDOHC仕様がありました。4段AT/5段MTで、DOHC2L(135HP)は最高速180km/hの性能でした。1982年には日本初のDOHCターボ仕様の1.8L(3T-GTEU 160HP)エンジンを搭載したGT-T/TRが設定され、2LのDOHCは廃止されました。1983年のマイナーチェンジでは1.6LのDOHCエンジンが2T-Gから4A-Gに切り替わりました。
1984年にセダンに前輪駆動(FF)方式を採用したカリーナ FF (4代目)が追加され、FFとFRが混在する車種構成となりました。(実車画像→ トヨタ カリーナ FF) 1985年に3代目のクーペが生産中止となりスポーツ系のモデルもFFに切り替わり、カリーナのFF化が進められました。(一部のセダン、バン、ワゴンはFRのままでした) カリーナ クーペの後継車としては1985年にカリーナ ED (名前はカリーナでしたが、セリカ 4代目の姉妹車)が登場しました。このカリーナに代表されるように、この時期にトヨタ主力車のFF化とエンジンの新旧交代が行われました。1988年にカリーナ 5代目にモデルチェンジしました。(実車画像→ トヨタ カリーナ 1988)
ミニカーは2011年に発売されたトミカ リミッテド製です。1984年のGT系のマイナーチェンジでカラードバンパーが採用されたカリーナ 3代目 GT-Rをモデル化しています。1/64と小さいながらもフロント周りの雰囲気など実車がうまく再現されていて、結構良く出来ていました。トミカ リミッテドではマイナーチェンジ前のセダンもモデル化していました。なおカリーナ 3代目と4代目の当時物ミニカーはなく、4代目以降のカリーナは2024年現在でもミニカーがなく寂しいです。(実車も7代目が2001年に生産中止となり、ブランドが消えました) カリーナ 3代目クーペの後継車であったカリーナ ED 初代はCAMとMARK43がレジン製でモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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