Sorry Japanese Only
サーブ 99 スウェーデン 1968年
1968年にサーブ 96の後継車としてにサーブ 99が登場しました。ボディが一回り大きくなり、エンジンはイギリスのトライアンフ製4気筒1.7L(80HP)が採用されました。エンジンを縦置きする前輪駆動方式を踏襲し全輪にサーボ付ディスクブレーキを装備し、4段変速で最高速155km/hの性能でした。先代同様に空力的に優れたボディは独得の雰囲気があり、その後のサーブ車のボディスタイルの原点となりました。当初は2ドアだけでしたが、1970年に4ドア、1974年に全長が少し長い3ドアハッチバック(コンビクーペ)、1976年に5ドアハッチバックが追加されました。
当初のトライアンフ製エンジンは信頼性の問題が発生したので1972年からはサーブが内製した2Lエンジンに変わり、2ドアの高性能版EMSには燃料噴射式2L(110HP)エンジンが搭載されました。1978年には量産車として世界初の2Lターボエンジン(145HP)を搭載した99 ターボ(コンビクーペ)が登場し、この車は最高速198km/hと高性能でした。サーブ 99は様々な改良が加えられ1984年まで約60万台が生産され、アメリカ市場を中心に人気を博しました。後継車は1978年に登場したサーブ 900でした。
ミニカーは1968年に発売されたテクノ製の当時物です。微妙なボディラインを持つサーブ 99のボディを実にうまく再現していました。角型のラインストーンをヘッドライトに使ったフロントグリルや室内などの仕上げレベルも高く当時のミニカーとしてとても良い出来ばえでした。実車同様に大きく前方に開くボンネットとドアの開閉ギミック付きです。エンジンルーム内にはエンジンが金属パーツで再現されていますが、金属パーツで作られたエンジンはメッキされたプラスチック製パーツのエンジンよりリアリティがあります。これ以外のサーブ 99の当時物ミニカーはポリスティルのセダン、ナコラルのコンビ クーペがありました。当時物以外ではトロフュー、イクソ(プレミアムX)のセダンとラリー仕様、ネオ(レジン製)のコンビクーペなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=893
日産 ローレル C30型 日本 1968年
1968年に日産 ブルーバードの上級車としてローレルが登場しました。バンなどの商用車を設定しない個人向け高級車(ハイオーナーカー)というジャンルはこの車が国産初でした。見た目は前述したブルーバード 510型とそっくりでしたが、ボディは全長/全幅ともにブルーバードより一回り大きくなっていました。プリンス スカイライン S5型用のエンジンをパワーアップした4気筒SOHC1.8L(100HP)G18型エンジンを搭載し、スカイライン C10型と共通の全輪独立懸架を採用し、3段AT/4段変速で最高速165km/hの性能でした。
1970年に4気筒2L(120HP)のG20型エンジンを搭載した、センターピラーレスの2ドアハードトップが追加されました。このハードトップは当時のアメリカ車風の実にかっこいいデザインでした。1970年のマイナーチェンジで後期型となり、1971年にはセダンにも2Lエンジンが設定されました。1972年にローレル 2代目 C130型にモデルチェンジしました。
ミニカーは1969年に発売されたダイヤペット製の当時物でアンチモニー製です。プロポーションが良く前述したブルーバード 510型よりもシャープな造形で、実車の雰囲気がうまく再現されていました。ボンネットとトランクが開閉するギミック付きです。アンチモニー製のミニカーは一体成型されたボディ全体をメッキ処理した後で、フロントグリル/バンパーなどの光り物部分を残してボディを塗装するといったやり方で製作されていました。アンチモニー製ミニカーはこの製作方法に由来する独特の味わいがあります。このローレルはその代表的な傑作だと思います。なおアンチモニーは鉛と錫の合金で金属としては柔らかいので、変形しやすいという欠点があります。
ダイヤペットはこれ以外にもダイキャスト製でセダン(型番209)とハードトップ(型番217と229の2つ)をモデル化していました。(ミニカーが4種類もモデル化されたと言うことは実車に人気があった証しです) これ以外の当時物ミニカーはトミカの初期物のハードトップがありました。当時物以外のミニカーではトミカ リミッテドと国産名車コレクション/日産名車コレクションのセダン、エニフ(ENIF レジン製)のハードトップなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=925
トヨタ カローラ スプリンター KE15型 日本 1968年
トヨタ カローラ 初代の人気は高く、スポーツ仕様を求めるユーザー層に応じて1968年に追加されたのがスプリンターでした。ボディ後半部分をクーペスタイルに変更していますが、これは当初から準備されていたようです。同じエンジンながら馬力が多少アップして最高速も5km/h高く、内装もスポーティでちょっとだけ値段が高いというバリエーション追加は、商売上手なトヨタらしいやり方でした。カローラはカローラ店で販売され、さらにスプリンターを売るトヨタオート店が新設されました。カローラと同じくスプリンターも1969年に1.2L(68HP)エンジンに切り替わりました。1970年にスプリンター 2代目にモデルチェンジしました。
今見るとカローラ セダンとスプリンター クーペのスタイルの違いはほんの少しでほとんど同じように見えます。また動力性能の違いも現代なら誤差の範囲内ですが、当時の車好きはそのようなわずかなスペックの違いにも敏感でした。またそのようなスペックの違いが、実際の車の売れ行きを左右した時代でもありました。
ミニカーは唯一の当時物であるダイヤペット製で、1969年に発売されました。前述したカローラのリアを修正しフロントグリルとバンパーをプラスチック製パーツに変えて、スプリンターに仕立てていました。カローラと同様に当時のミニカーとしては良い出来ばえでした。なおこの薄紫のカラーは実車にはなかったと思いますが、当時のミニカーとしても珍しい色でした。なおトランクの開閉ギミックを外した仕様変更版(型番227)が1971年に発売されました。これ以外のスプリンター 初代のミニカーはホンコン製の小スケール品があるようですが、2024年現在でもそれ以外はないようです。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=971
トヨタ コロナ マーク II ハードトップ RT70型 日本 1968年
トヨタのコロナとクラウンの間を埋めるモデルとして、コロナの上級車コロナ マーク II (RT60)が1968年に登場しました。日産のローレルに対抗した車で、元々はコロナの次期型として開発されていました。コロナ 2代目よりボディは一回り大きく、コロナのアローラインをさらに発展させたフロントのデザインとなっていました。4気筒1.6L(85HP)/1.9L(100HP)のR型エンジンを搭載し、3段AT/4段MT変速で、最高速165km/h(1.9L)の性能でした。セダン、2ドアハードトップ、バン、ワゴン、ピックアップが設定され、このクラスの車として市場をリードしました
1969年にDOHC化された2L(140HP)エンジンを搭載した高性能版の2ドアハードトップ GSSが追加され、最高速200km/hと高性能でした。1971年のマイナーチェンジで、フロントグリルの中央部分に突起の有るデザインに変更され、その見た目からイーグルマスクと呼ばれました。(実車画像→ トヨタ コロナ マーク II 1971) 1972年にコロナ マーク II 2代目(X20)にモデルチェンジしました。
ミニカーは1969年に発売されたダイヤペット製の当時物です。細部のつくりにやや大雑把な部分もありますが、独特のフロント周りはうまく再現されていて、当時のミニカーとしてはそこそこの良い出来ばえでした。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。ダイヤペットはこれをイーグルマスクに変更したハードトップ後期型(型番253)とセダン初期型(型番200)とABS樹脂製のハードトップ後期型(型番A01)もモデル化していました。こんな具合にモデル化されたミニカーが多いと言うことは実車に人気があったことの証です。なお型番200のセダンはダイヤペットで最悪の出来ばえ?と言われていたミニカーで、後にレザートップ風にルーフを塗装した改良版が出ました。(個人的には最悪というほどひどくはないと思いますが) ダイヤペット以外の当時物としてはトミカのハードトップがありました。 当時物以外では国産名車コレクションからセダン、トミカ リミテッドからセダンが出ています。また2017年に国産名車コレクション 1/24でもセダンがモデル化されました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
http://minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=976
マツダ ファミリア ロータリークーペ 日本 1968年
1967年にマツダ ファミリアは2代目にモデルチェンジしました。丸みを帯びたボディに角型ヘッドライトの外観はフォード タウナスのような感じで、なかなか斬新なデザインでした。当初は4ドアセダンに4気筒1L(58HP)エンジンで、4段変速で最高速135km/hの性能でした。翌年には1.2Lエンジンが追加され、さらに10A型ロータリーエンジン(100HP)を搭載した2ドアクーペが、コスモ スポーツに次ぐロータリーエンジン搭載車の第2弾として登場しました。このロータリークーペは最高速180km/hと俊足で、加速性能もスポーツカー並みでした。
1970年のマイナーチェンジで1.3L(87HP)エンジンが追加されて、レシプロエンジン搭載車にはプレストのサブネームが追加されました。1971年にファミリア プレストの上級車としてグランド ファミリア(サバンナの姉妹車でレシプロエンジン仕様)が追加されました。1973年に3代目のファミリア プレストにモデルチェンジしました。ファミリアはマツダの大衆車の基礎を固めた車でした。(実車画像→ マツダ ファミリア プレスト)
1969年に追加されたロータリーエンジン搭載の4ドアセダン ファミリア ロータリー TSSが我家の最初の自家用車でしたので、ファミリア ロータリー車には特別な思い入れがあります。私が免許を取って最初に運転したのもこの車で、速い車でしたが、加速するとノーズが持ち上がりハンドルが軽くなったことを覚えています。(当時の国産車は操縦安定性以前のレベルでしたので)
ミニカーは1968年の実車発売とほぼ同時期に発売されたダイヤペット製の当時物です。このミニカーは実車発売前に販促用ノベルティとしてディーラーで使われることが決定していたので、事前に実車の図面などが米澤玩具(ダイヤペットを製作していた会社)に渡されて金型製作が行われたそうです。メーカー承認の販促品と言うことで、プロポーションやフロントグリル造形などは当時物としては良くできていました。またトランク内のスペアタイヤや半開きのサイドウィンドーなど凝った作りになっていました。(何故か? テールライトの塗り分けは実車と異なりますが) ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きです。当時物のミニカーはこれだけでしたが、当時物以外ではコナミのクーペ 1/64、エブロのクーペとそのレース仕様車、国産名車コレクションのクーペ、国産名車コレクションの型を流用したFIRST43、スパークのレース仕様などがあります。 以下はフロント/ボンエットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の画像です。ボンネットとトランクは経年変化で塗装が少し黄ばんでいます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)