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トライアンフ ヘラルド クーペ イギリス 1959年
2輪車メーカーとして成功したトライアンフ社は1923年に4輪車に進出しました。第2次大戦前はモータースポーツで活躍するなどしてスポーティなブランドとして知られていましたが、1939年に一度倒産しています。その後1945年にスタンダード社がトライアンフ社を買い取り、トライアンフ スタンダード社となりました。
そのスタンダード社は、1903年に設立された自動車メーカーで、戦前はナイン、テン、トゥエルブなど小型車から中型車までを販売していました。名前どうりの堅実で地味な会社で、日本ではあまり知られていません。戦後のスタンダード車としては、中型車のバンガードが一番有名で、ディンキーやコーギーのミニカーがありました。戦後のトライアンフは小型車やスポーツカーを担当し、親会社のスタンダード社を上回る業績を上げていました。(実車画像→ スタンダード バンガード 1952)
スタンダードの戦前型のエイトやテンを刷新する小型車として、1959年に登場したのがヘラルドでした。ミケロッティのデザインによる軽快なボディーに、全輪独立懸架といった先進的な車でした。エンジンは4気筒948cc(35HP)、4段変速で最高速124km/hという性能でした。2ドア セダン、クーペ、コンバーチブル、ワゴンとボディ バリエーションが多く、エンジンも1.2L、1.3Lが追加され、1971年まで12年間も生産されました。
ミニカーは1961年に発売されたコーギー製の当時物です。ヘラルド クーペのモデル化で、ツートンカラーのカラーリングで実車の雰囲気が良く再現されていました。このミニカーの最大の見せ所はボンネットが前方に大きく開くことで、当時のミニカーとしてはエンジンが良く再現されていました。このボンネットは閉じた状態を保持する金具が付いた凝った構造で、その為閉じた状態は適度に保持され、開く場合は少し力を入れる必要があるといった節度感がある開閉動作でした。この構造は当時のコーギーのギミック設計レベルが高かったことを示しています。ヘラルド 2ドアセダンの当時物ミニカーはディンキーが型番189でモデル化していました。当時物以外のヘラルドのミニカーは、バンガーズ、カララマ、プレミアムXなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像とボンネットを開いたエンジンルームの画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード アングリア 105E イギリス 1959年
1959年にフォード アングリアは新型(105E型)にモデルチェンジしました。それまでのオーソドックスなデザインから、アメリカ車的な(スチュードベーカー風)フロント、クリフカット(リアウインドーが通常とは逆に傾いている)のルーフ、テールフィンなど個性的なデザインが採用されていました。このクリフカットは当時の流行で、シトロエン アミ 6、マツダ キャロルなどにも使われたデザインでした。新開発の4気筒1L(39HP)エンジンを搭載し、4段変速で最高速120km/hの性能でした。なお姉妹車のプリフェクトはエンジンが新型に切り替わりましたが、ボディはそのままで1961年まで生産されました。
1962年には上級車コルチナの1.2L(48HP)エンジンを搭載した高性能版のスーパーが追加されました。1968年に後継車エスコートに切り替わるまでに約130万台が生産され、ベストセラーの小型車として大成功しました。最近では2002年の映画「ハリー ポッターと秘密の部屋」の劇中車で「空飛ぶ車」として有名になりました。
ミニカーは2002年に発売されたバンガーズ製です。バンガーズはイギリスの老舗コーギーのブランドで、2000年頃から主に昔懐かしいイギリス車をモデル化しています。ラインストーンを使ったヘッドライトや塗装で表現したテールライトなどレトロな作風ながら、実車の雰囲気が良く再現されていました。またレトロなだけではなくエッチングパーツのワイパーやユーザーが取付けるフェンダーミラーが添付されているなど細部にこだわった部分もあります。アングリア 105E型の当時物ミニカーとしてはディンキー、スポットオン、ノレブ、マッチボックスなどがありました。また最近映画で有名になったことで、オックスフォードやイクソなどでもモデル化されました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アストン マーチン DB4 イギリス 1959年
" アストン マーチン社は1910年代に創立されました。名前の由来は創始者の一人であるライオネル マーティンがアストン クリントンという場所で行われたヒルクライム レースに優勝したことから付けられたそうです。戦前は高性能なスポーツカーやレースカーを製作していたようです。1947年に実業家デビット ブラウンが経営に乗り出し、車名に彼のイニシャルであるDBが付くようになりました。1948年に試作されたレースカーは初戦のスパ フランコルシャンで優勝し、その性能を知らしめました。この車をベースにした市販車が2L スポーツ(後にDB1と呼ばれた)で、4気筒2L(77HP)エンジンを搭載し、最高速155km/hの性能でした。(実車画像→ アストン マーチン DB1)
" 1950年にベントレーの設計者として有名なW.O.ベントレーが設計したDOHC 直列6気筒2.6L(105HP)エンジンを搭載したDB2が登場しました。ボディはアルミ製で、フェンダーがボディと一体化した戦後型の2ドア クーペで最高速は190km/hと極めて高性能でした。この車は1950年のルマンで優勝するなどレースで活躍し、高性能車としてのアストン マーチンのブランドを確立しました。DB2にはDB2/4という2+2座のハッチバックが追加され、エンジン排気量は3L(140HP)まで拡大されました。またレース仕様のDB3とその軽量版のDB3Sが各種レースで活躍しました。(実車画像→ アストン マーチン DB2、アストン マーチン DB3)
1958年にはDB4が登場しました。DOHC 直列6気筒3.7L(240HP)エンジンを搭載し、最高速240km/hと当時世界最速の高級スポーツカーでした。軽量アルミ製ボディはトゥーリングのデザインで、クーペとドロップヘッドクーペ(オープンカー)がありました。1959年にホイールベースを短縮し2座としてエンジンを3.7L(302HP)にチューンした高性能版のDB4GTが追加されました。DB4はシリーズ5まで発展し1963年まで生産されました。
ミニカーは2017年に発売されたアシェット製の国産名車コレクションでメーカーはイクソです。イクソは型番CLC144でDB4をモデル化していて、これはその廉価版で、内装仕上げが省略されワイパーとホイールが簡素化されています。プロポーションが良くフロント/リアの雰囲気も実車のイメージをうまく再現しているので、DB4のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。(ただフロントウィンドーがやや大きめに感じます) DB4の当時物ミニカーとしてはコーギーとソリドがありました。当時物以外では、イクソの前身のビテスがDB4GTの高性能版のザガート仕様など約20種類をモデル化していて、スパーク、トップモデルなどのレジン製もあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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MG MGA 1600 MK I イギリス 1959年
MG ミジェット TF型の古典的なボディを一新し、近代的な流線型ボディを採用したMGAが1955年に登場しました。外観は斬新でしたが、中身はミジェット TF型と同じラダーフレームに金属製ボディを載せた古典的な構造でした。エンジンは4気筒1.5L(72HP)で、4段変速で最高速160km/hの性能でした。当初はオープンのロードスターだけでしたが、1966年にハードトップのクーペが追加されました。
1958年にツインカム(DOHC)1.6L(108HP)エンジンを搭載する高性能版(最高速183km/h)が追加されました。1959年にはエンジンをOHV1.6L(79HP)に変更したMGA 1600 MK Iとなりました。1961年には新設計されたOHV1.6L(86HP)エンジンを搭載するMGA 1600 MK IIに発展しました。1962年にMGBにモデルチェンジしました。MGAの総生産台数は約10万台で、その半数はアメリカ市場に輸出されました。
ミニカーは1990年頃に販売されたコーギー製で、MGA 1600 MK Iをモデル化しています。これは当時のマニア向けミニカーでしたので、ややレトロなコーギー流の作風ながら、プロポーションが良く当時としてはそこそこ良い出来ばえでした。これは幌付ですが、オープンのロードスターやハードトップクーペのバリエーションがありました。MGAの当時物ミニカーではコーギー、スポットオン、マッチボックス、テクノがありました。当時物以外ではノレブ、バンガーズ、オックスフォードなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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クーパー T51 F1 イギリス 1959年
クーパーの歴史は自動車修理工場を営んでいたクーパー父子が、1946年にレーシングカーを製作したことから始まりました。最初に開発されたクーパー 500はオートバイの単気筒500㏄エンジンをミドシップ搭載したF3マシンでした。この車はF2クラスに匹敵する性能があり好評でした。エンジンをミドシップ搭載したことで操縦性が優れていたのですが、ミドシップ搭載したのは単に後輪をチェーン駆動するのに最適だったからだそうです。戦前にはアウトウニオンがV型16気筒エンジンをミドシップ搭載していましたが、当時のハイパワーエンジン主体のマシンではエンジンをミドシップ搭載することの真価がわからなかったのでした。(実車画像→ クーパー 500 F3)
クーパー 500は1950年にF3マシンとしてFIAに認証されましたが、F3クラスではクーパーが圧倒的に強くレースが成立しなかったようです。1952年にはブリストルの6気筒2Lエンジンをフロントに搭載したF2マシン クーパー T20が登場しました。(この時はまだミドシップ方式の優位性に気づいていなかったようです) クーパー T20はF2規格で行われた1952-53年グランプリのプライベーター用マシンとして使われました。(実車画像→ クーパー T20)
1957年にクライマックス製 DOHC 4気筒2Lエンジンをミドシップ搭載したクーパー T43が登場し、クーパーはワークスとしてF1に参戦しました。デビュー戦の1957年モナコGPでは6位で、1958年のアルゼンチン GPでS.モスがドライバして初優勝しました。これはリアエンジン車によるF1初勝利でした。T43はサスペンションを改良したT45に変わり、1959年にエンジンを2.5Lに拡大したT51が登場しました。1959年シーズンのクーパーは9戦中5勝して、初のコンストラクターズ選手権を獲得し、J.ブラバムがドライバー選手権を獲得しました。1960年にT51を改良したT53が登場しました。(実車画像→ クーパー T43)
ミニカーは1997年に発売されたブルム製です。1959年モナコGP 優勝車(ドライバー J.ブラバム)をモデル化しています。1970年代に発売されたブルムの初期物はややアバウトな出来ばえの物が多かったのですが、1990年代になると細部の仕上げが良くなりレベルの高い出来ばえに変わりました。(ウインドーの取り付けが少し浮いていますが、少し押さえてやれば治ります) クーパー初期のF3/F2マシンはテクノ、ソリド、ディンキー、ポリトーイなどの老舗ブランドが揃って当時物を発売していたことから、当時のクーパーの人気がうかがえます。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)