Sorry Japanese Only
実車諸元 画像参照
フィアット 3.5HP イタリア 1899
フィアット(FIAT)社はジョバンニ アニエッリが1899年にトリノにて設立しました。会社の名前は「Fabbrica Italiana Automobile Torino」(トリノのイタリア自動車製造会社)の頭文字をとったもので、イタリア有数の自動車メーカーとなるべくして設立したことが分かります。1898年にイタリアのチェイラーノ兄弟(ジョヴァンニ バッティスタ チェイラーノとマッテオ チェイラー)が共同で設立した「チェイラーノ GB&C」社が自動車製造を始め、2気筒エンジンを搭載する小型車を開発しました。フィアット社はこの会社を買い取り、開発されていた車がフィアット 3.5HP(1号車)として発売されました。なおマッテオ チェイラーは1904年にイターラ(ITALA)社を設立してます。
そのフィアット 3.5HPは水平対向2気筒679cc(4.5HP)エンジンを車体後部に搭載し、3段変速機を介して後輪をチェーン駆動する小型車でした。ボディは対面シート配置のヴィザヴィ形式で2~3人が乗車でき、最高速度35km/hの性能でした。1899年に8台が生産され、その後16台が生産されたそうです。当時のイタリアには約100台ぐらいしか自動車がなかったそうですから、当時のベストセラー車だったことになります。1900年に2気筒1082cc(6HP)エンジンを搭載するフィアット 6HPが登場し、1901年にはフィアット 8HPが登場しました。
ミニカーは1970年代に発売されたクラシックカー専門ブランドのドゥグー(DUGU)製です。ドゥグーはトリノ自動車博物館「The Museo dell' Automobile Carlo Biscaretti di Ruffia di Torino」に保存されている実車を忠実にモデル化していて、当時最も出来の良いクラシックカーのミニカーを作っていました。このフィアット 3.5HPも操舵ハンドル、操作レバー、シート、フロントのラジエータなど極めてリアルに再現されていて、ドゥグーの傑作ミニカーの一つです。 以下はフロント/リアの拡大画像と運転席部分の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://www.minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=48
実車諸元 画像参照
フィアット 8HP イタリア 1901
前述したフィアット 3.5HP(1号車)に次いで1900年にフィアット 6HPが登場しました。(参照画像→フィアット 6HP 1900) 構造は3.5HPと同じでしたが、フレームが大きく直列2気筒1082cc(10HP)エンジンを搭載していました。また3段変速機にリバースが追加され、丸ハンドルが選択できました。6HPは20台が生産されましたが、フィアットはシャーシのみを製作しボディ架装はコーチビルダー任せでした。また6HPをベースにしてフィアット初のレース仕様車6HP コルサが開発されました。6HP コルサは1900年に行われた都市間レースで優勝していますが、この時のドライバーであったヴィンチェンツォ ランチア(Vicenzo Lanzia)は後にランチア社を設立しています。
1901年にはフロントにエンジンを搭載した8HPが登場しました。8HPは3.5HPと同じようなサイズの小型車で、直列2気筒1082cc(10HP)エンジンをフロントに搭載し、3段変速機を介して後輪をチェーン駆動しました。運転席後部に補助席が付いているので、3.5HP同様に2~3人が乗車でき、最高速度は45km/hに向上していました。ボンネット先端の黒い部分がラジエータ、ステアリングは丸ハンドルでした。6HPは80台が生産されたそうです。その後この車はフィアット 10HP、フィアット 12HPと発展していきました。
ミニカーは2010年に発売されたイタリアのリオ(RIO)製です。フィアット初期の車のミニカーは自国の車ゆえにリオがたくさんモデル化しています。リオのクラシックカーはマニア向けで灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。この8HPもラジエータの付いたボンネット周りの造形、床下の後輪駆動チェーンなどのメカがリアルに再現され、素晴らしい出来ばえです。なおリオは1970年代に型番31で8HPのミニカーを作っていましたが、この型番4276は最近になって幌を閉じたバリエーションとして発売されたものです。幌以外は1970年代の物と全く同じですので、昔のリオのミニカーが現在でも十分に通用するレベルの物であったことが良くわかると思います。(リオは現在でもイタリア国内で製作していて、この型番4276は昔の物より仕上げの筆入れに少し手をかけていますが) 以下はフロント/リアの拡大画像と運転席/床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://www.minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=49
実車諸元 画像参照
フィアット 12HP イタリア 1902
前述したフィアット 8HPに続いて10HPが登場しました。10HPは6HPの改良版で、6HPと同じエンジンをリアに搭載する構造でしたが、前後2列の4人乗り座席を持つフェートン形式のボディを架装していました。(参照画像→フィアット 10HP 1901年) 6HPと同じ直列2気筒1082cc(10HP)エンジンを搭載していたので、ボディが大きくなった分重量が増して性能的にはいまひとつだったようで、数台しか製作されませんでした。
10HPと8HPの後継車として12HPが1901年に登場しました。12HPはフィアット初の4気筒エンジンを搭載した中型車でした。4気筒3770cc(14HP)エンジンをフロントに搭載し、3段変速機を介して後輪をチェーン駆動する構造でした。きちんとしたフロントグリルが付いたボンネットを持つ4人乗りフェートンボディは、見た目が8HPよりも自動車らしくなり、最高速度も70㎞/hと高性能になっていました。12HPは約100台が生産されました。なおこの12HPをベースにしてレース仕様の12HP コルサが開発されました。(参照画像→フィアット 10HP 1901年) この車は軽量で競争力があったので、当時のレースを席巻していたフランスのパナールと互角に戦えたそうです。
ミニカーは1970年代に発売されたイタリアのリオ(RIO)製です。フィアット初期の車のミニカーは自国の車ゆえにリオがたくさんモデル化しています。リオのクラシックカーはマニア向けで灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。この12HPもフロントグリル、灯火類、操作レバーとハンドル横のクラクション、床下のサスペンションや後輪駆動チェーンなどがリアルに再現されていて、かなり良い出来ばえです。茶のボディに青のシートのカラーリングもいかにもそれらしく感じがします。 以下はフロント/リアの拡大画像と運転席部分/床下の後輪駆動部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://www.minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=50
実車諸元 画像参照
フィアット 16/24HP イタリア 1903
前述した12HPの後継車として1903年に16/20HPが登場しました。16/20HPは4気筒4179cc(20HP)エンジンを搭載する全長3.3mほどの中型車でした。フィアット初の4段変速機を備え、後輪をチェーン駆動して最高速度は70km/hでした。1904年にはホイールベースを延長してボディを大きくした16/24HPが登場しました。エンジン排気量は16/20HPと同じでしたが、24HPにパワーアップしていました。1905年にはホイールベースをさらに延長してボディを大きくした16/20HPが登場しました。1906年には16/20HPに新型の4気筒4503㏄エンジンが搭載されました。16/20HPと16/24HPは1906年まで生産され、総生産台数は約700台でした。
クラシックカーではこの16/24HPのような名前の表記が良く使われます。この「A」/「B」HP(フランスではHPではなくCV)という表記の意味は最初の「A」が公称課税馬力を示し、後の「B」が実馬力を示しています。公称課税馬力とは自動車に課せられる税金を決める為の排気量の区分を示すもので、気筒数や排気量に応じて計算式によって決まります。(日本の5ナンバーの小型乗用車と3ナンバーの普通車という区分と同じようなものです) この計算式は国や時代によって違っていますので、その詳細まではよく分かりません。
ミニカーは1970年代に発売されたイタリアのリオ(RIO)製です。リオのクラシックカーはマニア向けで、灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。この16/24HPはイタリアの自動車博物館に保管されている実車を忠実にモデル化していて、フロントグリル、灯火類、床下の後輪駆動チェーンなどの細部がリアルに再現されかなり良い出来ばえです。さらに幌の前端をフェンダーに固定しているベルトは実物に即して本物の革で作られています。このミニカーは1970年代に購入したのですが、当時は本物の革を手作業で加工して製作していたのです。たださすがに1980年代以降に製作された物はプラスチック製になってしまいました。(本物の革ですので保管に注意しないと腐る可能性があります) ボディ後部に黒い扉のような部分がありますが、ここは荷物入れなのかもしれません。なおミニカーの年式はリオが1903年としていますが、1904年式とするのが正しいかもしれません。 以下はフロント/リアの拡大画像と運転席部分/床下の後輪駆動部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://www.minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=51
実車諸元 画像参照
フィアット 75HP コルサ イタリア 1904
自動車創世期にはレースに参加することで技術が蓄積され、また勝つことが車の宣伝として有効でした。その為フィアットは設立当初からフィアット 6HPや12HPのコルサ(伊語でレースの意)でレースに積極的に参加していました。1902年にレースカー仕様車フィアット 24HP コルサが登場しました。この車は量産車から派生したのではなく、レース用に特別に設計された最初の車でした。当時一般的であった木製シャーシではなくスチール製シャーシを採用し、4気筒6.4L(40HP)エンジンを搭載し最高速95㎞/hの性能で、国内では強かったようです。(実車画像→ フィアット 24HP コルサ 1902 )
初期の国際レースは当時の自動車先進国のフランス車(パナールやプジョーなど)に独占されていました。そのなかでフィアットが初めて国際レースで優勝したのは1904年のイタリアのコッパ フローリオで、このときに使われたマシンは4気筒10.6L(75HP)エンジンを搭載したフィアット 75HPでした。
当時のレースで勝つには強力なエンジンを搭載することが一番重要であり、1905年には4気筒16.3L(100HP)エンジンを搭載したフィアット 100HPが登場しました。この車はその年のフランスのモン ヴァントゥー ヒルクライムレースで優勝し、1906年のフランス GPで2位、1907年のフランスGPでは130HPにパワーアップしたフィアット F2が優勝するなど大活躍しました。なおこのような剥き出しのシートに座り時速100㎞/h以上で未舗装道路を走行したドライバーは命がけの仕事だったはずです。
ミニカーは1978年に発売されたブルム製です。ブルム初期の型番R050ぐらいまでのミニカーは、それまであまりモデル化されていなかった自動車創世期のレースカーを多くモデル化していました。(参照パージ→ ブルムのミニカー一覧 1) これもその1台で、1904年のコッパ フローリオで優勝した75HPをモデル化しています。実車をかなり忠実にモデル化していて当時のミニカーとしてはかなり良い出来ばえでした。底板部分のエンジン/変速機や後輪のチェーン駆動部もよく再現されています。75HPのミニカーはこのブルム製しかありません。 以下はフロントの拡大画像とコクピット周り/底板部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
このページではなくこの記事へのリンクURLは以下となります
https://www.minicarmuseum.com/historic/his_link.php?id=57
当サイト掲載記事の無断転載を禁じます。
Copyright(C) 2004-2023 MINIATURECAR MUSEUM All rights reserved.