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ポルシェ 356 クーペ ドイツ 1952年
圧倒的なブランド力を持つポルシェの歴史は、フォルクスワーゲン ビートルをベースにして1948年に登場したポルシェ 356から始まりました。1949年の量産開始当初のボディはクーペのみで、室内は2座と補助席を備える2+2座でした。4段変速機、4輪独立懸架サスペンション、ブレーキはビートルと共通で、エンジンもビートル用を改造した4気筒1.1L(40HP)でした。エンジンは1951年には1.3L(44HP)と1.5L(60HP)の専用エンジンが追加されました。
性能的には高性能版の1.5L(1952年式)の最高速が160km/hで、当時の小型スポーツカーとしてはそこそこのレベルでしたが、リアエンジン方式によるオーバーステアー傾向のある操縦性は乗り手を選ぶ車でした。1951年にオープン仕様のカブリオレが追加されました。(2座オープンのロードスターは1952年に追加) 1952年にフロント ウインドーが折れ曲がった2分割物から一枚物に変更され、バンパー端のフェンダーへの回り込みが小さくなりました。1953年にフロントウインカーの内側にホーングリルが付きました。1956年に大幅な改良が行われ356Aとなりました。1959年には356B、1963年には356Cとなり、1964年に後継車の911が登場し1965年に生産中止となりました。
ポルシェ 356のミニカーは非常にたくさんあります。当時物ミニカーとしてはテクノ、メルクリン、ディンキー、ノレブなどがありましたが、いずれもレア物です。当時物以外ではオートアートの1/18、Bブラーゴ、ブルム、ヘルパの1/87、ミニチャンプス、シュコー、スパーク(レジン製)、トミカなどがあります。上記画像のミニカーは1985年に発売されたブルム製です。ポルシェ 356の初期型のクーペをモデル化しています。プロポーションとしては全体的にやや丸みが付きすぎている感がありますが、実車のレトロな雰囲気はうまく再現されています。カタログ上では1952年式のモデル化ということになっていますが、フロントウインドーやノーズ部分の造形は356A以降の形状になっていますので、年式による違いを厳密に再現しているわけではありません。(1980年代のブルムの初期物では、厳密な時代考証はしていませんでした) ブルムは356Aから356Cまでロードスター仕様、レース仕様、ポリス仕様などバリエーションが40種類ほどありました。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ドライエ 235 コーチ フランス 1952年
戦前のドライエ 135Mを後継する高級車 ドライエ 235が1951年に登場しました。戦前の高級車メーカーはシャーシだけを提供しそれにコーチビルダーがボディを架装していました。235も当初はこの方式を踏襲し、シャプロン、フィゴーニ、ソーチックなどが特注のボディを架装していました。(実車画像→ シャプロンのクーペ、ソーチックのロードスター) エンジンは135M用の6気筒3.6L(152HP)を搭載し、最高速170km/hの性能でした。ただコーチビルダーの架装するボディは重かったので、燃費が悪くブレーキの効きも悪かったようです。
コーチビルダーが架装する特注ボディは高価で、販売は芳しくありませんでした。そこでシャプロン製ボディが標準仕様ボディとして設定されましたが、それでも6気筒エンジンを搭載したシトロエンの最上級車15CV シックスの5台分の値段だったそうです。戦後のフランスではこの種の高級車に高い課税がされたこともあって、1954年にドライエは販売不振となりオチキス社に吸収されて消滅しました。
ミニカーは2013年に発売されたイクソ製のCLCシリーズです。この235 コーチ (2ドアセダン)のボディは標準化されたシャプロン製ボディだったようです。ミニカーは実車緒元の画像参照先の実車を忠実にモデル化していました。カラーリングやモール類、室内などが良く再現されていてかなり良い出来ばえでした。ただ実車の全長から逆算すると、1/43よりも一回り大きめにできているようです。(資料の実車全長が間違っているのかもしれませんが) このミニカーは元々はフランスのミニカー付雑誌「Voitures Francaises d'Autrefois(往年のフランス車)」のNo.3として作られたもので、このイクソのカタログモデルは内装などの仕上げレベルが変更されていました。2024年現在でも ドライエ 235の量産ミニカーはこれしかないようです。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 8V イタリア 1952年
戦後のフィアットが一度だけ、スーパーカー的な高性能車を手がけたことがありました。それは1952年のジュネーブショーで発表した高性能スポーツカーの8Vでした。フィアット 1400の高性能版に搭載する予定で開発されたV型8気筒エンジンが、コストの問題などで1400には搭載できなくなり、このエンジンを活用するべく開発された高性能車が8Vでした。フィアット車のチューナーであったシアタ(SIATA)社の協力を得て新しくシャーシ/ボディが開発されました。エンジンは総アルミ製のV型8気筒2L (105-127HP)を搭載し、サスペンションは全輪独立懸架、4段変速で最高速195km/hと当時のフェラーリ並の高性能でした。
8Vにはフィアット自社製ボディの他にザガート、ベルトーネ、ピニンファリーナなどのカロッツェリアが個性的なボディを架装しました。1954年までに114台が製作されました。またV8エンジンはシアタにも供給されシアタ 208Sに搭載されました。8Vはレースを目的として開発されたわけではなく、このようなスポーツカーにフィアット経営陣が乗り気ではなかったので、ファクトリーチームとして国際レースに出ることはありませんでした。ただイタリア国内のGTクラスのレースでは圧倒的に強かったようです。(実車画像→ シアタ 208S 1953)
ミニカーはマニアックな車種選択が多いビザール製(レジン製)で2006年に発売されました。フィアットがデザインした初期型の8Vをモデル化しています。迫力のある実車のデザインがうまく再現され、フロントグリルや室内の細部もリアルで良く出来ていました。ビザールはフロントのデザインが変更された後期型もモデル化していました。ビザール以外のフィアット 8Vのミニカーはノレブ、スターライン、マトリックス(レジン製)などがあります。なお当方のミニカーはレジン製ミニカーに良く起こる経年変化で、リアウィンドーのクロームモールが剥がれています。少し凝った造りのレジン製ミニカーはこの類の経年変化による不具合がほぼ例外なく起こり、それを直そうとして下手に触るとさらに症状が悪化してしまうので厄介です。(高価な上にこのような不具合が多いので、私はレジン製ミニカーをほとんど買いません) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ C52 ディスコ ボランテ スパイダー イタリア 1952年
アルファ ロメオの戦前のGPカー 158(アルフェッタ)は、戦時中密かに動態保存されていました。戦後その158を改造してアルファ ロメオは1946年にGPレースに復帰しました。戦前の強敵であったドイツ勢の不在などもあって、アルファ ロメオは圧倒的な強さを示し、158とそれを発展させた159で1951年まで勝利を重ねました。しかしながら資金難のため、アルファ ロメオは1951年を最後にGPレースから撤退しました。
GPレースから撤退したものの、スポーツカーレースに未練が残るアルファ ロメオは新しいレーシングカー 1900 C52を試作しました。前述した1900をベースにして、エンジンを2L(158HP)までチューンし最高速は220km/hでした。当時としては驚異的に低い空気抵抗だったボディは、コーチビルダー トゥーリングのデザインでした。横風の影響を下げる為に側面が張り出したボディは、正面から見ると当時世間を騒がしていたUFOを思わせることから、「ディスコ ボランテ(空飛ぶ円盤)」と呼ばれました。オープンのスパイダーだけではなく、クーペも試作されたようです。ただこの車は競争力不足ということで試作だけで終わりました。
ミニカーは速度記録車など一風変わった車種をモデル化しているビザール製(レジン製)で、2007年に発売されました。この車の特徴である横に膨らんだボディがうまく再現されていました。ビザールはクーペもモデル化していました。この車は最近まで量産ミニカーではモデル化されていませんでしたので、このビザールのモデルは車種的には貴重な物でした。ただ最近になってイタリアのミニカー付雑誌やテクノモデル(レジン製)でモデル化されました。最近ではこの手のマニアックな車もレジン製の少量生産でモデル化されるようになりましたが、レジン製は高価格なので財布には厳しくなりました。(ただし私は特別に気に入った車種しかレジン製ミニカーを買いませんが) 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フェラーリ 225S スパイダー イタリア 1952年
前述したフェラーリ 166 MMを改良した195Sが1950年に登場しました。ホイールベースが少し長くなりトレッドが広くなり、V型12気筒エンジンは2L(140HP)から2.3L(170HP)に拡大されました。生産された台数は4台で全て166MMを改造した物でした。(当時のフェラーリは町工場レベルの小さな会社だったので、新規製作する資金の余裕がなく保有車を改造して使いまわしていたのです) 195Sは1950年のミッレ ミリアで優勝するなど活躍しました。(名前の195は1気筒あたりの排気量が195ccの意) (実車画像→ フェラーリ 195S 1950)
195Sは1951年にエンジンを2.6L(165HP)に拡大して、212 エクスポートに発展しました。エクスポートという名前は海外市場向けを意図して付けられた名前でした。27台が生産され、そのほとんどがレース仕様でしたが、少数のロードカーもありました。1951年のツール ド フランス、1951年のジロ デ シチリアなどで優勝しました。1952年に212 エクスポートは225Sに発展しました。エンジンが2.7L(210HP)に拡大し、サスペンションが改良されました。21台が生産され、そのほとんどがレース仕様でしたが、少数のロードカーもありました。1952年のモナコGP、ポルトガルGPで優勝するなど活躍し、排気量を3Lに拡大した250S/250 MMに発展しました。
ミニカーは1986年に発売されたプロゲット カッパー(PROGETTO K)製です。プロゲット カッパーはイタリアのミニカーメーカーで1977年から製作を始めました。主にイタリア車を1/43のダイキャスト/レジン製でモデル化していて、2011年に製作を止めました。これはフェラーリ 225Sのモデル化で、右ハンドルのレースカー仕様です。プロゲット カッパーとしては初期の物なので、室内などの細部の仕上げレベルは簡素です。ただ全体的なプロポーションは良く、225Sの雰囲気はうまく再現されていました。バリエーションでミッレ ミリアとルマンのレース仕様もありました。これ以外のフェラーリ 225のミニカーはアートモデル、トップモデルなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)