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パッカード トゥエルブ コンバーチブル アメリカ 1934年
1920-1930年代のパッカードはGM キャディラックと双璧をなす高級車ブランドでした。前述したツイン シックス(量産車初のV型12気筒6.9Lエンジン搭載)の後継車として、V型12気筒エンジンの排気量を7.3L(160HP)に拡大したトゥエルブが1933年に登場しました。パッカードの最上級車トゥエルブは極めて高価な車で、この当時はまだコーチビルダーがボディを架装していました。標準のホイールベース仕様には2ドアロードスター/クーペ、4ドアセダン/フェートンなど、ロングホイールベース仕様にはリムジーンなど様々な特注ボディが架装されました。なお一番人気があって高価だったのは、前述したルバロン ロードスターだったそうです。
これは4ドアのコンバーチブルで、正式にはデュアル カウル フェートン(前席/後席のどちらにもウインドースクリーンが付いた4座オープン) と呼ばれる形式です。室内の前席背後のパーティション部分に後席用ウインドーを上下させるハンドルが付いているのがその証です。当時の高級車の最新機器として、1934年のパッカードにはダッシュボード組込み式ラジオがオプション設定されていました。1935年にエンジンが7.7Lに拡大され175HPにパワーアップし、ギヤボックスはシンクロ付になり、1937年にブレーキは油圧式となりました。トゥエルブは1940年に生産中止となり、総生産台数は約5000台でした。
ミニカーは1990年頃に発売されたフランクリン ミント製です。同社の1/43サイズの1920-1930年代のクラシックカーは約十数種類あり、キャディラックやパッカードなどの高級車をモデル化していました。いずれもドアが開閉しボンネットを外すとエンジンが再現され、シャーシなどの下回りもそこそこ良く再現されていました。このパッカードもヘッドライトなどが少しレトロな作風でしたが、実車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ていました。前述したトゥエルブ ルバロンと同様に、これもフロントグリルのマスコット(Goddess of Speed(スピードの女神))がうまく再現されていました。4ドアが開閉しボンネット内にはエンジンが再現されていました。フランクリン ミントは1/24でも同じ車をモデル化していました。これ以外のパッカード トゥエルブのミニカーは前述したイクソのルバロン、アンソンの1/18や1/24、GREAT LIGHTNING(レジン製)などがあります。以下はフロント(マスコット拡大)/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリアの拡大画像です。エンジンはリアルに再現されていて、ラジエーター、冷却ファン/ファンベルトが判別できます。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オーバン 851 スピードスター アメリカ 1935年
インディアナ州オーバンの馬車製造会社が1900年にオーバン自動車を設立し自動車製造を始めました。1920年頃まで平凡ながら信頼性の高い車を生産していましたが、第1次大戦の物資不足の影響で工場が閉鎖されました。自動車ディーラーの優秀な販売員だったエレット ローバン コード(Errett Lobban Cord)はこの会社を1926年に再建し、その後の3年間でオーバン、コード、デューセンバーグの3つの自動車メーカーと航空機会社などを傘下に持つ一大企業連合体「コード帝国」を作り上げました。
コード帝国でのオバーンの位置付けは大衆向けの高性能車で、その代表なモデルは8気筒エンジンを搭載したスポーティなスピードスターでした。最初のモデルは1928年に8-88という名前で登場しました。その後スピードスターでは一番有名なモデルである851が1935年に登場しました。スーパーチャージャー付きの8気筒4.5L(150HP)エンジンを搭載し3段変速で最高速174km/hと高性能でした。1936年に851は中身はそのままで名前が852に変わりました。1937年にコード帝国が崩壊して生産中止となりました。851は時代を先取りしたデザインが評判となりましたが、一般受けせずあまり売れなかったようです。
ミニカーは1991年頃に発売されたフランクリン ミント製です。フランクリン ミントの1/24シリーズは、発売された当時の量産ミニカーとしては最も精密なミニカーでした。この851もプロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現され、エンジン、シャーシ/サスペンション、内装などもリアルに再現されていて良く出来ていました。ボンネット/ドアが開閉するギミック付きで、シャーシ/サスペンションなどのメカ部分には丈夫なダイキャスト製パーツが使われていたので、可動部を動かしても簡単に壊れたりはしません。(この丈夫な構造がフランクリン ミントの特長でした) ただしこの凝った作り故に当時の価格は約26000円とかなり高価で、気安く買えるものではありませんでした。これ以外の851のミニカーとしては、マッチボックス、ウエスタン モデルのホワイトメタル製、ヤトミン シグネチャーの1/32などがあります。 以下はフロント/マスコット(flying lady)の拡大画像とリアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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スチュードベーカー コマンダー ロードスター アメリカ 1935年
1920年代のスチュードベーカーのラインナップにはライト フォー(4気筒3.1L)、ライト シックス(6気筒2.8L)、スペシャル シックス(6気筒4.7L)、ビック シックス(6気筒5.8L)がありました。1928年に4気筒エンジン搭載車がなくなり、ライト シックスはディクテーター(DICTATOR 独裁者の意)、スペシャル シックスはコマンダー(司令官の意)、ビック シックスは8気筒5.1Lエンジン搭載のプレジデントに変わりました。コマンダーは1929年に8気筒4.1L(107HP)エンジンが搭載されました。コマンダーは極端な縦長のフロントグリルが特徴的なデザインで、2ドアクーペ/ロードスターや4ドアセダンなどがありました。1935年に一旦モデルレンジから外れ1937年に名前が復活しました。
1929年から始まった世界大恐慌による販売不振でスチュードベーカーは資金繰りが悪化し1928年に買収したピアス アローを売却しましたが、1933年に一旦破産しました。その後経営陣が変わり運転資金を調達してディラー網を整備し車種を6気筒エンジン搭載車に絞るなどして1935年に会社は再建されました。1939年に低価格の6気筒搭載車チャンピオンで大衆車市場に進出し、この車は成功しました。(実車画像→ スチュードベーカー チャンピオン 1939)
ミニカーは1990年代に発売されたイギリスのブルックリン製です。スチュードベーカー コマンダー 1935年式のスポーティなクーペをモデル化しています。ブルックリンはハンドメイドのホワイトメタル製少量生産ミニカーで、ほとんどのパーツが金属製なのでずっしりと重く存在感があります。縦長のグリルや小さめの幌など実車の雰囲気がうまく再現されています。またフロントグリル上の鳥のマスコットや室内などの細部も良く再現されています。戦前のスチュードベーカー コマンダーの量産ミニカーは2023年現在でもこれしかないようです。このようなニッチなクラシックカーのミニカーはブルックリンなどのホワイトメタル製少量生産品でモデル化されることが多いです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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GM ビュイック シリーズ 40 スペシャル アメリカ 1936年
デイヴィット ダンバー ビュイック(David Dunbar Buick)が1903年に設立したビュイック社は、当初は業績が芳しくなく馬車製造会社のウイリアム C.デュラント(William Crapo Durant)に援助を求めました。デュラントの采配でビュイック社は業績が回復しましたが、創業したビュイックは会社をさりました。1908年にデュラントはGM(ジェネラル モータース)を創立し、キャディラックやオールズモービルを買収し、GMはアメリカ4大メーカーの一つとなっていきました。当時のビュイックはGMの主力車種で、1919年には売り上げの半分を占めていました。(1910年代のビュイック)
1930年台前半のビュイックのモデル構成としてはシリーズ40/50/60/80/90の5モデルがあり、8気筒(3.8-5.7L)エンジンが搭載されていました。1936年の全面的なモデルチェンジで、エントリー仕様のシリーズ40はスペシャル、シリーズ60はセンチュリー、シリーズ80はロードマスター、最上級車のシリーズ90はリミテッドという名前になりました。(シリーズ50は1940年にスーパーに改名) スペシャルは1960年頃まではビュイックのフルサイズでは一番安いエントリー仕様でした。(1950年代のビュイック)
ミニカーは2016年に発売されたイクソ製のMUSEUMシリーズです。1936年式のビュイック スペシャル 初代をモデル化しています。MUSEUMシリーズとしては標準的な仕上げレベルでプロポーションが良く、フロントグリルの赤いBUICKのロゴとその上についているマスコットやエッチング材のワイパーなど細部まで良く仕上げてあります。(このマスコットはCORVETTEと呼ばれアメリカの海軍艦艇の艦首に飾られる女神像をイメージしたものでした) 特に凝っているのが、肉眼では気が付かないのですが、画像を拡大するとホイールキャップにBUICKのロゴが付いています。この当時のアメリカ車の標準的なセダンはあまりモデル化されていないので、その点で貴重なミニカーです。1930-1940年代のビュイック車はウエスタンモデルのセダンやワゴン、オックスフォードのクーペ1/87、フランクリン ミントとダンバリー ミントの1/24など色々なブランドでモデル化されています。 以下はフロント(マスコット拡大)/リアの拡大画像とホイールキャップのBUICKロゴの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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コード 812 アメリカ 1936年
インディアナ州オーバンの馬車製造会社が1900年にオーバーン自動車を設立し自動車製造を始めました。1920年頃まで平凡ながら信頼性の高い車を生産していましたが、第1次大戦の物資不足の影響で工場が閉鎖されました。自動車ディーラーの優秀な販売員だったエレット ローバン コード(Errett Lobban Cord)はこの会社を1926年に再建し、その後の3年間でオーバン、コード、デューセンバーグの3つの自動車メーカーと航空機会社などを傘下に持つ一大企業連合体「コード帝国」を作り上げました。
コードは創業者の名前を付けた車で、大衆向けオーバンと高級車デューセンバーグの間をうめる車でした。1929年にコード L29が登場しましたが、販売は芳しくなく営業的には失敗作でした。このL29の失敗がコード帝国の崩壊の始まりで、この危機を救うべく1935年に登場したのがコード 810でした。810はV型8気筒エンジン搭載の前輪駆動車で、既存車とは全く違うフロントグリル、フェンダー埋込み式ヘッドライトなど斬新なデザインで、発表されるや大評判となりました。1937年にスーパーチャージャーを追加して170HPにパワーアップした高性能版812が追加され、812はボンネット横から排気管が出ているのが特徴でした。810/812は前輪駆動機構などに不具合が発生し、あまり売れませんでした。1937年に生産中止となり、総生産台数は約3000台でした。創業者のコードは自動車に対する情熱がなくなったのか? 1937年にコード社を航空機製造会社に売却してしまいコード社は消えました。
ミニカーは1990年頃に通信販売で発売されていたフランクリン ミント製です。縮尺1/24で高性能版の812をモデル化しています。フランクリン ミント製の1/24のミニカーは現在のオートアートなどの大スケールミニカーの先駆けで、シャーシ/エンジン/サスペンションなどのメカ部分が金属製パーツで再現されドアやボンネットなどが可動する、当時としては最も精密なミニカーでした。このコード 812もプロポーションが良く実車がリアルに再現されている上に、ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きで、エンジンや床下部分のサスペンションなども再現されていました。幌は脱着可能で室内のメーターパネルの造形も実車に即したリアルなもので、ステアリングホイールで前輪が操舵できます。このミニカーの当時の価格は25000円とかなり高価でしたが、その価格に見合った素晴らしい出来ばえになっていました。なおここまでやるならリトラクタブルヘッドライトも開閉可能にして欲しかったところです。(左右のヘッドライトを連動させるのが難しいのでやらなかったのかな?) これ以外の810/812のミニカーはドゥグーのビンテージ物、シグネチャーの1/32と1/18(リトラクタブルヘッドライト可動)、マッチボックスの1/48、イクソなどがあります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とリア/トランク開閉の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)