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エヴァンスの水陸両用蒸気車 (浚渫船) アメリカ 1805年
1803年にイギリスでリチャード トレヴィシック(Richard Trevithick)が蒸気車を完成させた同時期に、アメリカでは発明家のオリヴァー エヴァンス(Oliver Evans)が蒸気車の開発を行っていました。彼は蒸気機関を開発し、1789年にその蒸気機関で走行する乗合自動車の特許を申請していました。彼はこれを事業化する為に出資者を募りましたが、資金が足らず実車は製作できませんでした。彼は1805年に河川の浚渫と清掃に問題を抱えていたフィラデルフィア市に蒸気で作動する浚渫機械を提案しその製作を請け負いました。
彼が製作したのは蒸気駆動の浚渫用平底船でしたが、この船に4輪を追加して彼の念願であった蒸気車に仕立てたそうです。この蒸気車は蒸気機関でベルト駆動する前輪で路上を走り、水上ではベルトを架けかえて浚渫用のパケット(バケツ)と後ろに付いている外輪(黄色)を駆動したとのことです。ただしこの蒸気車に搭載した蒸気機関の出力は5HPほどだったそうなので、その馬力でまともに浚渫作業などが出来たのかどうか不明だそうです。(失敗してスクラップになったとされていますが、いずれにせよあまり活躍しなかったようです) ただこれが成功していたのなら、世界初の水陸両用車でかつアメリカ初の蒸気車ということになります。
ミニカーは1978年に発売されたブルム製の初期物で、蒸気車ばかりをモデル化した「OLD FIREシリーズ」の1台です。蒸気で作動するシリンダーでレバーを上下させクランク機構で回転運動に変え、その回転軸にて前輪をベルト駆動しています。ミニカーには浚渫船に付き物の浚渫用パケットが付いていないので、それは省略されているようです。リアに付いた水上走行用の外輪(黄色)は回転できます。なお後ろに乗っているフィギュアは私がサイズ比較用に追加したものでミニカーの付属品ではありません。 以下は各部の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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オールズモービル カーブド ダッシュ ランナバウト アメリカ 1902年
技術者 ランサム E オールズは「オールズ モーター ビークル」社を1897年に設立し、4輪自動車の生産を始めました。1899年にこの会社は買収されて「オールズ モーター ワークス」社に変わり、デトロイトに自動車製造工場を建てました。これがアメリカ最古の自動車ブランド「オールズモービル」の誕生でした。1901年に自動車としては初のアセンブリーライン大量生産方式を採用したオールズモービル カーブド ダッシュを発売しました。この車は2人乗りの小型車で、水冷単気筒1563cc(5HP)エンジンを後部に搭載し、2段変速で最高速32km/hの性能でした。実用的で安価な車で、1907年まで生産され、総生産台数は約19000台でした。なお名前のカーブド ダッシュとは車体前部の泥除け部分(ダッシュボード)が丸く湾曲していることから付けられた愛称です。(実車諸元の参照画像を見れば納得できます)
「オールズ モーター ワークス」社は1908年にビュイック社をベースにして設立されたGM(ジェネラル モータース)社に売却され、GMの2番目のブランドとなりました。オールズモービルは1954年の98シリーズや1966年のトロネードなど名車がありましたが、残念ながら2004年にブランドが廃止されました。 なおオールズモービルの創立者ランサム E オールズは新しい経営者と対立し、1904年に会社を辞めて「レオ(REO)モーター」社を創立しました。レオ社は乗用車/トラック/バスを製造し、1975年まで存続しました。
ミニカーは1960-1970年代に作られたフランスのクラシックカー専門メーカーだったMINIALUXE(ミニオール)製で材質はプラスチックです。MINIALUXEはクラシックカーに付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時のミニカーとしてはリアルな造形でした。このカーブド ダッシュも実車の雰囲気がうまく再現されていて、赤/黒のカラーリングが綺麗で良く出来ています。この時代のアメリカ車がモデル化されるのは珍しいのですが、アメリカ最初の大量生産車で個性的な外観なのでモデル化されたのだと思います。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フォード 999 レーシングカー アメリカ 1902年
フォード自動車を設立したヘンリー フォードは個人的な趣味として自宅で自動車を製作していました。彼が1898年に製作した自動車にほれ込んだ地元の材木商が1899年に「デトロイト自動車」社を創立し、ヘンリー フォードを主任技術者に雇いました。この会社は1901年に「ヘンリー フォード」社に変わりましたが、経営方針で意見が対立しヘンリー フォードは会社を辞めてしまいました。ヘンリーは自分が開発した車が優れていることを示すために、1902年に赤と黄のボディカラーの2台のレーシングカーを製作しました。赤は当時の速度記録を達成した急行蒸気機関車「エンパイヤステート No.999」にちなんで「999」、黄は「アロー(ARROW)」と名付けられました。このレーシングカーは国内レースで勝利し、その活躍をみた石炭商が資金を提供することになり、1903年にヘンリーは「フォード モータ」社を設立しました。
「フォード モータ」社は資金繰りが苦しく、新しい出資者を得るために今度は速度記録に挑戦して自社をアピールすることにしました。そこでレースで破損していたアローを修復して改良し新しい999に仕立て、1904年にセントクレア湖の氷上トラックで時速147.05km/h(91.37mph)の氷上速度記録を達成しました。この速度記録車は国内を宣伝してまわり、フォードの名前を知らしめました。これで新しい出資者を得て増資することができた「フォード モータ」社は1908年に発売したT型の成功で大企業に発展していきました。
ミニカーは1979年に発売されたリオ製です。1902年のフォード 999 レーシングカーをモデル化しています。(2台作られた赤のほうです) 剥き出しのラジエータ、4気筒エンジン、運転席の足元から見える床下の大きなフライホイール、後輪を駆動するギヤなどがリアルに再現され、かなり良い出来ばえです。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ジャミソン アメリカ 1902年
アメリカ ペンシルベニア州の実業家(商人)であったマーク W.ジャミソン(Mark W. Jamieson)は副業として自動車関係に手を出していました。彼は1902年にジャミソンという名前の乗用車を8台製造しました。この車は小型のランナバウト(2人乗りオープンカー)で、特殊な構造の水平対向式2気筒(7HP)エンジンを搭載し後輪をチェーン駆動していました。前輪の操舵はステアリングホイールではなくレバーで行い、車輪は空気入りタイヤが使われていました。ジャミソン氏はこの車を大量生産するつもりはなく、彼の趣味として製造しただけだったようです。
この車は納屋に保存されていた1台が発見されて1970年代にレストアされたようです。その車を再度レストアしたのだと思われるレストア作業について動画が公開されていて、特殊な構造のエンジンについても紹介されています。(レストア動画→ JAMIESON 1902 ROAD RUN) レストアされた車が走行する様子も動画で紹介されています。(走行動画→ JAMIESON 1902 ROAD RUN)
ミニカーは1960-1970年代に作られたフランスのMINIALUXE(ミニオール)製です。MINIALUXEのミニカーはプラスチック製で、クラシックカーには付き物の灯火類や操作レバーがきちんと別パーツで取付けられているなど、当時としてはリアルに作ってありました。このジャミソンも実車の画像と見較べてみると、側面の飾り板や後輪のチェーン駆動部など結構リアルに実車を再現していることが分かります。運転席背後には扉の付いたスペース(エンジンルーム)があり、その扉が開閉するギミックも付いています。(ただし扉を開けても中のエンジンなどは再現されていません) この時代のアメリカ車がモデル化されるのは珍しいのですが、見た目が個性的で程度の良い実車が保管されていたことからモデル化されたのだと思います。 以下はフロント/リアの拡大画像と後部扉の開閉動作画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ロコモビル オールド 16 アメリカ 1906年
アメリカのロコモビル社は1899年に設立されました。ロコモビル社が最初に製作した蒸気車は同時期に成功していたスタンレー自動車会社から技術を買い取ったものでした。(実車画像→ ロコモビル 蒸気車) 1902年には2/4気筒ガソリンエンジンを搭載した車を開発し、この車はその性能や信頼性の高さで知られるようになりました。ロコモビル社は高い信頼性の高級車を製造していましたが、1929年に倒産しました。代表的な車としては、1919年に登場した6気筒8.6Lエンジンを搭載したモデル 48がありました。(実車画像→ ロコモビル モデル 48)
ロコモビル社が開発したレーシングカーは、アメリカで開催された1908年の国際レース ヴァンダービルト杯(Vanderbilt Cup)で優勝しました。国際レースで優勝した初めてのアメリカ車ということで、そのレースで着けていたゼッケン番号#16に因んで、この車は「オールド 16」という名前で呼ばれています。4気筒16L(120HP)エンジンを搭載し3段変速で、最高速160km/hの性能でした。このゴーカートのような車体で160km/hのスピードを出していたのですから、当時のレーシングドライバーは命がけの仕事だったのです。
ミニカーは1979年に発売された初期のブルム製です。年式が1906年となっているので、1906年のヴァンダービルト杯出場車をモデル化しているようです。(1906年のヴァンダービルト杯でロコモビルは予選で優勝しましたが、本戦は中止されたようです) むき出しの運転席、リアの燃料タンクとその後ろのスペアタイヤ、後輪駆動チェーンなど、同時代のフィアットのレーシングカーに良く似ています。実車のボディカラーはこのような明るい青ではなかったようですが、この時代のレーシングカーのミニカーとして良い出来ばえです。ブルム初期のミニカーはこのような自動車黎明期のレーシングカーを十数種類ほどモデル化していました。 以下はフロント/リアの拡大画像とリアのチェーン駆動部の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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