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アウディ 50 GL ドイツ 1974年
アウディ 50はフォルクスワーゲン ポロの姉妹車で、小型車クラスの市場調査用としてポロに先行して1974年に登場しました。アウディとしては前身のアウトウニオンが併合したNSUの小型車プリンツの後継車という位置づけでもありました。NSUのデザイナーによるシンプルな3ドアハッチバックはポロと同じデザインで、違いはアウディのエンブレムぐらいでした。当初は4気筒1.1L(50HP)エンジンを搭載し、4気筒895cc(40HP)エンジンを搭載するポロより車格が上で、値段もポロより高価でした。
ポロと同じ895ccエンジンや1.3Lエンジンも後に追加されましたが、値段が安いポロのほうが2倍以上多く売れました。フォルクスワーゲン グループとしてアウディ ブランドはもっと上級な車を担うことになったため、アウディ 50は1978年に生産中止となりました。総生産台数は約18万台でした。(同時期にポロは50万台が生産されました)
ミニカーは1970年代に発売されたシュコーの当時物です。シュコーはドイツの老舗玩具メーカーで1950年代のぜんまい仕掛けの精巧なブリキ製自動車玩具で有名でした。1960年代にダイキャスト製の小スケールミニカーを発売し、1970年代には1/43のミニカーも発売しました。これはアウディ 50をモデル化していますが、実車同様にフォルクスワーゲン ポロのグリルを変えて、アウディ 50に仕立てています。フロントグリルが黒塗装されていてやや見難いですが、グリルにはアウディのエンブレムがついてます。ボンネット/ドア/ハッチバックが開閉するギミック付きで、当時のミニカーとしては良く出来ていました。これ以外の当時物としては、ポリスティルの1/25がありました。当時物以外ではミニチャンプス、ヴェーキングの1/87があります。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/ハッチバック開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン CX フランス 1974年
シトロエン DSの後継車として1974年に登場したのがCXでした。名前は空気抵抗係数を示す記号CXに因んだ物で、その名の通り空力に優れた滑らかなボディにDS譲りのハイドロニューマチックシステムを継承していました。CXは一見ハッチバックに見えますが、後席背後はハッチではなく独立したトランクでした。またリアウインドーが凹面ガラスになっているのもCXの特徴で、空気抵抗を軽減する効果があったそうです。当初のエンジンは4気筒2L(102HP)/2.2L(115HP)で、DSとは異なり横置きされており、5段変速で最高速186km/h(2.2L)の性能でした。1975年のヨーロッパ カー オブ ザ イヤーを受賞しています。
1975年にホイールベースを延長した上級仕様のプレステージ、ホイールベースを延長したワゴンのブレークと7人乗りのファミリアーレが追加され、1979年にはセダンにリムジンが追加されました。エンジンは1978年に2.5Lディーゼル、1983年に2.5L、1984年に2.5Lターボ(168HP)が追加されました。(全て4気筒エンジン) 1985年のマイナーチェンジで後期型となり、金属製の前後バンパーが樹脂製に代わり、フロントのデザインや内装が変更されました。1989年に後継車のXMにモデルチェンジしました。総生産台数は約110万台でした。なおシトロエンは経営不振で1974年にプジョーに吸収合併されたので、CXはシトロエン独自設計の最後のモデルでした。
ミニカーは1975年に発売されたソリド製の当時物です。ソリド最盛期のミニカーでしたのでソリドらしいシャープな造形で、CXの特徴的なフロント周りの雰囲気や滑らかなボディがうまく再現され、とても良く出来ていました。ドアが開閉するギミック付きで、室内もそこそこ良く再現されていました。ソリドはブレークもモデル化していて、別ブランドのベレムでもセダンとブレークを数種類モデル化していました。これ以外の当時物ミニカーとしては、スペイン ディンキー、そのスペイン ディンキーと同じ型を使っているオートピレン、ノレブ、マッチボックス、ガマ、ポリスティル(ポリトーイ)の1/25などがありました。当時物以外ではイクソ、ノレブの1/43と1/18、ミニチャンプス、レジン製ではネオ、マトリックスなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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シトロエン H (アッシュ) バン フランス 1974年
商用車ながら自動車の歴史上この車を紹介しない訳にはいきません。1947年に登場した商用車 シトロエン Hはシトロエンらしい独創的なデザインで、名前のH(フランス式に発音すると'アッシュ'です)は型式名で、軽荷重用のHZと重荷重用のHY の2タイプがありました。シトロエン十八番の前輪駆動方式で、プラットフォーム型シャーシとトレーリングアーム方式リアサスペンションで、荷室の床は後輪をカバーするだけで完全に平らに出来ました。また車高も高いので、広大な荷室が確保できました。このデザインは後のキャブオーバー型商用車に多大な影響を与えました。
エンジンは当初トラクシオン アヴァン(7/11CV)用の4気筒1.6L/1.9L(58HP)が使われましたが、後に4気筒1.6L/1.9Lディーゼルエンジンも追加されました。標準的なボディーはバンとピックアップの2タイプでした。広大なスペースの荷室は様々なボディを自由に架装でき、各種貨物車をはじめ救急車、消防車、ポリス、レッカー車、ピックアップ トラック、移動販売車、マイクロバスなどたくさんのバリエーションがありました。 フランスでは「豚の鼻」の愛称で呼ばれていました。 1964年のマイナーチェンジで、2分割式のフロントウィンドーが一枚物に代わりフロントグリルのWシェブロンの意匠が変更されました。1974年に後ろ開きのドアが採用されました。1947年から1981年までの長期間生産され、総生産台数は約47万台でした。
ミニカーは1979年に発売されたトミカ ダンディの外国車シリーズです。ドアが後ろ開きになっているので、1974年以降の後期型をモデル化しています。プロポーションが良く、実車の雰囲気がうまく再現されていました。両側スライドドアとテールゲートが開閉するギミック付きです。これ以外にもパトカーや各種販促品などバリエーションがたくさんあり、カドーのブランドでも販売されました。当時物ミニカーとしては、CIJ、JRD、ディンキー(仏)などのレアな当時物や、マッチボックスのYTFシリーズ、エリゴール、ノレブ(1/43、1/18)、ソリド(1/43、1/18)、ブッシュ(1/87)などたくさんモデル化されています。また変わり種としてルパン 3世の秘密兵器仕様のH トラックをポピーがモデル化していてこれも結構面白いです。(参照ページ→ シトロエン H ルパン 3世 ギミックのページ) 以下はフロント/リアの拡大画像とテールゲートの開閉動作の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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フィアット 131 ミラフィオーリ イタリア 1974年
1974年にフィアット 124の後継車としてフィアット 131が登場しました。サブネームのミラフィオーリとはトリノのフィアット生産工場があった地名にちなんだものでした。124は平凡な設計ながらスポーティな味付けの車でしたが、131はごくオーソドックスな乗用車に変わりました。124に装備していた4輪ディスクブレーキは後輪がドラム式に代わり、クーペやスパイダーの設定は無くなり代わりに2ドアセダンが設定されました。ボディはシンプルなセダン スタイルで、エンジンは4気筒1.3L(65HP)と1.6L(75HP)の2種類、1.6L搭載車は丸型4灯式ヘッドライト、1.3L搭載車は角形2灯式ヘッドライトとなっていました。
フィアット 131は1978年のマイナーチェンジで、大型の角形2灯式ヘッドライトを採用し内装などが高級な物に変わりました。また4ドア版にエンジンをDOHC化した高性能版のスーパーミラフィオーリが追加され、2ドア版にはフィアット 132用のDOHCエンジン(2L 115HP)を搭載したレーシング(最高速180km/h)が追加されてスポーティさも加わりました。131は大衆車として大成功し、1983年に登場した前輪駆動のレガータを後継車として生産中止となりました。総生産台数は約150万台でした。
ミニカーは1975年に発売されたメーベトイ(マテル)製の当時物です。この当時はミニカーの簡素化(コストダウン)が進められていた時期でしたので、この131もコレクションの対象として見ることは出来ますが、あまり良くない出来ばえでした。プロポーションは良いのですが、バンパーと一体化したヘッドライトのフロントグリル造形や、安っぽいホイールなどがいただけません。ただし当時の廉価版ミニカーはほとんどがこんな感じでした。ドアが開閉するギミック付きです。これ以外の当時物ミニカーはマーキュリーのセダンとブレーク、ポリトーイの1/25と1/43、Bブラーゴの1/24などがありました。当時物以外ではスターライン、ブレキナの1/87などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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アルファ ロメオ アルフェッタ GT イタリア 1974年
トランス アクスル方式(前後重量配分が良くバネ下重量が軽い)やインボード式リアブレーキを採用したアルファ ロメオ アルフェッタはスポーツカーのベースとして最適でした。そこでホイールベースを短縮したシャーシにイタル デザインのスポーティなクーペ ボディを載せたアルフェッタ GTが1974年に登場しました。GTは期待どおりの優れた操縦性と居住性を両立させたスポーツカーに仕上がりましたが、セダンと同じ不具合(製造品質の問題、ボディ鋼板の錆など)を抱えていました。この不具合は1980年代に大幅な改良が行われるまで続きました。
当初はセダンと同じ1.8L(122HP)エンジンでしたが、1976年には廉価版の1.6L(109HP)エンジンと高性能版の2L(130HP)エンジン搭載のGTVが追加されました。このGTVはジュリア 2000 GTVを代替する車となりました。また1980年のマイナーチェンジでバンパーとフロントスポイラーが一体化されるなど外観が変更され、V型6気筒2.5L(150HP)の新型エンジンを搭載したGTV 2.5が登場しました。この優れたエンジン採用などの改良で不具合のイメージは回復していきました。1983年以降は名前からアルフェッタが省かれアルファ ロメオ GTVと呼ばれるようになり、1987年まで生産されました。
ミニカーはプロゲット K製で、1998年頃に発売されました。プロゲット KはイタリアのPEGO ITALIA社のブランドで、安価ながらそこそこ良い出来ばえのイタリア車のミニカー(主にダイキャスト製)を製作していました。(2011年に製作をやめました) このアルフェッタ GTもプロポーションが良く、スポーティな実車がうまく再現されていました。灯火類や室内などの仕上げも値段相応でした。(当時の定価は3900円で比較的安価でした) アルフェッタ GTの当時物ミニカーはマーキュリー、ポリトーイ、ソリドがありました。当時物以外ではミニチャンプス、M4、オートアートの1/18などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)