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実車諸元 画像参照
辻馬車 ブルム ミラノ ’PIAZZA DEL DUOMO’ イタリア 1800
馬車の歴史は古く紀元前2700年頃から使われてきました。ローマ帝国では戦車として使われ、中世以前の馬車は主に身分の高い人が使いました。1625年にイギリスのロンドンで、一般人が利用する辻馬車(馬車のタクシー)が登場し、その後現在の路線バスのような乗合馬車が登場しました。乗合馬車はフランス語/英語でオムニバス(OMNIBUS)と呼ばれ、これがバス(BUS)の語源となりました。なお日本では馬車がこのような用途ではあまり使われませんでしたが、それは日本では馬が貴重で高価な動物であったことから、武士以外の一般人の乗馬が許されなかったからのようです。(高貴な身分の公家は馬車の代わりに牛車を使いました)
この馬車のモデル(ミニカー)は、1800年頃のイタリアのミラノで使われていた辻馬車をモデル化しています。一頭立ての馬車で、客室は2人乗りのようでソファーのようなシートがあります。名前のBRUMM(ブルム)とはミラノの辻馬車運転手が使っていた馬車に付けたニックネームで、元々は英語の「BROUGHAM:小型軽量1頭立て馬車」に由来しています。馬車の横に立っている黒マントを着た人物は、「BRUMISTA(イタリア語で御者の意)」と呼ばれた運転手です。この当時の辻馬車運転手はこのような装束をしていたようです。
ミニカーは2003年に発売されたブルム製です。名前の「PIAZZA DEL DUOMO」とはピサの斜塔で有名なイタリア ピサ市のドゥオーモ(大聖堂)広場のことで、ミニカーの背景紙に写っている建物がその大聖堂で、その広場のジオラマ仕立てになっています。ブルム社の名前はこの馬車(BRUMM)に由来するもので、同社の初期のロゴはこの馬車を図案化した物でした。このミニカーは1997年に型番B19で馬車だけが発売され、2003年に馬と運転手を追加したこの型番AS00が発売されました。(同時期に型番B00で馬が付いていない物も発売されました) 馬車は室内内装、車輪の金色塗装(補強用金属帯)、操舵可能な前輪などリアルで良く出来ています。馬はブルム初期の馬車シリーズの物と同じで良く出来ていて、馬と馬車を連結する引き具(ハーネス類)もリアルに再現されています。 以下は馬と運転手と馬車の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ボルディーノの蒸気車 イタリア 1854
イギリスでゴールズワース ガーニーが1829年頃に製作した蒸気車がロンドン-バース間の運行を行ったという話はイタリアに伝わりました。その影響でイタリアでも蒸気車を製作する動きが起こり、蒸気エンジンの技術者であったヴィルジニオ ボルディーノ(Virginio Bordino)が馬車を改造して1854年に蒸気車を製作しました。この蒸気車は車体を補強した馬車の後部にボイラーと2気筒の蒸気機関を搭載し、クランク機構で後輪を駆動していました。石炭を燃料にして時速8km/hで走行したそうです。
この蒸気車はイタリアの最初の自動車となりました。この蒸気車の開発時点でイタリアはフランスとドイツに対して技術的に先行していたのですが、この車は1台限りの試作車でその後の展開はされなかったようです。ボルディーノの蒸気車が製作された27年後の1891年には、機械技術者のエンリコ ペコリ(Enrico Pecori)が、1人乗り3輪自転車に小さな蒸気機関を搭載した小型の蒸気自動車を製作しましたが、これも試作車どまりで実用化はされませんでした。(実車画像→ ペコリの小型3輪蒸気車 1891)
ミニカーは1978年に発売されたイタリアのブルム製です。ブルムの初期物で蒸気車ばかりをモデル化した「OLD FIREシリーズ」の1台です。イタリアのトリノ自動車博物館に展示されている実物の蒸気車(レプリカ?)を忠実にモデル化していて細部まで良く出来ています。このミニカーでもこの蒸気車が基本的な構造は馬車そのもので、後部にボイラーと蒸気機関を組み込んだものだということが良く分かります。床下部分には2本のシリンダーで後輪を駆動している構造が再現されています。サイズの比較用に側面の画像にはフィギュアを乗せていますが、フィギュアはこのミニカーの付属品ではありません。 以下はフロント/リアの拡大画像と俯瞰/床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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ベルナルディ 3.5HP 3輪車 イタリア 1896
前述したようにイタリアではボルディーノの蒸気車など蒸気機関を利用した自動車が開発されましたが、その後の展開はありませんでした。イタリアのヴェローナ出身の技術者エンリコ ベルナルディ(Enrico Bernardi)はガソリンを使う内燃エンジンを1882年に開発し、それを組み込んだ3輪自動車を1894年に製作しました。これは世界初の内燃エンジン自動車とされているドイツのカール ベンツが製作した3輪自動車(1896年)よりも先に作られたことになります。それでもベンツの3輪自動車が世界初のガソリン自動車とされているのは、その後の実用化展開が成功しベンツが大企業に発展したからでしょう。
ベルナルディの3輪自動車はイタリア初のガソリン車でもありました。全長約2.7mの2人乗りの3輪車で、単気筒624cc(3.5HP)エンジンをリアに搭載し3段変速機を介して後輪をチェーン駆動していました。エンジンはベンツの3輪車の単気筒984cc(0.9HP)よりもかなり高性能で、最高速35km/hもベンツより優れていました。(ただしこのスペックはイタリアの資料から抜粋したので、全部信用する訳にはいきませんが) ベルナルディの3輪車は1896年からある程度の量産がされたようですが、その製造会社は1901年に生産を止めていて生産台数などは不明です。実車はイタリアのトリノ博物館が所蔵しています。
ミニカーは1960-1970年代に発売されたクラシックカーの専門ブランドのドゥグー製です。ドゥグーは大人のマニア向けのミニカーで、イタリアのビスカレッティ自動車博物館(現在はトリノ自動車博物館)に保存されている実車を忠実にモデル化していました。このベルナルディも博物館の実車をモデル化しているようですが、ヘッドライトの部分が異なっています。小さなミニカーですが、単気筒エンジンは細部まで再現されていて、後輪を駆動するチェーンは金属製で実際に作動するといった凝った作りです。(チェーンの大きさは完全にオーバースケールですが、作動させるにはこのサイズが必要でしょう) ただ残念なことにドゥグー製ミニカーに良く起こる不具合ですが、ゴムタイヤに使われた可塑剤の影響でホイールが溶けてタイヤが外れそうな状態になっています。これは幌を畳んだ状態ですが幌を立てたバリエーション(型番9)もありました。なおベルナルディの量産ミニカーはこれしかありません。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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実車諸元 画像参照
フィアット 3.5HP イタリア 1899
フィアット(FIAT)社はジョバンニ アニエッリが1899年にトリノにて設立しました。会社の名前は「Fabbrica Italiana Automobile Torino」(トリノのイタリア自動車製造会社)の頭文字をとったもので、イタリア有数の自動車メーカーとなるべくして設立したことが分かります。1898年にイタリアのチェイラーノ兄弟(ジョヴァンニ バッティスタ チェイラーノとマッテオ チェイラー)が共同で設立した「チェイラーノ GB&C」社が自動車製造を始め、2気筒エンジンを搭載する小型車を開発しました。フィアット社はこの会社を買い取り、開発されていた車がフィアット 3.5HP(1号車)として発売されました。なおマッテオ チェイラーは1904年にイターラ(ITALA)社を設立してます。
そのフィアット 3.5HPは水平対向2気筒679cc(4.5HP)エンジンを車体後部に搭載し、3段変速機を介して後輪をチェーン駆動する小型車でした。ボディは対面シート配置のヴィザヴィ形式で2~3人が乗車でき、最高速度35km/hの性能でした。1899年に8台が生産され、その後16台が生産されたそうです。当時のイタリアには約100台ぐらいしか自動車がなかったそうですから、当時のベストセラー車だったことになります。1900年に2気筒1082cc(6HP)エンジンを搭載するフィアット 6HPが登場し、1901年にはフィアット 8HPが登場しました。
ミニカーは1970年代に発売されたクラシックカー専門ブランドのドゥグー(DUGU)製です。ドゥグーはトリノ自動車博物館「The Museo dell' Automobile Carlo Biscaretti di Ruffia di Torino」に保存されている実車を忠実にモデル化していて、当時最も出来の良いクラシックカーのミニカーを作っていました。このフィアット 3.5HPも操舵ハンドル、操作レバー、シート、フロントのラジエータなど極めてリアルに再現されていて、ドゥグーの傑作ミニカーの一つです。 以下はフロント/リアの拡大画像と運転席部分の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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実車諸元 画像参照
フィアット 8HP イタリア 1901
前述したフィアット 3.5HP(1号車)に次いで1900年にフィアット 6HPが登場しました。(参照画像→フィアット 6HP 1900) 構造は3.5HPと同じでしたが、フレームが大きく直列2気筒1082cc(10HP)エンジンを搭載していました。また3段変速機にリバースが追加され、丸ハンドルが選択できました。6HPは20台が生産されましたが、フィアットはシャーシのみを製作しボディ架装はコーチビルダー任せでした。また6HPをベースにしてフィアット初のレース仕様車6HP コルサが開発されました。6HP コルサは1900年に行われた都市間レースで優勝していますが、この時のドライバーであったヴィンチェンツォ ランチア(Vicenzo Lanzia)は後にランチア社を設立しています。
1901年にはフロントにエンジンを搭載した8HPが登場しました。8HPは3.5HPと同じようなサイズの小型車で、直列2気筒1082cc(10HP)エンジンをフロントに搭載し、3段変速機を介して後輪をチェーン駆動しました。運転席後部に補助席が付いているので、3.5HP同様に2~3人が乗車でき、最高速度は45km/hに向上していました。ボンネット先端の黒い部分がラジエータ、ステアリングは丸ハンドルでした。6HPは80台が生産されたそうです。その後この車はフィアット 10HP、フィアット 12HPと発展していきました。
ミニカーは2010年に発売されたイタリアのリオ(RIO)製です。フィアット初期の車のミニカーは自国の車ゆえにリオがたくさんモデル化しています。リオのクラシックカーはマニア向けで灯火類、操作レバー、フェンダーなどの細かいパーツから、シャーシやサスペンションなどのメカ部分までリアルに再現されていました。この8HPもラジエータの付いたボンネット周りの造形、床下の後輪駆動チェーンなどのメカがリアルに再現され、素晴らしい出来ばえです。なおリオは1970年代に型番31で8HPのミニカーを作っていましたが、この型番4276は最近になって幌を閉じたバリエーションとして発売されたものです。幌以外は1970年代の物と全く同じですので、昔のリオのミニカーが現在でも十分に通用するレベルの物であったことが良くわかると思います。(リオは現在でもイタリア国内で製作していて、この型番4276は昔の物より仕上げの筆入れに少し手をかけていますが) 以下はフロント/リアの拡大画像と運転席/床下部分の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
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