ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

MITSUBISHI COLT 800 1965 JAPAN

MITSUBISHI COLT 800
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MITSUBISHI COLT 800


DIAPET 144 1/40 91mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.65m 全幅約1.45m エンジン 変速機: 2サイクル3気筒 843cc 45HP 4段変速
性能: 最高速120km/h  データーベースで三菱 コルトのミニカー検索

三菱 コルト 800 日本 1965年

 

 三菱 ミニカを製造していた水島自動車製作所(岡山県)が小型車を開発し、コルト 800として1965年に登場しました。地味なデザインであったコルト 1000と違って、ファーストバックを採用したスタイリッシュなデザインとなっていました。当初は2ドアでテールゲートは無かったのですが、1967年に3ドアハッチバック、1968年に4ドアが設定されました。水冷2サイクル3気筒843cc(45HP)エンジンをフロントに搭載するFR方式で、4段変速で最高速120km/hの性能でした。

 

 1966年にコルト1000の4気筒1Lエンジンを搭載した1000Fが追加され、さらに1968年のマイナーチェンジでは3気筒エンジンが廃止され、1.1L(58HP)エンジンを搭載した1100Fが追加されました。1969年には1.1Lエンジンだけとなり名前も11Fに変わりました。11Fは1971年まで生産され、実質的な後継車は1973年に登場したランサーでした。なおコルト 1000Fは1967年のサザンクロス ラリーに参戦してクラス優勝しました。これは三菱車として初の国際ラリー参戦でした。

 

 

 コルト800と1000は新三菱重工業の異なる製作所で独自に開発されたものであり同じような車であった為、市場では競合関係となっていました。三菱重工の自動車部門は1970年に三菱自動車工業として独立しましたが、それ以前にはこのような開発体制上の問題があったようです。

 ミニカーは1966年に発売されたダイヤペット製の当時物でアンチモニー製です。 フロントグリルやリアの造形がきちんと再現されていて当時のミニカーとして良く出来ていました。ボンネットとトランクが開閉するギミック付で、室内も起毛仕上げがされているなど凝った作りです。ボディの塗装は一部が剥離していますが、全体的にはまだきれいな状態なのですが、ホイールが経年変化で劣化して変形しているのが残念です。コルト 800のミニカーは最近までこれしかありませんでしたが、2007年に国産名車コレクションでもモデル化されました。 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームの画像とトランクの開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

MITSUBISHI COLT 800 1
MITSUBISHI COLT 800 2

 以下は2007年に発売されたアシェット 国産名車コレクション製のコルト 800 (1/43 No.42)の画像で、メーカーはノレブです。プロポーションが良く実車の雰囲気がうまく再現されています。フロントグリルや室内などの細部もまずまずの仕上がりで、雑誌付きミニカーとしては良く出来ています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MITSUBISHI COLT 800 3
MITSUBISHI COLT 800 4

 以下はフロント/リアの拡大画像です。。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
MITSUBISHI COLT 800 5
MITSUBISHI COLT 800 6

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HONDA RA272 F1 1965 JAPAN

HONDA RA272 F1
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HONDA RA272 F1


JAPANESE CAR COLLECTION  1/43 93㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4m 全幅約1.7m エンジン 変速機: DOHC V型12気筒 1.5L 230HP 6段変速
性能: 最高速300km/h?  データーベースでホンダ RAのミニカー検索

ホンダ RA272 F1 日本 1965年

 

 マン島TTレースでの優勝など2輪車レースで成功したホンダは、1962年にF1に参戦することを表明しエンジンの開発を進めました。開発されたV型12気筒1.5L RA271型エンジンは、当初ロータスへ提供される予定でした。しかし1964年にロータスが提携をキャンセルした為、ホンダはシャーシも自社開発して参戦することとなりました。 最初のF1カーRA271型は、1964年のドイツGPでデビューし、結果は事故でのリタイヤでした。しかし翌年の1965年メキシコGPではアメリカ人ドライバー リッチー ギンサーが操るRA272が初優勝を遂げました。これは今考えると凄いことですが、当時はモータースポーツに対する理解が少なくあまり評価されなかったようです。

 

 ホンダのF1はRA273、RA300、RA301、RA302と発展し活躍を続けましたが、低公害型エンジン開発に注力するとして1968年シーズン終了後に活動を休止しました。このF1参戦はホンダ F1 第1期と言われています。その後1983年にエンジン供給する形でF1に復帰し、1980年代後半はマクラーレン ホンダが圧倒的に強い時期がありました。これはホンダ F1 第2期と呼ばれますが、国内のバブル崩壊による業績不振で1992年末にF1から撤退し第2期が終わりました。   

 

 

 2000年にエンジン供給でF1に復帰し、2006年からはエンジンだけではなくシャーシも開発するフルコンストラクターとして参戦しました。しかし第2期のような活躍が出来ず、サブプライム問題の不況による業績不振で2008年末でF1から撤退しF1 第3期が終わりました。2015年にエンジン供給で3度目のF1復帰を果たし、当初の結果は期待外れでしたが、2021年にはレッドブル ホンダがコンストラクター2位の好成績を残しました。ただ自動車のEV化対応に注力する為、2021年末でホンダはF1を撤退し第4期が終わりました。

 ミニカーは2006年に発売された国産名車コレクション製です。国産名車コレクションの購読予約者向けプレゼント品で、メキシコ GPで初優勝したRA272をモデル化しています。メーカーはノレブで、エンジンなどの細部もそこそこリアルに再現されていて、安価な雑誌付きミニカーとしては結構良い出来ばえです。RA272のミニカーとしても貴重な一台です。  以下はフロント/リアの拡大画像とエンジン/コクピットの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

HONDA RA272 F1 1
HONDA RA272 F1 2

 以下は1968年に発売されたカドー製のホンダ RA273 (1/43 型番No.1)の画像です。玩具問屋であった可堂玩具がミニカーの普及活動としてNMCC(日本ミニチュアカークラブ)を1968年に設立し、その会員向けにカドー ブランドでこのミニカーを発売しました。私の保有するこのミニカーは1980年に再販されたものです。(最初に販売された物はボディが白/エンジンなどが黒に塗装されていた物もあったようです) タイヤとフロントウィンドー以外は全て真鍮(BSBM)製で、塗装されていないので経年変化で多少錆びています。エンジンやサスペンションの細部まで実に良く再現されていて、当時のミニカーとは思えないほどとても素晴らしい出来ばえです。(ミニカーというより手作り工芸品に近いです) 特にサスペンションは細いアームやコイルスプリングまでリアルに再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HONDA RA273 F1 1
HONDA RA273 F1 2

 以下はフロント/リア(エンジン拡大)の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HONDA RA273 F1 3
HONDA RA273 F1 4

 これ以外のホンダ F1のミニカーですが、1960年代の国内ではF1のミニカーはあまり一般的ではなく、ホンダ RA271/272型の当時物ミニカーにはこれといった物はありません。海外ではポリトーイのペニーでホンダ RA F1がありますが、これもあまりぱっとしません。1970年代になるとF1が一般に知られるようになり、RA302型(1968年)はトミカとトミカ ダンディが当時物をモデル化しています。2010年頃にはエブロがホンダ F1 第1期のRA271からRA302まで20数種類をモデル化し、ホンダ F1に力を入れていました。ホンダ F1 第2期のミニカーは、ウィリアムズ ホンダ、マクラーレン ホンダ、ロータス ホンダなどがたくさんモデル化されています。第3期ではBAR ホンダ、ホンダ NSR500、ホンダ RC211Vなどがモデル化されています。第4期ではマクラーレン ホンダやレッドブル ホンダがモデル化されています。

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HINO CONTESSA 1300 COUPE 1965 JAPAN

HINO CONTESSA 1300 COUPE
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HINO CONTESSA 1300 COUPE


JAPANESE CAR COLLECTION (NOREV HACHETTE) No.26 1/43 96㎜
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.15m 全幅約1.53m エンジン 変速機: 4気筒 1251cc 65HP 4段変速
性能: 最高速145m/h  データーベースで日野 コンテッサのミニカー検索

日野 コンテッサ 1300 クーペ 日本 1965年

 

 前述したように、日野 ルノー の国産化で技術を習得した日野自動車は1961年にコンテッサ 900を登場させました。基本的な構造は日野 ルノーを踏襲したリア エンジンの4ドアセダンで、外観はルノー 4CVの上級車であったルノー ドーフィンとよく似たデザインでした。搭載した4気筒893㏄(35HP)エンジンもルノーのエンジンがベースで、リアエンジン車ながらコラムシフトが採用されました。1962年にコンテッサ 900をベースにしてミケロッティがデザインした2ドアクーペの900 スプリントが発表ましたが、市販はされませんでした。1965年まで生産され、日野 ルノーの実績からタクシーとして使われることが多かったようです。(実車画像→ 日野 コンテッサ 900 1961)

 

 1964年にコンテッサ 2代目としてコンテッサ 1300が登場しました。当初は4ドアセダンのみで、1965年に2ドアクーペが追加されました。どちらもミケロッティのデザインで、グリルのないシンプルなフロントと直線的なボディラインが特徴の美しいデザインでした。日野が独自設計した4気筒1.3L(55HP)エンジンをリアに搭載し、リアに配置したラジエーター冷却の為リアには吸気用のグリルがありました。3/4段変速で最高速135m/hの性能でした。クーペのエンジンは65HPにパワーアップされ最高速145m/hの性能でした。日野自工は1966年にトヨタと提携したことから、乗用車開発から撤退し、コンテッサは1967年に生産中止となりました。

 

 

 ミニカーは2007年に発売された国産名車コレクション製です。メーカーはノレブで、コンテッサ 1300 クーペをモデル化しています。プロポーションが良く特徴のあるフロントの顔付など実車の美しいデザインがうまく再現されています。リアの吸気用グリル、フェンダーミラー、ステアリングが着色された室内などの細部も良く再現されています。当時の流行りだったホワイトリボンタイヤを履いているのは時代を反映しています。これ以外の日野 コンテッサのミニカーはミクロペットの当時物 900と900 スプリント、モデルペットの当時物 1300と1300 クーペ、ダイアペットの当時物 1300 クーペ、CAM(レジン製)の900 スプリント、ファインモデル(アンチモニー製)の 900と900 スプリント、トミカ リミッテドの1300、エブロの1300 クーペなどたくさんあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

HINO CONTESSA COUPE 1
HINO CONTESSA COUPE 2

 以下は1966年に発売されたダイヤペット製の当時物 日野 コンテッサ 1300 クーペ (1/40 型番147)の画像です。ダイヤペット初期のアンチモニー製です。50年以上前に作られたミニカーですので、バンパーや灯火類もすべてボディと一体物で、室内も簡単な造形です。それでも実車の雰囲気は実にうまく再現されていて、当時のミニカーとしてとても良い出来ばえでした。これもホワイトリボンタイヤを履いています。箱から出してディスプレーケース内で保管していましたが、塗装はまだ綺麗で艶も残っています。フロントトランクとリアのボンネットが開閉するギミック付きで、エンジンもそこそこリアルに再現されています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HINO CONTESSA 1300 COUPE 3
HINO CONTESSA 1300 COUPE 4

 以下はフロント(トランク開閉)/リア(ボンネット開閉)の拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HINO CONTESSA 1300 COUPE 5
HINO CONTESSA 1300 COUPE 6

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NISSAN CEDRIC (130) SPECIAL 6 1966 JAPAN

NISSAN CEDRIC (130) SPECIAL 6
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
NISSAN CEDRIC (130) SPECIAL 6


CAM C43008BK 1/43 111mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.68m 全幅約1.69m エンジン 変速機: 6気筒 2L 100HP 4段変速/3段自動変速
性能: 最高速150km/h  データーベースで日産 セドリック 130型のミニカー検索

日産 セドリック 130型 スペシャル 6 日本 1966年

 

 1965年に日産 セドリック 2台目(130型)が登場しました。先代のアメリカ車風デザインから一転してイタリアのランチアのような重厚なイメージになりましたが、これはイタリアのピニンファリーナのデザインでした。4気筒2L(92HP)、6気筒2L(100HP)、スペシャル6専用のOHC 6気筒2L(115HP)エンジンが設定され、3速AT/4速MTで最高速150km/h(OHC2L)の性能でした。なおセドリック 130型では3ナンバー規格の普通車の設定はありませんでした。

 

 当時の日本ではセドリック 130型初期型のピニンファリーナ デザインが理解されず不評だったようで、130型は1966年と67年にリアのデザインを変更しました。さらに1968年のモデルチェンジではフロント部分を大幅に変更してオリジナルのイメージが消えました。(実車画像→ セドリック 1968年式) ブルバートに次いでセドリックのデザインも不評だったことで、日産は外国人のデザインに懲りたと思われます。なおこの車には既にクーラー(エアコンではなく単なるクーラー)がオプション設定されていたようです。1971年にセドリック 3代目にモデルチェンジしました。

 

 

 ミニカーは2012年に発売されたCAM製で、CAMのミニカーとしては初めてのダイキャスト製でした。プロポーションが正確で、セドリック 130型初期型のピニンファリーナ デザインがうまく再現されていて、とても良く出来ています。フロントグリルと前後灯火類、室内もかなりリアルに再現されています。CAMは車高を下げたカスタムとそのストックカーレース仕様もモデル化していました。セドリック 2代目の当時物のミニカーはダイヤペットが型番145で1966/67年式、型番186で1968年式を、モデルペットが型番33で1966/67年式をモデル化していました。これだけ年式違いがモデル化されているのも珍しいのですが、どれもレア物のビンテージミニカーなので残念ながら持っていません。当時物以外のセドリック 2代目のミニカーはアドバンスピリット(アンチモニー製)の前期型セダン/バン、トミカ リミッテドの前期型と後期型などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

NISSAN CEDRIC (130) 1
NISSAN CEDRIC (130) 2

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NISSAN (DATSUN) SUNNY 1000 (B10) 1966 JAPAN

NISSAN (DATSUN) SUNNY 1000 (B10)
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
NISSAN (DATSUN) SUNNY 1000 (B10)


NISSAN CAR COLLECTION (NOREV) 2 1/43 90mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約3.82m 全幅約1.45m エンジン 変速機: 4気筒 1L 56HP 4段変速/3段自動変速
性能: 最高速135km/h  データーベースで日産 サニーのミニカー検索

日産 サニー 1000 B10型 日本 1966年

 

 トヨタ パブリカなど他社が小型車市場に参入するなか、ブルーバードより小さい車種が無かった日産は1966年にサニーで1Lクラス大衆車に進出しました。当初の正式な車名はダットサン サニーで、サニーという名前は発売前の車名公募キャンペーンで選ばれたものでした。サニーは欧州で大成功したオペル カデットの影響を受けているとウイキペディアに書かれていますが、確かにシンプルなデザインのボディなど良く似ています。エンジンは新規に開発された4気筒1L(56HP)のA型で、3段AT/4段変速で、最高速135km/hの性能でした。

 

 発売当初の販売は好調でしたが、半年ほど後に発売されたトヨタ カローラの排気量が100cc大きくやや豪華に見えることから、販売ではカローラに抜かれてしまいました。確かにサニーの方がシンプルな分だけ、やや見劣りする気がします。(この辺がトヨタの商売上手なところでした) 当初は2ドアセダンだけでしたが、4ドアセダン(1967年)、ファーストバックの2ドアクーペ(1968年)、2/4ドア商用バン、トラックが追加されました。1970年にサニー 2代目 B110型にモデルチェンジしました。

 

 

 ミニカーは2008年に発売されたアシェット 日産名車コレクション製です。メーカーはノレブで、シンプルなサニーのボディがうまく再現されていて、安価な雑誌付きミニカーとしてはかなり良い出来ばえです。フロントグリルや室内などの細部もそこそこリアルで、後輪の下回りをよく見るとリーフスプリングのサスペンションもリアルに再現されています。サニー 初代の当時物ミニカーはダイヤペットのセダンとクーペがありました。当時物以外ではエブロのセダン(この日産名車コレクションとよく似た出来ばえ)、トミカ リミッテドの2/4ドアセダン、ハイストーリー(レジン製)のクーペなどがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

NISSAN (DATSUN) SUNNY 1000 (B10) 1
NISSAN (DATSUN) SUNNY 1000 (B10) 2

 以下は1969年に発売されたダイヤペット製の日産 サニー 1000 クーペ (1/40 型番182)の画像です。プロポーションが良いので、スタイリッシュなクーペがうまく再現されています。ボンネット/ドア/トランクが開閉するギミック付きですが、各ギミックの立て付けが悪く可動部の隙間が目立ちます。特にトランクはかなりひどい状態です。ダイヤペットもさすがにこれはよろしくないと思ったのでしょう、1971年にトランクの開閉を止めた改良版が型番223で発売されました。ただその時点でサニーは2代目にモデルチェンジしていましたので、型番223はすぐに絶番となりました。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
NISSAN (DATSUN) SUNNY 1000 COUPE (B10) 1
NISSAN (DATSUN) SUNNY 1000 COUPE (B10) 2

 以下はフロント/ボンネットを開いたエンジンルームとリア/トランク開閉の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
NISSAN (DATSUN) SUNNY 1000 COUPE (B10) 3
NISSAN (DATSUN) SUNNY 1000 COUPE (B10) 2

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