ミニチュアカー ミュージアム

自動車の歴史 時代/自動車メーカー別

 

HOTCHKISS 686 COACH PARIS-NICE 1939 FRANCE

HOTCHKISS 686 COACH PARIS-NICE
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HOTCHKISS 686 COACH PARIS-NICE


ELIGOR 1015 1/43 105mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.52m 全幅約1.73m エンジン 変速機: 6気筒 3L 85HP 4段変速
性能: 最高速130km/h  データーベースでオチキスのミニカー検索

オチキス 686 コーチ パリ-ニース フランス 1939年

 

 フランスのオチキス社の前身はベンジャミン オチキス(Benjamin Hotchkiss)が1867年に創業した銃器製造工場でした。同社は機関銃などの武器を製造していましたが、財務状況が悪化したことで自動車産業に参入しました。1903年に発売した最初の車は4気筒エンジンを搭載した17CVで、1906年には6気筒エンジン搭載の20CVを発売しました。第1次大戦中は軍需品の製造に専念し、戦後の1923年に4気筒2.5Lエンジン搭載のAM2、1928年に6気筒3.5Lエンジン搭載のAM80が登場しました。このAMシリーズのレース仕様車は1932年から1934年まで3年連続でモンテ カルロ ラリーで優勝しており、優れた性能だったようです。1936年には6気筒3Lエンジンを搭載する上級中型車680/686が登場しました。(実車画像→ オチキス AM80)

 

 第2次大戦の勃発で戦時中は軍需品製造に専念し、戦後に680/686の生産が再開されました。1948年に4気筒2.3Lエンジン搭載の13CVが登場し、1950年には686がモンテ カルロ ラリーで優勝しました。1950年に680/686の後継車として4気筒2.3L/6気筒3.5Lエンジン搭載の高級車アンジュ(ANJOU)が登場しました。戦後のフランスでは高級車を抑制する政策がとられたのでオチキスは経営不振となり、1954年にトラック製造メーカーのドライエを買収しトラック製造に専念し乗用車生産から撤退しました。1954年にウイルスのライセンスでジープ製造を行いましたが、1970年に自動車生産を終了しました。(実車画像→ オチキス アンジュ 1955)

 

 

 ミニカーは1979年に発売されたエリゴール製です。エリゴールは初期にホワイトメタル製少量生産品を数車種発売していて、これはその一つです。(ホワイトメタル製なのでずっしりと重いです) パリ-ニース都市間レースで活躍したことで設定されたオチキス 686の高性能版パリ-ニース仕様のクーペをモデル化しています。オチキスの特徴である楕円型のフロントグリルが良く再現されていて、実車の雰囲気がうまく再現されています。これ以外のオチキスの乗用車のミニカーはノレブの686、イクソの686とアンジュ、ノスタルジーのアンジュなどがあります。商用車ではエリゴールとソリドが消防車やトラックをモデル化しています。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

HOTCHKISS 686 COUPE 1
HOTCHKISS 686 COUPE 2

 以下は2006年に発売されたノレブ製 オチキス 686 ビアリッツ カブリオレ (1/43 型番590006)の画像です。これは686 ビアリッツ仕様のカブリオレをモデル化しています。ノレブらしいそつのない造形で、楕円形のフロントグリル周りがリアルで良く出来ています。スポーティな赤/黒のカラーリングも綺麗です。画像は幌を上げた状態ですが、閉じた状態の幌も付属しています。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HOTCHKISS 686 CABRIOLET 1
HOTCHKISS 686 CABRIOLET 2

 以下はフロント/リアの拡大画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
HOTCHKISS 686 CABRIOLET 3
HOTCHKISS 686 CABRIOLET 4

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BERLIET 11CV DAUPHINE 1939 FRANCE

BERLIET 11CV DAUPHINE
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
BERLIET 11CV DAUPHINE


IXO MUS055 1/43 114mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.9m 全幅約1.65m エンジン 変速機: 4気筒 2L 50HP 4段変速
性能: 最高速115km/h  データーベースでベルリエのミニカー検索

ベルリエ 11CV ドーフィン フランス 1939年

 

 ベルリエは自動車創世期に設立された自動車メーカーでした。第1次世界大戦中は軍用トラックを生産し、大戦後に乗用車生産を再開し1920年代には4気筒の小型車から6気筒の大型車まで数モデルを販売していました。1929年のアメリカ株価大暴落による金融危機で景気が悪くなり、自動車の販売は低迷しました。その影響で1930年代になると、ベルリエの乗用車は1934年に発売した11CVドーフィンだけになりました。(実車画像→ ベルリエ 11CVドーフィン 1934)

 

 ミニカーはボディを大きく変更した11CVドーフィン 1939年式をモデル化しています。ベルリエはこの頃にはボディの内製化もできず、ライバルのプジョー 402のボディを流用し、フロントを当時のアメ車に似せたデザインに変えていました。ただこの車もすぐに生産中止となり、ベルリエはトラック(後にバスを追加)だけを生産するようになりました。ベルリエは1967年にはシトロエン傘下となり1974年にはルノーに売却されて同じトラック製造ののサビエムと合併しルノー トラックスとなりました。

 

 

 ミニカーは2014年に発売されたイクソ製です。元々このミニカーはフランスのミニカー付き雑誌「Voitures francaises d'autrefois」シリーズの No.9用に作られた物でした。これはその型を使って仕上げをリファインしてイクソのカタログモデルとして発売された物です。実車が忠実にモデル化されていて、キャビン部分の形状を見ればプジョー 402がベースになっていることが良く分かります。また変更されたフロントグリルがうまく再現されていて、灯火類などの細部もよく出来ています。ベルリエのミニカーはトラックなどの商用車がほとんどで、商用車以外のミニカーはポリトーイ初期とラミー(RAMI)のベルリエ 1910ぐらいしかありません。したがってこのベルリエ 11CV セダンのミニカーは車種的には貴重です。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

BERLIET 11CV DAUPHINE 1
BERLIET 11CV DAUPHINE 2

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PEUGEOT 202 1946 FRANCE

PEUGEOT 202
(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)
PEUGEOT 202


IXO JUNIOR CIXJ000012 1/43 99mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約4.2m 全幅約1.5m エンジン 変速機: 4気筒 1.1L 30HP 3段変速
性能: 最高速100km/h  データーベースでプジョー 202のミニカー検索

プジョー 202 フランス 1946年

 

 1938年にプジョー 201の後継車として202が登場しました。402から始まった02シリーズの基本設計を踏襲し、フロントグリルに内蔵したヘッドライトなど同じコンセプトの流線型ボディにアルミ合金製ヘッドのOHV 4気筒1.1L(30HP)エンジンを搭載していました。エンジンは30HPと非力でしたが、軽い車重と空力に優れたボディの為、最高速は100㎞/hが可能でした。4ドアセダン、2/4ドアカブリオレ、2ドアピックアップと幅広いボディタイプが揃っていました。

 

 202は先代を上回る大ヒットとなり当時のライバルであったルノー ジュヴァカトルを販売台数で上回りました。この成功でプジョーはシトロエンに次ぐフランス第2のメーカーとなりました。202は第2次大戦の為1942年に生産中止となりましたが、戦後に再生産されました。1948年まで作り続けられ1949年に戦後型として新設計された203にモデルチェンジしました。

 

 

 ミニカーはイクソ ジュニア製で、戦後型の202をモデル化しています。元々は2007年頃に発売されたフランスのミニカー付雑誌「PEUGEOT COLLECTION」のNo.43でモデル化された物をイクソのカタログモデルとしたものです。当方はオークションで入手したのでいつ頃発売されたのか分かりませんが、たぶん2008年頃でしょう。この小粋な小型車の雰囲気がうまく再現されていて良く出来ています。特に02シリーズに共通のフロントグリルに内蔵されたヘッドライトの再現方法は秀逸です。空気を取り入れるフロントグリルなので実際はこのような透明なカバーではなく枠組みされたグリルなのですが、うまく表現しています。これ以外の202のミニカーはノレブのセダンとピックアップがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

PEUGEOT 202 1
PEUGEOT 202 2

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DELAHAYE 145 CHAPRON 1946 FRANCE

DELAHAYE 145 CHAPRON
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DELAHAYE 145 CHAPRON


DINKY DY14 1/43 126mm
 実車諸元 画像参照
外形寸法: 全長約5.5m 全幅約1.6m エンジン 変速機: V型12気筒 4.5L 240HP 4段変速
性能: 最高速230km/h  データーベースでドライエのミニカー検索

ドライエ 145 シャプロン フランス 1946年

 

 1930年代後半のGPレース(現在のF1に相当)ではドイツのナチス政権が国策でバックアップするメルセデス ベンツ/アウト ウニオンのドイツ勢が圧倒的に強く、ブガッティ、ドライエ、ドラージュのフランス勢がこれに対抗していました。1937年にドライエ 135の後継車として145が登場しました。145は主にGPレース用に開発された高性能車で3本のカムシャフト、2つの点火装置、3つのキャブレターを備えたV型12気筒4.5L(240HP)エンジンを搭載していました。145のレース仕様は1938年のベルギー ポー(PAU)GPでは、メルセデス ベンツ W154を下して優勝しています。(実車画像→ ドライエ 145 GPレース仕様 1937)

 

 1939年に第2次世界大戦が勃発し、ドライエ社は軍用車(トラック)の生産に集中しました。戦後の1946年には乗用車生産を再開し、戦前の135Mを後継する高級車235が1951年に登場しました。戦後のフランスでは高級車に高い税金が課されたことによりドライエのような高級車は売れなくなり、販売不振となたドライエは1954年にオチキス社に吸収されて消滅しました。

 

 

 ミニカーは1990年に発売されたマッチボックス ディンキー製です。1946年式となっているので戦後にコーチビルダー アンリ シャプロンが架装したクーペをモデル化しているようです。ドライエのフロントグリルは剣道の面に似ているといわれますが、この車のグリルはまさにその典型的なものです。このミニカーはマッチボックス傘下で一時的に復活したディンキーのブランド名を冠したDINKY COLLECTION シリーズの1台でした。このシリーズはマニア向けに作られたもので、これ以外にキャディラック 62 クーペ デビルやベントレー R コンチネンタルなどがあり、いずれもレトロな作風ながら良く出来ていました。このドライエもレトロな作風で実車の雰囲気をうまく再現していて、当時のミニカーとして良く出来ていました。これ以外のドライエ 145のミニカーはミニチャンプスのクーペとレース仕様、スパーク(レジン製)のレース仕様などがあります。 以下はフロント/リアの拡大画像と室内の画像です。(画像のマウスオーバー又はタップで画像が変化します)

DELAHAYE 145 CHAPRON 1
DELAHAYE 145 CHAPRON 2

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